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14:吉原


東海道を歩く (14:吉原宿) 11km



(写真は、左富士橋からの富士山)

JR東海道線・吉原→富士→富士川→新蒲原

有名な田子の浦は、JR吉原駅のすぐ南にありましたが、製紙工場地帯の港湾という感じで、
名勝の面影は全くありません。

また、吉原の町も、巨大な製紙工場地帯という感じで、私の吉原宿のイメージは、ほとんど
ありません。



早朝に、JR吉原駅をスタートしますが、東海道の新道と旧道の見分けがつかなくなって
きました。
どうも、東海道の新道を歩いている感じです・・・

慌てて、iPadで検索して、広重の描いた有名な左富士へ向かう分岐点まで戻ります。

(「左富士」の説明については「6:藤沢宿」の「南湖の左富士」を見てね。)



冒頭の写真は、ようやくたどり着いた左富士橋からの富士山の眺めです。



近くに左富士神社もありました。





富士市は、旧東海道の保存に不熱心なのでしょうか?

この辺りは、旧東海道の表示が全くありません!

再び歩き始めますが、また旧東海道から外れてしまった感じで、目的の江戸時代の
老舗旅館・鯛屋にたどり着きません。
旧東海道の入口を探して、行きつ戻りつ・・・



そのうちに面倒になってきて、鯛屋をパスしてどの道でも良いから、取り敢えず、富士川橋に
向かうことにしました。



やっと、富士川の土手にたどり着き、富士川橋の長い歩道を渡ります。





富士川は、東海道で最も急流で、江戸時代の旅人は、ここの舟渡しが非常に怖かった
そうです。

しかも、やっと橋が架かったのは大正時代で、明治時代迄、この舟渡しが続いたそうです。

でも、富士川は、水がとても綺麗です。



川風を受けながら、富士川橋の長い歩道を渡るのは、爽やかで非常にイイ気分です!



富士川を渡り、JR富士川駅まで来ると、お昼過ぎになりお腹が空いてきました・・・

駅の周りの食堂を探しますが、食堂はおろか、コンビニの1軒もありません!
しまった!
吉原のコンビニでおにぎりを買っておけば良かった。

今日は昼飯抜きになるのでしょうか・・?

トホホ・・・



旧東海道は、一度、東名高速をくぐり、次に、東名高速の上の橋を渡ると、正面に海が見える
急な下り坂になり、海に突き当たって、右に進むと間もなく蒲原宿の入口です。



吉原宿から蒲原宿まで約11キロです。


バスで行く東海道・第4回 (沼津宿〜興津宿) 2012.6.28


「14:吉原宿」



浮世絵の街道は、緩やかなカーブを描いていて、左手の松の影に「左富士」が見えます。

”吉原”の地名は、江戸の吉原と同じで、一面にヨシ(葦)が生えた沼地だったことを意味するそうです。



写真は、平家越えの碑です。

源平の戦いで富士川と浮島沼の接する辺りに陣取った平家の大軍は、飛び立った水鳥の音に驚き、
戦わずに逃げ帰ったので、清盛が激怒したそうです。

NHK大河ドラマで出てきましたね。

東海地方は、江戸時代に何度も大地震と津波に襲われており、この吉原も、3回も、その都度、
宿場町が海岸から内陸へ移動したそうです。



 13:原
15:蒲原

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