本文へジャンプ
02:川崎




(写真は浦島太郎の墓)

未だ暑さが過酷なため、旧東海道沿いのウォーキングもなかなか
進みませんが、川崎宿から続けます。

川崎→鶴見→新子安→東神奈川

多摩川の二子橋を渡ると直ぐに旧東海道の碑があります。

その碑に従い、道を右折するともう川崎宿です。

お江戸日本橋 七つ立ち〜、初上り〜♪ 

六郷あたりで 川崎の万年屋〜、鶴と亀との 米まんじゆう〜♪

の歌で有名な川崎宿の入口にあった万年屋跡を探します。



(土山宿伝馬館展示品「米まんじゆう」)

当時、本来は本陣で食事すべき大名も、本陣での食事を止めて万年屋に
食事に立ち寄る程の大旅籠だったそうです。

旅籠の跡を見たいと思い期待したのですが、残念ながら、道沿いに
下の写真の説明板があるだけでした!



川崎から鶴見へと向かい、鶴見川に架かる鶴見橋を渡ります。



旧東海道沿いに、寺尾稲荷道の道標複製や身禄道などの説明板が続きます。



更に進むと、生麦街道(旧東海道)に入ります。

江戸時代の名残はありませんが、道幅が広く、しかも自動車がほとんど
走っていないので、快適なウォーキングです。

やがて左手に生麦のキリンビール工場があり、その前に、有名な生麦事件の
碑があります。

更に歩くと、京急子安駅の近くに浦島丘という地名があり、以前から
浦島太郎と関係があるという話を聞いていました。

しかし、今回のウォーキングで、な・・何と!

京急子安駅の北の坂の上にある蓮法寺の境内に、冒頭の写真の
浦島太郎の墓?を発見!

案内板によると、竜宮城から帰った浦島太郎は、その間に300年が
経っていたことに絶望し、玉手箱は開けないで、両親の生まれ故郷の
この神奈川の海岸から、再び竜宮城へ戻った、とあります。
驚き!

川崎宿から神奈川宿まで約10キロです。


バスで行く東海道・第1回 (日本橋〜神奈川宿) 2012.3.31

「2:川崎宿」



当時、多摩川には橋が掛かっていませんでした。

浮世絵は、対岸の川崎宿へ向かうために多摩川を船で渡る「六郷の渡し」
です。


川崎の繁華街から京急・八丁畷(はっちょうなわて)駅まで、旧東海道は、
写真の様に、真っ直ぐな一直線の道です。



畷は”まっすぐな長い道”を意味するそうで、八丁畷は、1丁=1町=約110m
として、約900mの真っ直ぐな道ということらしいです。

八丁畷(はっちょうなわて)駅の手前の右側に、芭蕉の

”麦の穂を たよりにつかむ 別れかな”

の碑があります。

(風にも揺れる頼りない麦の穂を頼って歩く、旅立ちの別れであるよ。)

この当時の芭蕉は、頼りにならない麦の穂に頼らざるを得ない程に弱っていて、
この5カ月後に大阪で亡くなります。



芭蕉が故郷の伊賀へ帰る最後の旅で、江戸に於ける最後の句だそうです。

生麦事件の碑は、昨年、私が歩いた時から、場所が移り、碑の囲いも
写真の様に新しく作り直されていました。

(工事のため仮移転。)



生麦事件は、幕末の動乱期に起こった外国人殺傷事件で、賠償問題から
薩英戦争にまで発展しました。

イギリス人が馬に乗って、生麦村を通りかかった際に、大名行列を避ける
ことなく通り過ぎたため薩摩藩の藩士達は、そのイギリス人を惨殺してしまい
ました。
 

その後、薩摩藩は膨大な賠償に耐えながらも切りつけた藩士らを守り通します。

また、同時に、欧米の力を知り、イギリスとの関係を深め、倒幕へと舵を
切ります。

生麦事件に関与した海江田信義らの藩士は、維新後、明治政府の要人として、
近代国家の礎づくりを担ったそうです。

再び 東海道を歩く (02:「かわさき宿交流館」) 2013.10.3



(写真は、今月オープンした「川崎宿交流館」)

街道歩きが私の趣味だと知っている知人から下記の新聞記事の切り抜きを頂きました。



今月1日に、川崎駅の近くにオープンした「東海道かわさき宿交流館」の記事です。

新聞記事を頼りに、早速行ってみました。





下の写真の宿交流館は、旧東海道に面した4階建てで、3階までが無料の展示室、4階が
有料の集会室です。





(月曜休館:9:00〜5:00)

川崎宿は、旅籠(庶民のための食事付旅館)が70軒以上あり、また川崎大師の参拝客でも
大いに賑わったそうです。

館内では、江戸時代の川崎の宿場町の様子、当時の旅の紹介、現代までの川崎の移り変わりを
展示しています。



交流館は、旧東海道沿いにありますので、東海道ウォ−キングの際は、立ち寄り必須の場所です。


1階は、当時人気だった茶屋「万年屋」を再現した上の写真の「お休み処」で、そこの畳に座って、
江戸時代の川崎宿を紹介した映像を見る事が出来ます。



(宿場町の模型)



2階は、当時、川崎宿で起きたさまざまな事件・物語を、タッチパネル式の映像や模型などで、
分かり易く紹介する装置が並んでいて、江戸時代の川崎宿を体感出来ます。



芭蕉の麦穂の別れのシーン、六郷の渡し、万年屋などで繰り広げられた物語などをデジタル映像
で面白く紹介しています。




(芭蕉の麦穂の別れ)

⇒「麦穂の別れ」については、上記のの「川崎宿」をご覧下さい。



(万年屋)



(問屋場)

東海道中膝栗毛では、「万年屋」で、喜多さんが、奥の床の間にかかっている掛け軸の
「鯉の滝のぼり」を見て、”鮒がそうめんを食っている”絵だと思った、と言って笑わせます。


東海道中膝栗毛 (21世紀によむ日本の古典 18)
谷 真介
ポプラ社

また、弥次さん喜多さんが「万年屋」の「奈良茶飯」を食べたことで、当時、
「万年屋の奈良茶飯」は全国的に有名になり、大名も奈良茶飯が食べたくて、
本陣をキャンセルして、万年屋に宿泊した程だったそうです。





交流館の売店で、写真の川崎宿名物「奈良茶飯」(950円)を売っていたので、
私も早速買って帰って食べてみました。



あずきと炒った大豆が混ざっていて、赤飯の食感ですが、赤飯よりももっと
複雑な味で、風味豊かで香ばしく、すごく美味しいです!



更に、下の写真の様な、旅人や飛脚の衣装での「記念撮影スポット」もあります。

(無料)



3階は、10月27日までの特別展示として、「広重・東海道五十三次展」で
シリーズ全55図の展示をやっています。



また、交流館の斜め前には、写真の「砂子(いさご)の里資料館」(無料)があり、
今月26日(土)まで、「浮世絵に見る世界遺産・富士山」展をやっています。


01:品川へ
03:神奈川へ
               00:目次へ戻る