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55:東海道53次完全踏破の感想


東海道五十三次を歩く ”完全踏破の一人旅”の感想 
 (写真は岡部宿)
日本橋を出発したときは、京都は気の遠くなる様な先
にあり、果たして京都まで歩けるのか、ピンとこないし、
とても完全踏破の自信はありませんでした。


江戸時代の人々が、日本橋から京都まで、1日も休む
ことなく、13日間も歩き続けて踏破していたという
事実も、ピンとこないで、実感としては信じられません
でした。

そして、実際に、途中で、三度ほど挫折しかけました。

最初の挫折は、大磯から二宮の辺りで、私としては、
既に、日本橋から相当の距離を歩いたつもりだった
のに、未だ、小田原の手前とは・・・

京都なんて、夢のまた夢だな・・・
京都まで歩くなんて宣言しなきゃ良かったな〜・・・、
と後悔しました。

それが、京都まで歩けるという自信に変わったのは、
箱根峠を越えて、一日掛かりで長い箱根西坂を下り切り、
三島に着いたときでした。

多分、京都まで箱根以上の難所は無いだろう、だと
すれば、あとは、日にちさえ掛ければ、自ずから、
必ず京都に着く、という自信に変わりました。




そして、二度目の挫折は、静岡県の真ん中あたりです。
静岡県の海岸線の長さに、気が遠くなりそうになりました。


山頭火の句の”分け入つても 分け入つても 青い山”
を思い出して、私も一句、
”歩いても 歩いても いつまでたっても静岡県”(字余り)
未だ静岡県の先に、愛知県、三重県、滋賀県、京都府
と歩かないといけないのに・・・
永遠に静岡県から抜けられない様な気持になりました。

(上の写真は、「21:岡部宿(2011.10.28)」での筆者)
そして、最後の挫折は、異常寒波の到来する中での、
膝痛を抱えての鈴鹿峠越えでした。

この最後の難関・鈴鹿峠越えは、京都を目前にして、
ここまで来て、今更、止める訳にはゆかないと、
気力だけで、乗り越えました!

また、途中で、よく道に迷いました。
これは、旧東海道は、東海道に比べて、分岐点に表示が
無い場所が多いということが主な原因です。

しかも、地元の人に聞いても分からないこともありました。

更に、一人旅だったため、いったん思い込んでしまうと、
誤った道をどんどん歩いてしまう、という傾向があった
のも原因のひとつだったと思います。
2〜3人で歩いていれば、おかしいと誰かが気づき、もっと
早く引き返していただろうな、と思うことが度々あり
ました。

でも、途中で、腰痛と筋肉痛に襲われたときは、やはり、
一人旅の良さ、気楽さ・・・必要なだけ休み、体調が
良いときはハイピッチで距離を稼ぎました。

それから、空腹に悩ませれながらの踏破の様々な失敗を
踏まえ、常にオニギリを携帯することにしました。


東海道53次を完全踏破し終えて、振り返ってみると、
余りに長い期間だったので、何の目的で歩きだし、
何の収穫があったのか、いま一つはっきりとは想い
出せません。


思い返すと、夢の中を歩いていた様な気もします。

でも、約540キロを歩き通したという達成感と自信は、
確かに残りました。

車ではなく、歩いてみて初めて気がつく、ゆっくり
とした時間の流れ、旅行の楽しさがありました。
車の旅行では、見落としてしまう様な風景が多々
ありました。

旧東海道の全てを歩いて旅行するというのは、現代社会
においては、ある意味”究極の贅沢な旅”だった様な
気もします。

最後に、私のために時間を割いて頂いた、宿場毎の
親切な皆さん!
この郷土を愛する宿場の皆さん、それから、このブログ
にコメントを頂いた皆さんに支えられて、楽しい旅が
出来ました。
ありがとうございました。


ps.
このブログの続きは「ウォーク更家の散歩」
(http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie)をご覧下さい。

また、ホームページ「東海道五十三次を歩く」
(http://www.minedayo.com/)も、併せて、ごらん下さい。

更に、東海道五十三次に続いて、中山道も踏破中ですので、
こちらのホームページにもお立ち寄りください。
(http://www7b.biglobe.ne.jp/~akamine/)

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