ひとまず同盟軍の指導者ウィンと、仲間うちでも面倒見の良さで知られるビクトールとフリックに事情を打ち明け味方につけたマイクロトフは、愛する恋人の身体と格闘しつつ騎士服を身につけさせた。
着替えを終えた後に残ったのは、両肩で息を弾ませる青騎士団長と、着慣れない衣服に憤懣やるかたないといった表情の『ムクムク』、そして巻かれた『しんくのマント』によって自らの裸体を披露されることを回避し、安堵の溜め息をつく『カミュー』である。
「そ、それじゃあ……取り敢えず図書館にでも行ってみて、何かそれらしい文献を探してみないか?」
常識人らしい提案を述べるフリックに、ビクトールがやや不安げな眼差しを『ムクムク』に向ける。
「こいつも連れて行くのか?」
「一人にしておく方が不安ですぞ、ビクトール殿!!」
マイクロトフがキッと睨みつける。
確かに着替え一つ取ってみても苦慮する相手なのだ。放置しておいて、その隙にカミューの名誉に関わる所業を行われてはまらない、そうした懸念もあからさまな男の激情に異論を唱えられる者などいなかった。
「そうだね……ムクムク、一緒に来てもらえるかな?」
ウィンがにっこりすると、流石は幼馴染みの間柄、『ムクムク』は仕方なさそうに腰を上げた。普段、優雅きわまりない赤騎士団長の物腰を見慣れているマイクロトフらにとって、回ったり踊ったりしながら近寄ってくる青年の姿は頭痛を引き起こさずにはいない。
「ムクムクよ……頼むから回るのを止めろって」
「踊るのも止めていただきたい! カミューは……おれのカミューは、そのように落ち着きのない妙な男ではないのです!!!」
両側から訴えられて、『ムクムク』は改めて深々と考え込んだ。そこへウィンが畳み掛ける。
「ムクムク……ほら、カミューさんの仕草を覚えているだろ? 真似してごらんよ、君なら出来る」
善良な指導者の進言に、彼はしばし瞬いて、グッと親指を立てて見せた。それからふっと息を抜き、強烈な流し目を一同に送る。
「ムムーー!!! ムムムム、ム〜〜〜!!!」
むささびと化した哀れな赤騎士団長の悲鳴じみた鳴き声は、通訳なしでも男たちに理解出来た。
「これは……ご不満と見たぜ」
「ああ、おれもそう思う。『わたしはそんな色目など使いません』と抗議している気がする……」
「ムクムク……分かっていると思うけど、これは大変なことなんだよ? このままでいたら、君は赤騎士団長として騎士を率いて戦ったり、大事な会議に出席したり……そうしたことを求められるんだからね」
不評だった流し目の改良版に勤しんでいた『ムクムク』は、真面目な口調のウィンに初めて真剣な顔になった。そうすると端麗な美貌の赤騎士団長そのままであるので、一同の気持ちも引き締まる気がする。
だが、続いて彼はにまっと破顔した。締まりのない笑顔を浮かべつつ、『ムクムク』は嬉しそうにくるりと一回転した。
「な……何だか喜んでいるみたいだぞ」
「ムッ、ムム! ムム〜〜ッ、ム!」
胸を張って何事かを宣言している姿に、彼らは意見の一致をみる。
「……張り切っているようだ」
「冗談ではありませんぞ!!!」
マイクロトフが激昂して詰め寄った。
「騎士団長の責務が、経験のないむささびに果たせる筈がない! ムクムク殿、確かに貴君はむささび戦隊の隊長職を勤める身でありましょうが……マチルダを離反してこの地に集った我が部下たちを率いるだけの覚悟と才覚がおありか!」
「マイクロトフさん……」
「……むささび相手にムキになるなって」
「おめーの気持ちは分かるがよ……」
すっかり頭に血が昇ってしまった青騎士団長を左右前面から宥めすかし、一同は深い溜め息をつく。
困惑したような表情で見守っていた『カミュー』が、ふと小さく呟いた。
「ムム……ムムムムムムム?」
人間たちにはわからなかった言葉を耳にした途端、『ムクムク』はぎょっとしたように身を竦ませた。それから入れ替わってから初めて深刻そうに眉を寄せる。
「ん? カミューとムクムクは言葉が通じるのか……」
新たな発見にフリックが感心している。マイクロトフは怪訝そうに足元に立っていた『カミュー』を抱き上げて紙面を渡した。
「何と言ったのだ、カミュー?」
『カミュー』はペンを走らせる。相変わらず汚い文字が端的に答えていた。
『いままでみたいにあそべなくなる』────
「……なるほど」
「そりゃ、殺し文句だな」
一同はむささび型赤騎士団長の的確な指摘に感心しながら脱力した。
ようやく落ち着いて人間風味の態度を偽装するようになった『ムクムク』、そして未だに新しい身体に馴染めないのか、うまく動けない『カミュー』を抱いたマイクロトフ、そして半分は真面目な心配、残り半分は野次馬根性を隠せない三人は城内にある図書館へ向かった。
道中、幾度も奇異の視線が投げ掛けられるのを足早に進んでやり過ごし、ようやく建物に飛び込んだときには、それだけですっかり疲れている一同であった。
「あら、ウィンさん……それに皆さん、お揃いで。珍しいですわね」
図書館を与る司書、眼鏡の才媛エミリアが朗らかに声を掛ける。
「きゃあ、ムクムク君まで! マイクロトフさん、ちょっと抱かせてくださいな」
「え、しかし、あの」
ただでさえ女性の扱いが苦手な男は、あっという間にエミリアに『カミュー』を奪われてしまった。
「ああ、可愛い〜〜。どうしたの、布なんか巻きつけて……妙な格好をしているのね。それに今日は大人しいわね、いつもこうだとお姉さん嬉しいんだけどなあ」
確かに実年齢でも『お姉さん』ではあるエミリアだが、頬擦りするむささびの表情が何とも複雑であることには気付かない。
仲間たちの分析では、レディの腕に抱かれて愛撫されることは歓迎だが、身体が違っているため素直に喜ぶことも出来ずにいるらしい。
そのうちにマイクロトフの胸に嫉妬めいたものが生じた。恋する男の瞳には、カミューが乙女に抱かれて鼻の下を伸ばしているように見えるのだ。
「エ……ミリア殿、そろそろ返していただきたい。我らはこれから重要な調べものが有るのです」
小動物を愛玩して眦を下げていたエミリアも、不機嫌きわまりない男の声音には気付く。これは逆らわない方が良さそうだと判断したのか、急いでむささびをマイクロトフの腕に戻した。
「皆さんお揃いで、いったい何をお調べに……?」
男たちの視線が交わり、代表する形でウィンが進み出た。
「エミリアさん、何かの拍子に身体が入れ替わっちゃうといった類の本を知ってますか?」
「入れ替わり……? 物語なら結構見かけるけれど」
小首を傾げながら答えるのに、ウィンは慌てて首を振る。
「いえ、そうじゃなくて。実際にそういう事態に陥ったときの症例というか……解決策というか」
「そんなステータス異常を引き起こすモンスターでもいたのかしら?」
彼女は真摯に考え込み、手元の資料の山を探る。一同は期待を込めてしばらく待ったが、やがてもたらされたのは無念の答えだった。
「ごめんなさい……記録にはないわ……何なら他都市に問い合わせてみるけれど、ちょっと時間が掛かるわね」
「そうですか……」
がっくりと肩を落とす一同だ。こんな異常事態、一刻も早く打開しなければ、騎士団の士気にかかわる上にマイクロトフの血管も切れかねない。
溜め息混じりに顔を上げたウィンの視界に、ふと一人の男が映った。
がっしりとした体躯を地味な色合いの衣で包み、面白くもなさそうに本棚の背表紙を眺めている男。
何処となく尊大そうな素振りが苦手とされるのか、あまり親しく言葉を交わす者のいない大魔法使いメイザース。
ウィンの視線を追ったマイクロトフは、束の間の空白の後、一気にむささびを抱き竦めた。
「そうだ! あの方ならば、きっと……!!!」
言い捨てるなり、脱兎の如くメイザースに向けて駆け出す。
「あ、ちょっと……走らないでくださいな」
エミリアが顔をしかめるが、それにはビクトールが小声で詫びを入れていた。
「まー、大目に見てやってくれ。奴の一生が掛かっているんでな」
はて、と瞬く司書を残して一同はマイクロトフの後を追い掛けた。