「いったい、何故こんなことに……」
ベッドの上ではカミューの姿をしたむささびがコロコロと楽しげに転げ回って遊んでいる。完全に場所を占領されてしまったので、マイクロトフはベッドの傍らに椅子を引き寄せてがっくりと腰を落とした。
ふと気付けば足元にしょんぼりと立ち尽くす小さな物体がある。マイクロトフはしばし茶色の生き物を見詰め、それから優しく彼を抱き上げて膝に乗せた。
「カミュー……」
「ムー……」
見上げるつぶらな瞳。濡れ濡れと潤んでいるのを見ては二の句が告げない。
マイクロトフも大方の人間の例に洩れず、小動物には弱かった。ただでさえ庇護欲が描き立てられる上に、彼は愛しい恋人なのである。
『獣』という言葉が意識を過ぎらないではなかったが、取り敢えずマイクロトフはむささびをしっかりと抱き締めた。
「驚いただろう、カミュー……おれも相当驚いたが、おそらくおまえの比ではあるまい。目覚めたら別の身体に入っていたなど、不運としか言いようがないな」
むしろ不思議といった方が正しいのであるが、やはりマイクロトフも動揺している。けれど『カミュー』はもっと動揺しているので、些細な不備は気付かないらしい。
「こんなことになるのなら、やはり昨夜おまえと一緒に過ごせば良かった……」
日々の戦いに、昨夜のカミューは憔悴していた。短い時間、会話を楽しんだけれど、褥を別にしたことに慙愧の念が込み上げる。
もっとも、むささびと肉体が入れ替わってしまった原因が分からないので、愛の営みを交わしている最中に相手がムクムクになっていたかもしれない危険性はあったのだが。
「カミュー……心当たりはないのか?」
どうやら言葉は通じているようなので問い掛けてみると、むささびは哀しげに首を振った。
「貴君は如何です、ムクムク殿…………」
ベッドを振り返ったマイクロトフは、そこで夜着を剥ぎ取ろうともがいている最愛の恋人の姿に仰天した。
「な────何をしておられる!」
咄嗟のことながら、彼の愛は健在だった。膝のむささびを放り出すことなく、小脇に抱えてベッドに駆け寄り、露になった白い肌を上掛けで覆う。
「ム……ムクムク殿! それはカミューの身体なのですぞ!! 粗末に扱わないでいただきたい!!」
必死の懇願に、カミューの姿をした『ムクムク』は面倒くさそうに唸った。
無造作に両足を投げ出して大あくびをしている赤騎士団長の姿に泣けてきそうな脱力を覚えつつ、マイクロトフはふと気づく。小脇に抱えた『カミュー』が、自らの纏う赤マントで必死に身体を隠そうとしていることに。
「そ、そうか……その姿は裸のようなものだものな。気付かずにすまなかった、カミュー」
マイクロトフはそのまま壁に掛かった赤い騎士服に歩み寄り『しんくのマント』を取ると、むささびを床に下ろして身体を包み始めた。
「どうだ? 少々不格好ではあるが……裸よりはマシだろう?」
「ムー……」
さながら風呂敷でくるまったような我が身を見て『カミュー』は切なげに声を洩らしたが、一応肌が隠れたので安心したようだ。よちよちと歩き難そうに部屋を横切り、机の下に辿り着いて指をさす。
「ムム〜……ムムッ」
「……? 机がどうかしたのか……?」
マイクロトフは眉を寄せたが、机の足にへばりついてよじ登ろうとしているらしい『カミュー』にはっとする。背後から近寄って抱き上げると、茶色の指先が机上の紙面に向けられた。
「そうか……筆談を求めているのだな? そうだろう、カミュー!!!」
「ムッ!!!」
相変わらず言語は通じないが、そこは愛。
むささびの表情や声の調子で喜んでいることが理解出来る。早速マイクロトフは彼を机に乗せ、ペン先にインクを施して渡してやった。
『カミュー』は持ち難そうにペンを握り、紙面の空いた部分に文字らしきものを記し始めた。
「う……よ、読み難いな……。はやく……にんげんに……もど……? 『早く人間に戻りたい』……! 無論だとも!! おまえをいつまでも獣にしておくなど、騎士の恥!!!!」
────どのあたりが『騎士の恥』なのかはマイクロトフにも良くわからないが、取り敢えず強い決意を促す呪文のようなものだ。
彼は鋭い眼差しでベッド上の『ムクムク』を見遣った。どうもこの仲間、入れ替わった新しい身体が気に入ってしまっているようで、あちこち撫で擦っては悦に入っている。中身さえ考えなければ何とも悩ましい光景であるが、今のマイクロトフには縋りつくむささびの瞳の方が重要だった。
「ムクムク殿。カミューの身体を撫で回すのは止めていただきたい。それに……もう少し深刻になっていただけないだろうか」
「ム?」
途端に『ムクムク』はころんとベッドを転がり、鳴き喚きながら弾み始めた。あまりに獣じみた行動に呆然とするマイクロトフの上着を小さな手が引っ張る。意識を向けると、書面に新たな文字が書かれていた。
「……『いちどにんげんになってみたかったといっている』……だと? カミュー、彼の言葉が分かるのか?」
『なんとなく』
不器用そうな手文字によって、会話は非常にゆっくりと進む。だが、取り敢えずは双方との意志の疎通に支障がなかったことを安堵するマイクロトフだった。
「……お気持ちは分かりますが、これは非常事態であるということを御理解いただきたい。ムクムク殿、頼みます」
少しだけ冷静になって丁寧に頭を下げると、暴れていた赤騎士団長型『ムクムク』は弾むのをやめた。
「ムム〜…………」
「何だ……? 何と言っている?」
『たしかに、このからだはおもくていけない、といっている』
「な、なるほど」
小型で小回りの利く獣よりは、人型の肉体は動かすのに力がいるらしい。『ムクムク』は息を切らせてごろりとベッドに横たわった。
「とにかく……このままではつとめに支障を来たす。何より、精神上耐えられそうにない」
呟いたマイクロトフに『カミュー』は深々と同意を見せた。己の身体が奇声を発しながら転げまわっているのを目の当たりにしては、幾ら冷静沈着な赤騎士団長と言えども穏やかでいられよう筈もない。
「だが、おれ一人では手に負いかねる事態だ……カミュー、ウィン殿らに助力を求めても構わないか?」
『じじょうがじじょうだ、やむをえない』
溜め息をついて腕を組んだむささびを一瞥し、マイクロトフは苦笑しながらその頭を撫でた。子供にするような仕草に不満を浮かべる『カミュー』に向けて、彼は強く言い切った。
「案ずるな、カミュー。必ず……おまえの身体を取り戻す」