再び東海道を歩く(01:品川) 2013.4.10
(写真は、江戸時代の海岸線を示す街道沿いの民家の石垣)
田町、品川に所用があり、出掛けたついでに、旧東海道の品川宿を中心に、再び歩いてみました。
半日かけてじっくりと見物して歩いたので、新たな発見がたくさんありました。
一人旅のときは、歩く距離を稼ぐことに集中していましたし、バス旅行の時はポイントを絞った
見学でした。
再び、時間をかけてじっくりと歩いてみて、品川宿が、現在の東京に、いかに宿場町の面影を
強く残しているか、気付きました。
JR田町駅の手前、第一京浜(旧東海道)沿いの左手の三菱自動車本社前に「西郷・勝会見の地」
の碑があります。
官軍の江戸城総攻撃を目前にひかえた1868年)、東征軍参謀・西郷隆盛と、徳川家陸軍総裁・
勝海舟の会談が、ここ田町の薩摩藩邸で行われました。
この会見で、江戸城の無血開城が決められたことにちなんで建てられた碑です。
下のレリーフは、左が西郷隆盛、右が勝海舟です。
第一京浜(旧東海道)のJR田町駅と品川駅の中間くらいの左手、札の辻の交差点を過ぎると、
こんもりとした一里塚のようなものが見えて来ます。
これが「高輪大木戸跡」です。
江戸全体の治安維持のため、江戸の南の入口として設けられた木戸で「大木戸」と呼ばれ、
当時は、街道の両側に石垣が築かれていましたが、現在は海岸側の石垣のみが残っています。
当時は、明け方六ツ(朝6時)に開き、暮れ六ツ(夕方6時)に閉じて、治安の維持と交通規制の
役割を果たしていました。
江戸を発つ旅人の見送りは、ここで行われるのが一般的で、茶店が多くあったそうです。
品川の八ツ山橋から、大森の鈴が森までの約4キの間は、現在も、江戸時代のままの
旧東海道の道幅で、都心では珍しく、江戸時代の雰囲気をそのまま残しています。
それに、品川宿には、下の数々の写真の様に、ウォーキングの人のための綺麗なトイレが
至る所に完備しているので、安心して散策で来ますヨ!
・品川宿の入口
JR品川駅の前の第一京浜に沿って、左へ真っ直ぐ進むと、やがて、左手に品川宿の入口の
八ッ山橋があります。
八ッ山橋には、品川宿を示す手書きのローマ字の案内板が・・・
(八ッ山橋の下には、山手線、東海道線、京浜東北線、横須賀線、新幹線が走っています。)
・品川浦
かって品川宿の一帯は、漁業が盛んで、寿司や天ぷらのネタに好まれる江戸前の魚が
水揚げされ、海苔の産地としても有名でした。
・お休み処(駄菓子屋)
次の写真は、町の有志で運営する品川宿の休憩所です。
(無料)
1階が駄菓子屋兼休憩所、2階が品川宿の資料室になっています。
駄菓子屋のおばさんに断って、ここで、しながわ観光協会発行の品川宿の案内地図・パンフレット
(無料)を貰い、これを見ながら品川宿の探索をスタートします。
・海沿いの石垣
現在の海岸は、旧東海道から、はるか彼方にありますが、江戸時代には、品川宿は、海に面した
宿場町でした。
その証拠が残っていました。
街道沿いの海側の民家の裏に回ってみりと、写真の様に石垣になっいます。
これは、江戸時代に、海岸沿いに組まれていた石垣が、そのまま残っているのだそうです!
驚き!
上の写真の広重の浮世絵は、大名行列の最後尾が、品川宿にさしかかったところです。
この絵の様に、品川宿からは、旧東海道は海沿いの道だったのです!!
街道沿いの海側の民家の裏の石垣から先は、江戸時代は海だった訳ですが、大正時代から
旧ピッで埋め立てられ、工業地帯となりました。
しかし、この工業地帯も、現在は、高層オフィスビル、マンション群へと急変貌しつつあります。
・問答河岸跡
三代将軍・徳川家光とタクアンの発明で有名な沢庵和尚が禅問答を行った場所です。
このあと沢庵和尚は、徳川家光の要請で、この品川宿に東海寺を開山しました。
・鯨塚
利田神社の横に、江戸時代に品川沖に迷いこんだ18メートルもの鯨の骨を葬った塚があります。
品川沖に鯨が来たのは、江戸時代の町民には大事件だったそうで、かわら版も出て大騒ぎに
なったそうです。
「寛政の鯨騒動」として、ゾウ・ラクダと並んで、「江戸三大動物事件」に数えられ、将軍・徳川家斉
に上覧するために、浜離宮にこの鯨を運び込んだそうです。
その後、この鯨は品川海岸に戻されたので、見物船の船賃が日々上昇、品川宿は大いに潤った
そうです。
・本陣跡と聖跡公園
本陣跡は、現在は、明治天皇が休息されたという聖跡公園となっています。
・品川橋
品川橋は、目黒川に架かる北品川宿と南品川宿を分ける橋です。
・荏原神社
目黒川沿いにある品川の鎮守で、奈良時代の創建、神輿を海にくりだす勇壮なかっぱ祭りで
有名だそうです。
・海徳寺
1751年の創建当時の資材を再利用して、平成19年に再建されたそうです。
・街道松の広場
東海道の浜松宿から寄贈された松だそうです。
・天妙国寺
歌舞伎で有名な切られ与三郎とお富、浪曲の桃中軒雲右衛門などの大勢のスーパースターの
墓があるお寺として有名で、将軍家の保護を受けていたそうです。
・旅籠・釜屋跡
新撰組の定宿であった釜屋の跡です。
・松岡畳店
写真の畳店は、宿場町時代から続くお店だそうです。
江戸時代は、海岸に面していたので、強い浜風を防ぐため、低い二階構になっているそうです。
・江戸六地蔵の品川寺
ジュネーブ市と品川宿の友好のきっかけとなった洋行帰りの鐘で有名な品川寺では、
高さ4.8メートルの江戸六地蔵が、街道の安全を見守ります。
六地蔵は、六道地蔵のことです。
六道とは、死後に生まれ変わる六つの世界のことです。
仏教では「六道輪廻(ろくどうりんね)」といい、人は亡くなったあと、六つの世界※のどこかに
生まれ変わり、これを繰り返す、と考えられています。
※地獄(激しい苦しみの世界)→餓鬼(飢えと渇きの世界) →畜生(弱肉強食の動物の世界)
→修羅(争いの絶えない世界)→人間→天(神々の世界)
この六道で苦しむ人々を救ってくれるのが地蔵菩薩なのです。
・海雲寺の千躰荒神の奉納額
このお寺は、火と水の神である千躰荒神を祀るお寺で、お寺の本堂の内部には、写真の様に、
色彩鮮やかな千躰荒神の額が奉納されています。
また、境内には、拾った財布を正直に持ち主に返したために、乞食仲間に殺されてしまった乞食の
平蔵を供養するための平蔵地蔵があります。
・山内容堂の墓
街道を右に折れ、京浜急行の高架をくぐり、第一京浜の信号を渡り、大井公園の入口を左折して、
緩やかな坂を上り、更に急な階段を上り詰めると、第一京浜を見下ろす崖の上に、山内容堂
(豊信)の墓がありました。
そう、福山雅治が主役を演じた NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」で近藤正臣が演じたあの
土佐藩主・山内容堂の墓です。
でもその土佐の主君の墓が、高知県ではなく、何故、品川宿に?
品川は、便利な場所ですので、皆さん、休日とかに、旧東海道の品川宿を気楽に散策されては
如何でしょう?
移り変わりの激しい現在の東京に、江戸の宿場町の面影を色濃く残す品川宿の散策は、
絶対にお薦めです!!
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