老獪な大魔法使いメイザースとまともに顔を合わせるのは初めてのマイクロトフであった。だが、魔道に優れ、八十歳を越す年齢から見ても、これほど情報を得るに相応しい人物は考えられない。
「ふむ……どれもこれも読んだ本ばかりだ……つまらんな」
エミリアが聞いたら憤慨しそうな台詞を口ずさみながら、如何にも退屈そうにうろついていたメイザースの脇に立つなり、マイクロトフは興奮を押さえきれずに叫んだ。
「メイザース殿! おれは元マチルダ青騎士団長マイクロトフ、貴方のような御方を求めておりました!!」
高らかに言い放たれた声に、当人はもとより周囲の人間の視線も集まる。メイザースは高齢の割には精悍な顔をマイクロトフに向けたが、少し考えてから溜め息を洩らした。
「……折角だが、間に合っておる」
「は?」
「可憐な乙女ならいざ知らず……百歩譲って、そっちの赤いのならばともかく」
首を振りながらメイザースは『ムクムク』を顎で指す。
「ごつくてでかい男は趣味ではないのでな、他を当たってくれ」
「メ、メイザース殿……??」
心底不思議そうに返すマイクロトフ同様、集まってきた仲間も怪訝そうだ。そんな彼らに大魔法使いはあっさりと申告した。
「ごつい大男と交際する気はない」
誰が交際を申し込んでいる、と一斉に叫びたい心境ではあったが、なにぶん厳粛を旨とする図書館なので、かろうじて自制は働いた。一番早く我を取り戻したフリックが横から進み出る。
「い、いや……交際の申し込みをしている訳ではなくてな、あんたに聞きたいことがあるんだよ」
「何と?」
メイザースは自らの誤りを反省するでもなく、胸を反らせた。
「ふむ、この博識にて聡明なる偉大な魔法使い、メイザースの知恵を借りたいとな? なかなか目の付け所がいいではないか」
ふっふっふ、とほくそ笑む老齢の魔法使いに男たちは薄ら寒さを覚える。フリックは小声で相棒に呟いた。
「おれ、何だか嫌だ……このおっさん」
「まー、そう言うな。一応同意しとくがよ、伊達に年食ってるわけでもないだろうぜ」
「何か言ったか、おまえたち」
「い、いいえ、何も!」
────八十を越してなお、メイザースの耳は健在であるようだ。
片やマイクロトフは、交際発言に打ちのめされていたものの、腕の中の心細げな鳴き声に励まされて一歩足を踏み出した。
「メイザース殿、実は……くれぐれも内密に願いたいのですが、貴君は肉体の入れ替わりについて何かご存知ではありませんか。知っていることがあれば、残らず教えていただきたい」
すると大魔法使いはちらりとマイクロトフを一瞥した。当然、抱き締めたむささびも目に入る。刹那、彼は不審げに眉を寄せた。
「何だ、おまえ……小動物愛玩の趣味があるのか? 図体に似合わん嗜好だな」
「お、おれは……」
「ムム〜……」
マイクロトフと『カミュー』は同時に声を上げた。おそらくは、『小動物だから愛しているのではなく、カミューだからです』『マイクロトフを侮辱しないでいただけませんか』あたりを口にしたかったのだろう。が、ウィンが柔らかく間に入った。
「メイザースさん……実はそのむささび、カミューさんなんです」
「何?」
「朝、目が覚めたら身体が入れ替わっちゃっていたらしくて。だから、こっちが本当のムクムクなんですよ」
言いながら立ち尽くしていた赤騎士団長を指す。美貌の青年は毅然として胸を張った。
「ムッ!」
一同は、端正な青年の唇から獣語が飛び出すことに大分慣れていたが、偉大なる大魔法使いは呆気に取られて双方を凝視する。
「何と……むささびに赤いのが入り、赤いのにむささびが……」
唸りながら深々と考え込み、それからぷっと吹き出した。
「これはまた、けったいな」
「けったいどころではないのです! 頼みます、メイザース殿……知恵をお貸しください!!」
必死の形相で詰め寄るマイクロトフの勢いに押されたかたちで、魔法使いは頷いた。が、その表情は何やら陰湿な笑みを含んでいる。
「ふふん……青いの……おまえ、実は出来上がっておるな?」
「で、出来……?」
「そうか、なるほどな。それは心痛傷み入るぞ! いや、言うな。我が知識の泉は深く広いが、心も大河の如く雄大なるものぞ」
一人感慨に耽りながら述べ始めた男に一同はぼんやりと見入る。メイザースは酔い痴れたように続けた。
「確かおまえたち、騎士であったな……そう、あれは男だけの世界。生死を賭けた過酷な戦いの中に安らぎを求め、背を守る唯一の剣士と友愛を育む……同じ道を追い、同じものを目指し、いつしか友愛が恋情と変わり、そしてなお深く互いを得んと欲し……ああ、何も言わずとも分かっておる。赤いのとは肉欲をも交えた親密な間柄なのであろう? 獣と化した情人を案じて走り回る誠実なる真心、このメイザース……心底感じ入ったぞ!」
「は、はあ……」
唖然としたまま思わず頭を下げてしまったマイクロトフの腕の中で、むささびが激しく抗議していた。生憎ここには筆記用具を持ってこなかったので、詳細は分からない。それでも仲間たちは彼が否定しろと必死になっているのが理解出来るような気がしていた。
「そ、それはいいから、メイザースよ……」
割って入ろうとしたビクトールだが、老人の話は長いのが常である。
「いや、実は恥ずかしながら私にも覚えがないわけでもないのだ。そう、あれは七十年も前のことになるか……当時、私は魔道の修行に明け暮れておってな。師と仰いだ人物には一人の息子がおって、それは何と言うか……素直で優しい上に綺麗な容姿をしておってなあ……そう、そう言えば何処となく赤いのの姿に似ているような気もする。あれは思えば私の初恋とも言えるやもしれんが、残念ながら彼は────」
「メ、メイザースさん」
かろうじて声を掛けられたのは、やはり天魁星の輝きを持つ少年であった。
「そのお話は、今度改めてゆっくりと聞かせていただきますから……」
「何を言う、まだほんの触りに過ぎんぞ」
「は、はい、ですから……そのう、このままでは同盟軍の士気に関わる由々しき事態なので、何とか力を貸していただけませんか」
「今はあんただけが頼りなんだよ」
常識人が不本意ながら援護を試みる。途端に相好を崩した大魔法使いは鷹揚に笑いながら胸を叩いた。
「我が知識を欲する、迷える魂たちよ。何なりと聞くが良い、不遇なる心を導いてやろうぞ」
「────だから、さっきから聞いてるじゃねえかよ」
ビクトールが小声でぼやくのにフリックは肘鉄をかませた。
「カミューとムクムクの身体が入れ替わっちまったんだ。元に戻すにはどうしたらいいか、分かるか?」
「無論」
あっさりと頷かれて男たちは呆けた。
「ご……ご存知なのか、メイザース殿! 教えてください、どうすればカミューを元に戻せるのです?」
「ふ、ふふ……必死だな、青いの。そうだろう、そうだろう。心は赤いのであっても、今のむささび相手では営みを交わすことも出来ぬからなあ」
「だーっ、だからメイザース! ウィンが居るんだぞ、そういうことを言うな!!」
「そうですよ、まったくもう……獣姦なんて想像したくありませんよ〜」
ふと洩らされた指導者の一声に、一同はぴくりと強張った。これまで恐ろしくて誰も口に出来なかった現実を平然と述べる心臓の強さ。改めて同盟軍を率いる少年の大きさに震える男たちである。
「ふうむ……まあ、このむささびに奮い立つとも思えぬが……」
「ム……………………」
「ムムムッ、ムム〜〜〜!!!!!」
最初は『カミュー』、次が『ムクムク』の抗議の声である。片や絶句し、もう片方は自らの身体を使われる妄想に憤慨しているらしい。
「それで、肝心な方法ってのはどんなものなんだ?」
「テレポートだ」
意外な言葉に一同は大魔法使いに注視を注ぐ。出来の悪い子供たちに教え諭すような口調で彼は続けた。
「簡単なことであろう? むささびの心と赤いのの心をテレポートで移動させれば良い」
「か、簡単に言うな……」
「そのようなことが可能なのですか?」
ようやく解決の糸口を掴んだマイクロトフは、生真面目に返した。
「だよな……テレポートったって、そんな……」
考え込むビクトールを一瞥し、メイザースは説明し始めた。
「おまえたち、テレポートという概念をどう心得ておるのだ? あれは、物質を交換するというのが基本的な考え方であるぞ」
「交換……? 運ぶのではなくて?」
「馬鹿者。良いか、ここにあるものをこちらに移動する。となると、それまでこちらにあったものと物質が重なるではないか。よって、代わりにこちらにあったものをここへ移す……つまり交換だ。おまえたちが所謂テレポート魔法と呼んで他の地へ飛ぶときには、そこにあるおまえたちと同比重の空気が城に送り込まれているのだ。でなければ、おまえたちは飛んだ先の空気とぶつかり合って消滅してしまうのだぞ」
「そ、そうだったのか……」
「そんな恐ろしい手段だったんですね……」
彼らは一様に青ざめた。胸中に少々とぼけた術者の姿が浮かんでいるのは間違いない。
「ふむ、考えていることは分かるぞ。だが……時折ポカはするものの『瞬きの紋章』を操っておるのだ、一応見所はある。あの娘に心をテレポートしてもらえば一件落着だ」
話題に上がった少女ビッキーによって幾度かとんでもない場所に飛ばされた経験のある男たちは素直に同意し難かったが、この城にテレポート魔法を駆使出来る人物は他にない。気が進まないながら、それしか方法がないというならやむを得ないことだろう。
「青いのと赤いの……二人の誠を祝して、これは私からの心ばかりの品だ」
メイザースが気を集中すると、その掌に一冊の本が出現した。
「入れ替わりの事例について記されている。参考にするがいい」
「か……感謝します、メイザース殿」
誠意には誠意を返す慣習を持つ青騎士団長は本を受け取りながら頭を下げた。
「聞いたな、カミュー……心細いだろうが、ビッキー殿に賭けるしかない」
「ムムー……」
「大丈夫だ、おれがついている。何があってもおまえをこのままにはしておくものか」
大勢の見物人がいるのも忘れ、盛大に愛を確かめ合っている一人と一匹。メイザースは彼らを見守りながら、『愛とは美しいものだ』としきりに呟いていた。