![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/11/febfe444950bfc6ea6f26bab5b5dd67a.jpg)
(写真は浦島太郎の墓)
未だ暑さが過酷なため、旧東海道沿いのウォーキングもなかなか
進みませんが、川崎宿から続けます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fine_sim.gif)
川崎→鶴見→新子安→東神奈川
多摩川の二子橋を渡ると直ぐに旧東海道の碑があります。
その碑に従い、道を右折するともう川崎宿です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0146.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0146.gif)
の歌で有名な川崎宿の入口にあった万年屋跡を探します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/55/ec8cfa804bce8ba0561dffe0ecd1a37b.jpg)
(土山宿伝馬館展示品「米まんじゆう」)
当時、本来は本陣で食事すべき大名も、本陣での食事を止めて万年屋に
食事に立ち寄る程の大旅籠だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
旅籠の跡を見たいと思い期待したのですが、残念ながら、道沿いに
下の写真の説明板があるだけでした!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0c/12/1a97e1d6b4b711d56343afb95f2fef33_s.jpg)
川崎から鶴見へと向かい、鶴見川に架かる鶴見橋を渡ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0246.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5d/c3/6c4fffbaa02c75ba4970c9d488baae53_s.jpg)
旧東海道沿いに、寺尾稲荷道の道標複製や身禄道などの説明板が続きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1c/4b/fc7c9287ab2158d2eb7dfd75b1202016_s.jpg)
更に進むと、生麦街道(旧東海道)に入ります。
江戸時代の名残はありませんが、道幅が広く、しかも自動車がほとんど
走っていないので、快適なウォーキングです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0140.gif)
やがて左手に生麦のキリンビール工場があり、その前に、有名な生麦事件の
碑があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/beers.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
更に歩くと、京急子安駅の近くに浦島丘という地名があり、以前から
浦島太郎と関係があるという話を聞いていました。
しかし、今回のウォーキングで、な・・何と!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0199.gif)
京急子安駅の北の坂の上にある蓮法寺の境内に、冒頭の写真の
浦島太郎の墓?を発見!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
案内板によると、竜宮城から帰った浦島太郎は、その間に300年が
経っていたことに絶望し、玉手箱は開けないで、両親の生まれ故郷の
この神奈川の海岸から、再び竜宮城へ戻った、とあります。
驚き!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
川崎宿から神奈川宿まで約10キロです。