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24-1:金谷


東海道を歩く (24-1:金谷宿・大井川) ---




(写真は大井川橋)

「箱根八里は馬でも越すが  越すに越されぬ大井川」として、箱根と並び、東海道の難所中の
難所である大井川越えです。

大井川を無事に越したら、金谷宿で「水祝い」をしたそうです。

大井川橋は、私の想像を超える長さで、写真の様に、歩道の向こうの端が見えません!

この川幅の広さに驚きます。

秋晴れの空の下、川風に吹かれながら、爽快な気分で大井川橋を渡ります!

大井川を渡り終わると、SLの大井川鉄道で有名な金谷宿に入ります。

以前に、SLに乗って奥大井湖上駅まで行き、寸又峡温泉に一泊したことがありますが、
非常に良かったのでお薦めです。

金谷宿は、下の写真の本陣跡の標示板などがある程度で、当時の宿場町の面影はそれほど
ありません。



暫く歩くと大井川鉄道の金谷駅があり、このガード下をくぐると、金谷坂の石畳が始まります。



金谷坂石畳は茶畑の中にあり、その意味では、これまでの人家や人影のない石畳ではなく、
茶畑だから、どこかに人はいるだろう、という安心感があります。

石畳道の入口に石畳茶屋がありますが、残念ながら月曜休業でした。



色んな施設は月曜休業が多いので、旅行計画をたてる時は要注意です。

案内板によると、金谷坂石畳は、平成3年に、町民参加で復元したそうです。

町民参加の土木作業というのはすごいですよね!

横浜では、市民に土木作業を呼び掛けるなんて無理ですね。

金谷坂を登り切って暫く茶畑を歩くと、諏訪原城跡の案内板がありました。



更に進むと、今度は、間の宿(あいのしゅく)の菊川宿の菊川坂石畳の下りの坂道が続きます。



この菊川坂の石畳も、平成13年の町民参加の復元だそうです。

またまた驚き!

この辺りの村は、平成になってから旧東海道の復元ブームでも迎えているのでしょうか?

金谷坂も菊川坂も、石畳というより、大きな丸い石ころの登り坂、という表現の方が正確で、
箱根越えを思い出します。

こんな石ころの登り坂は、雨の日は大変だったのでしょうね。



そういえば「東海道中膝栗毛」でも、この金谷坂越えの日は雨です。

”客を送った帰りだから安くするよ”と駕籠屋に勧められた喜多さんは、自分だけ、
次の日坂宿まで駕籠で行く事にします。

しかし、菊川坂で、巡礼姿の物乞いを追い払おうと、駕籠の中で力んだはずみに、駕籠の底が
抜けてしまします!

雨の中、菊川坂の途中で、どうしようもなく、駕籠屋は、自分達のふんどしを脱いで、駕籠の
周囲と抜けた底にふんどしを巻いて補強します。

白いふんどしで囲まれた駕籠の中の喜多さんは、”刑場送りの罪人みたいだ”と、弥次さんに、
からかわれ、怒って駕籠からおりてしまいます。

雨はますます激しくなり、二人は、金谷坂の坂道を何度もすべりながら日坂宿を目指します。




バスで行く東海道「第6回-2」(金谷宿〜日坂宿) 2012.915

「24:金谷宿」



 浮世絵は、大井川を渡る大名行列を金谷側から描いています。



上の写真は、金谷宿の本陣跡です。


・石畳茶屋

 抹茶アイス(500円)で一休みします。



 石畳の金谷坂を登ります。




・鶏頭塚



 案内板によると、大泥棒の日本左衛門が、このお堂の中で、夜の強盗の衣装に着替えた
 そうです。



 う〜ん!ホントかな〜・・・

次の写真は、金谷坂の芭蕉句碑です。

”馬に寝て 残夢月遠し 茶の畑”


 24-2:小夜の中山


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