受難の日


頭を抱えながらも事態を報告しない訳にはいかず、マイクロトフは部下を新同盟軍・指導者の元へ走らせた。指導者ウィンは丁度レストランで朝食を取っていたところで、同席していたビクトールとフリックと共に駆け込んできた。
「どうしたんです、急用って……」
「お呼びだてして申し訳ありません、ウィン殿」
生真面目に礼を取った上で、マイクロトフはこの朝幾度目か分からない溜め息を吐きながら事の次第を説明し始めた。事情が明らかになるにつれ、一同は唖然とするばかりだった。
「すると……」
「こっちのむささびがカミューで」
「カミューさんの方がムクムク?」
あんぐりと口を開いたまま、悄然と項垂れているむささびと、ベッドの上でバウンドして遊んでいるカミューを見比べた三人は、たまらず一斉に吹き出した。
「お、おめーら……色々やらかしてくれるが……また、今回のは何つーか……」
「ふ、不運でしたね、カミューさん……」
「い、いや、すまん……笑い事じゃないのは分かっているんだが」
分かっていながら笑いを止められない三人に途方に暮れた目を向けるマイクロトフは、次には火を吹きそうな勢いで断罪し始めた。
「真面目に考えてください! これは由々しき事態ではありませんか!! カミューが……おれのカミューが獣に変わってしまったのですぞ!!!」
叫んだ途端、マイクロトフの膝の上に乗っていたむささびは哀しげに男を振り仰ぐ。
「ムムー……」
何とも切なげな鳴き声に、マイクロトフははっと我に返った。
「い、いや……案ずるな、カミュー。獣であろうと、おまえはおまえ……我が心に何ら変わりがあろう筈はない」
言い置いて、ひしとむささびを抱き締める青騎士団長。いつもと同じ力加減に対処出来ないのか、小さなむささびは手足をばたつかせて苦しげであった。
もしかすると感動的するべき場面なのかもしれないが、見守る三人の仲間には喜劇の一部分にしか思えない。
「それはそうと……いったい何故、こんなことになっちまったんだ? 思い当たる節はないのか」
「あれば苦労はしません」
ビクトールの疑問に即答したマイクロトフは、尚も胸中で考えを巡らせていた。昨夜はカミューが疲れていたこともあり、残念ながら別々に就寝したのだ。こんなことになるのなら、無理にでも同衾を迫ってみれば良かったと後悔しきりである。
夜、僅かばかりのワインを共に楽しみ、自室に戻る直前に甘いくちづけを交わした。柔らかく官能をそそった唇が、今はオレンジ色の純毛に覆われている。その現実を思うと、さしもの青騎士団長も泣けてくるような脱力感を覚えずにはいられない。
「肉体の入れ替わりか……そんな魔法はあったかな」
同盟軍内でも有名な常識人らしく、フリックが真剣に考え出すが、誰も答えられるものはいない。
「ムッ、ムームームッ、ムム〜ッ」
「でもよ……魔法ったって、誰かが施さなきゃこうはならんだろうがよ。この城で、カミューとムクムクを入れ替えようとする奴がいるかあ?」
「ムームム、ム〜〜」
「そうですよね……しかし、敵の攻撃と考えるにはあまりにも……」
「ムムッ! ムムーーー」
「……………………やかましい!! カミュー、ちったあ静かにしろ!!」
「考えが纏まらないじゃないか!!」
くされ縁の二人が同時に叫んだ先は、相変わらず夜着のままベッドではしゃいでいた赤騎士団長の姿をしたものであった。だが、顕著な反応を示したのはマイクロトフの膝上のむささびで、彼は愕然としたようにぶんぶんと首を振った。
「ムム、ムムムムム……」
はたと気付いたビクトールは、大仰な溜め息をつきながら頭を掻いた。
「……だったな。こっちはムクムクか……」
「ああ、何てややこしいんだ……」
「ムクムク、少し静かにしてくれないかな? 君たちを元に戻すための大事な相談をしているんだから……」
ウィンが懇切丁寧に諭すと、ベッドの上にちょこんと座った『ムクムク』は神妙に頷いた。
「ムッ!」
「……どうやら分かってくれたみたいだな。しかし、言葉が通じないというのは困ったな」
眉を寄せるフリックに、ウィンが考えながら同意する。
「二人とも、こっちが言うことは理解出来るみたいですよね。ともあれ、状況把握には彼らの意見が必要なんじゃ……? せめて片方と通じれば、もう片方も何とかなるような気がするんだけど……」
そこでマイクロトフに抱かれていたむささびが姿勢を正した。何やら身振りで訴えようとしている。
「えーと……カミュー、何だ? 何が言いたい?」
四人の男たちは短い腕がぶんぶんと振り回されるのを解読すべく目を凝らした。
「……波がうねってる? いや……大きな山と谷か?」
「訳が分からないじゃないか」
ビクトールの意見にすかさずクレームをつけたフリックだが、むささびの動きはなかなか理解し難いものがある。
眉を寄せ、真剣な表情となった男たちに見守られながら、『カミュー』は必死に身振りを続けた。
「……! 筆談か? カミュー、筆談を希望しているのだな!」
「ムム〜〜〜!!!」
愛の力か、解読を果たしたマイクロトフが叫ぶなり、むささびは嬉しげに一鳴きして、ひしと彼にしがみついた。
「やー……流石に長い付き合いだな、マイクロトフ」
「そうか……むささびに入っちまっているが、これはカミューだからな、文字が書けるということか」
「凄いや、マイクロトフさん。僕、全然分かりませんでしたよ〜〜」
三者三様に感心している間に、マイクロトフは手を伸ばして机から筆記用具を取った。差し出すなり、むささびの手が不器用そうに筆を握る。普通の握り方には手が小さ過ぎるようであった。
『カミュー』はマイクロトフが支えた紙面に向けて、いとも真剣そのものの表情で筆を落とす。一同が息を詰める中、所謂『ミミズがのたくったような文字』が書き記されていった。
「う……こりゃ凄いな……ええと、ふ……?」
「ふ、か? おれにはそうは見えないが」
「いえ、やっぱり……ふ、ですよ。ふく……」
流麗だった赤騎士団長の筆跡を思い出し、マイクロトフがまたも涙にくれそうになったとき、ウィンが解読に成功した。
「『ふくがほしい』! 服が欲しいんですね、カミューさん!」
「ムーー!」
嬉しげな様子のむささびに、一同は絶句した。やがてフリックが呆然と呟く。
「そ、そうか……カミューからすれば、その格好は……」
「素っ裸みたいなもんだからなー!」
豪快に笑いながらビクトールが後を続ける。注目が集まる中、『カミュー』はむささびの基本装備である赤マントで必死に我が身を隠そうともがいていた。
「…………………………」

 

マイクロトフはカミューを愛している。
本当に心の底から、己のすべてを賭けて愛している。
だが、他に言いたいことはないのかという突っ込みを脳裏に浮かべてしまう程度には常識もあった。

 

「カミューさん……大丈夫、任せてください。ヒルダさんにでも頼んで、小型赤騎士団長服を用意しますから!」
どこまでも誠実で仲間思いの指導者は、小さなむささびの手を握り締めて確約する。
感動したように『カミュー』はつぶらな瞳を潤ませたが、マイクロトフはそんな彼を抱き下ろした。それから壁に掛けられた赤い騎士服一式から『しんくのマント』を抜き取り、むささびの身体をぐるぐると包んでいった。
「ム?」
「しばらくはこれで我慢しろ、カミュー。とにかく、元に戻ることを第一に考えてくれないか」
まるで形の悪いてるてる坊主のようにマントでくるまれた『カミュー』は、何故かうっとりしたような眼差しでマイクロトフを見上げている。
「……おまえの理性的な行動に感動しているらしいぞ、マイクロトフ」
ビクトールが正しいかどうか今ひとつ不明な解説を述べる。マイクロトフは喜んだものか否か悩みつつ、背筋を正した。
「では、ウィン殿。何とかこの不可思議を解決出来るよう、お力をお貸しいただけますか」
「勿論です、これは同盟軍にとっても重大な事件ですからね」
「よし、悩んでいてもしょうがない。早速行動開始といこうぜ」
「ムクムク殿。ともかく、まずは騎士服にお着替えください。異変を周囲に曝すわけにはいかない、貴君にはカミューを演じ抜いていただく」
一線を超えてしまったのか、マイクロトフは妙に冷静沈着に指示を与え始めた。その態度に首を傾げつつ、くされ縁と指導者は小声で言い合う。
「おい……どーしたんだ、あの野郎……やけにテキパキとしていやがるが」
「そりゃあ、相棒が苦難に陥っているんだ。真剣にもなるだろう」
「理性的なマイクロトフさん……何か、マイクロトフさんらしくないなあ……」
一方で、ベッド上では騒動が始まっていた。
「ム……ムクムク殿! それはカミューの身体なのですぞ! そのように大胆に脱がれては……ああっ、もっと恥じらいを持っていただかねば困ります!!」
大声に思わず視線を送った三人に、鋭い叱責が飛ぶ。
「見ないでいただきたい!!!」
────やはり、マイクロトフはマイクロトフだった。
「野郎同士なんだから、細かいこと気にするなよ……」
ぼやきながら一同はくるりと背を向けた。足元ではむささび型『カミュー』が溜め息をついていた。

 

 


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