東海道を歩く(39:知立宿) 11km
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(写真は、知立の松並木)
知立(ちりゅう)は、昔、池鯉鮒(ちりゅう)と書いたそうです。
江戸時代に、東海道三社のひとつであった知立神社の池を泳ぐコイやフナから
「池鯉鮒(ちりゅう)」宿の名前がついたそうです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0246.gif)
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う〜ん! 難しい! 読めません!
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そう言えば、年末のテレビの”何これ珍百景”で、池鯉鮒さんの読み方クイズをやっていました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
知立宿は、約500mの見事な「知立の松並木」から始まります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
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”並木八丁”と呼ばれる松並木の中ほどに、馬の像があります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0249.gif)
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江戸時代には、松並木で馬市が行われたそうです。
これは、広重も描いた馬市の開催地として有名だったからだそうです。
知立の松並木は、写真の様に、並木の外側に更に道があります。
これは、馬市の時に馬をつなぐためのスペースだったらしいです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0249.gif)
松並木を抜けると、旧東海道は、国道一号の地下道をくぐり、国道の北側から南側に移ります。
名鉄本線の支線である名鉄三河線の踏切を渡ると、知立宿
の商店街が始まります。
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ここで、知立名物焼き立ての白あんと黒あんの「あんまき」を買います。
上品なアンコで、甘さも程良く美味しいです。
旧東海道から少し南へ入った所に名鉄知立駅があり、本日はここで宿をとり、翌朝、8時前に
知立をスタートし、間宿である有松宿を経由して鳴海宿へ向かいます。
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翌朝、知立宿を抜けて、逢妻(あいづま)川を渡ると、国道1号と合流し、自動車や
電子部品などの工場が点在します。
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トラックの排気ガスに悩まされながら歩いていると、大きな音が工場のスピーカーから
”ラジオ体操第一”です!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
工員さん達の始業前の体操なのでしょうけど、懐かしい〜!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0146.gif)
更に、西へ歩いてゆくと、尾張の国と三河の国の国境である「境橋」がありました。
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川の土手で一休みして、水分を補給します。
川の土手に自転車を止めて、朝ご飯でしょうか、オジサンが、オニギリを頬張っています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0238.gif)
オジサンと目が合ったので挨拶をすると、これから得意先
回りを始めるところ、とのこと。
世間話をしたあとで、オジサンは、”今年は、ヒドイ年だったけど、来年は、あなたにとって、
良い年であります様に!”
と言って、自転車を漕いで行きました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0194.gif)
オジサン、ありがとう!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
国道一号との合流と分離を繰り返しながら、更に4キロ程進むと、急にトイレへ行きたく
なりました・・・
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この時期、昼間で晴れてはいても、風が身を切る様に冷たく、水分補給した水が汗で出る
ことはありません・・・
ちょうど、名鉄の前後駅の前後だったので(ダジャレ?)、駅のトイレを使おうかと思いましたが、
切符を買わないと中に入れません・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0209.gif)
駅の周りをウロウロしていると、駅の駐車場にトイレが・・・
助かった!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
この時期は、水分補給よりもトイレの確保が優先です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0200.gif)
前後駅から、更に、1キロ余り歩いて、名鉄本線のガードをくぐると、すぐ左手が、
桶狭間古戦場跡です。
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この周辺は、「桶狭間」の古戦場だったところで、整備された小さいけれども綺麗な公園に
なっていました。
歴史上、最も華麗な逆転劇と言われる「桶狭間の戦い」の場所です。
1560年、今川義元が率いる大軍2万5千に対し、約十分の一の軍勢で挑んだ織田信長が、
天候の急変を機に、この桶狭間で休息していた今川軍に奇襲をかけました。
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今川義元は、あっけなく戦死し、織田軍が圧勝します。
今川義元が、上の写真の木に、馬をつないで休息しているところを急襲され、討たれた
そうです。
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へ〜! その木が今も残っているんだ!
この古戦場跡公園に、今川義元の墓がありました。
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更に、1キロ程歩くと、岡崎宿と鳴海宿の中間に位置する有松宿に着きました。
知立宿から有松宿までは約9キロです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
(知立宿から鳴海宿まで約11キロです。)
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