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01:品川


東海道を歩く (1:品川宿)10km



(写真は旧東海道沿いのトイレ)

未だ暑い日々が続きますが、旧東海道沿いのウォーキングを品川宿からスタート
します。

品川→大井町→大森→蒲田→川崎

JR品川駅の高輪口側の国道15号を暫く歩くと、八ツ山橋を越えて、国道15号の
左前方に細く伸びている細い道が旧東海道です。

旧東海道は、今も江戸時代の道幅らしく、車道と歩道が色分けされていて、
車は少なく、すごく歩き易いです。



江戸時代は、旧東海道は海岸沿いの道だったそうで、海岸線らしき道のカーブも
趣があります。

道の両側には、由緒ありげなお寺が続きます。

通りは、どことなく江戸時代の雰囲気を残していて、これを町興しの起爆剤に
しようという商店街の意気込みが、冒頭の写真からも分かると思います。

冒頭の写真左が土蔵風のトイレで、写真右がオシャレな「品川宿場通り商店街」
の名前入りの電柱です。

旧東海道は、北品川本通り商店街⇒品川宿場通り商店街⇒青物横町商店街
⇒鮫洲商店街 と切れ間なく続きます。





大森に入り、細い道の旧東海道が国道15号(東海道)と合流する地点に、
鈴が森処刑場跡があります。



八百屋お七は、下の石の丸い穴に鉄柱を立て、足下に薪を積み、縛り付けて
生きたまま焼き殺されました。



国道15号(東海道)に合流したあとは、平和島入口を過ぎて多摩川まで、
片道4車線の単調な第一京浜(国道15号)沿いにひたすら歩きます。

この間は、中層マンションと会社ビルが続きます。

歩道と自転車道に分かれていて歩き易いですが、排気ガスがすごいので健康に
悪そう・・・

蒲田駅の辺りまで来ると異様な光景が!

交差点の上の見上げる様な異常な高さに駅のホームが!

線路の上下線が二段になって異様な高さの建造物が・・・

大変な事になっています!!

隣のビルの8階の高さに改札口があるので、道路の1階から8階まで超長い
エスカレーターが出来るのでしょうか

”地図に残る仕事”と書かれた大看板が!



なるほど! こりゃ、この巨大構築物は、どう見ても地図に残りますよ!

「京急蒲田駅付近立体交差事業」とあります。



国道15号(東海道)は、交差点の地下に潜るのでしょうか、

国道15号の分離帯の工事が続いています。

単調な国道15号を更に、ひたすら歩いて多摩川に着きました。

多摩川の六郷の渡しは、江戸時代には渡し舟だったそうです。

多摩川の二子橋を渡ると川崎宿です。



品川宿から川崎宿まで約10キロです。


バスで行く東海道・第1回 (日本橋〜神奈川宿) 2012.3.31




「1:品川宿」

当時、浮世絵の様にJR品川駅の前は海でした。京急・北品川駅の前から始まる
現在の旧東海道は、海沿いだったそうです。





下の写真は品川寺(ほんせんじ)とその梵鐘です。





この鐘(梵鐘 )は、徳川家綱の寄進ですが、幕末に海外へ流出しパリ万博に
展示された後、所在不明となっていました。

その後、スイス・ジュネーブの美術館で発見され、同市の好意により品川寺に返還
されました。

それが縁となり、品川区とジュネーヴ市は友好都市となったそうです。
下の写真は、大森・鈴ケ森です。



八百屋お七を何とか救おうと、役人は、”お前は14歳だよな”と聞きますが、

”いいえ、15歳です。”と答えたために、火あぶりの刑に処せられてしまいます・・・



(八百屋お七が縛り付けられた鉄柱を差し込んだ石の丸い穴)





再び東海道を歩く(01:品川)  2013.4.10



(写真は、江戸時代の海岸線を示す街道沿いの民家の石垣)

田町、品川に所用があり、出掛けたついでに、旧東海道の品川宿を中心に、再び歩いてみました。

半日かけてじっくりと見物して歩いたので、新たな発見がたくさんありました。



一人旅のときは、歩く距離を稼ぐことに集中していましたし、バス旅行の時はポイントを絞った
見学でした。

再び、時間をかけてじっくりと歩いてみて、品川宿が、現在の東京に、いかに宿場町の面影を
強く残しているか、気付きました。


JR田町駅の手前、第一京浜(旧東海道)沿いの左手の三菱自動車本社前に「西郷・勝会見の地」
の碑があります。





官軍の江戸城総攻撃を目前にひかえた1868年)、東征軍参謀・西郷隆盛と、徳川家陸軍総裁・
勝海舟の会談が、ここ田町の薩摩藩邸で行われました。

この会見で、江戸城の無血開城が決められたことにちなんで建てられた碑です。

下のレリーフは、左が西郷隆盛、右が勝海舟です。



第一京浜(旧東海道)のJR田町駅と品川駅の中間くらいの左手、札の辻の交差点を過ぎると、
こんもりとした一里塚のようなものが見えて来ます。



これが「高輪大木戸跡」です。



江戸全体の治安維持のため、江戸の南の入口として設けられた木戸で「大木戸」と呼ばれ、
当時は、街道の両側に石垣が築かれていましたが、現在は海岸側の石垣のみが残っています。



当時は、明け方六ツ(朝6時)に開き、暮れ六ツ(夕方6時)に閉じて、治安の維持と交通規制の
役割を果たしていました。

江戸を発つ旅人の見送りは、ここで行われるのが一般的で、茶店が多くあったそうです。

品川の八ツ山橋から、大森の鈴が森までの約4キの間は、現在も、江戸時代のままの
旧東海道の道幅で、都心では珍しく、江戸時代の雰囲気をそのまま残しています。




それに、品川宿には、下の数々の写真の様に、ウォーキングの人のための綺麗なトイレが
至る所に完備しているので、安心して散策で来ますヨ!















・品川宿の入口



 JR品川駅の前の第一京浜に沿って、左へ真っ直ぐ進むと、やがて、左手に品川宿の入口の
 八ッ山橋があります。
 
八ッ山橋には、品川宿を示す手書きのローマ字の案内板が・・・

(八ッ山橋の下には、山手線、東海道線、京浜東北線、横須賀線、新幹線が走っています。)

・品川浦



 かって品川宿の一帯は、漁業が盛んで、寿司や天ぷらのネタに好まれる江戸前の魚が
 水揚げされ、海苔の産地としても有名でした。

・お休み処(駄菓子屋)

 次の写真は、町の有志で運営する品川宿の休憩所です。

(無料)

 1階が駄菓子屋兼休憩所、2階が品川宿の資料室になっています。



 駄菓子屋のおばさんに断って、ここで、しながわ観光協会発行の品川宿の案内地図・パンフレット
 (無料)を貰い、これを見ながら品川宿の探索をスタートします。





・海沿いの石垣



 現在の海岸は、旧東海道から、はるか彼方にありますが、江戸時代には、品川宿は、海に面した
 宿場町でした。
 その証拠が残っていました。
 
街道沿いの海側の民家の裏に回ってみりと、写真の様に石垣になっいます。
 
これは、江戸時代に、海岸沿いに組まれていた石垣が、そのまま残っているのだそうです! 
驚き!



 上の写真の広重の浮世絵は、大名行列の最後尾が、品川宿にさしかかったところです。
 
 この絵の様に、品川宿からは、旧東海道は海沿いの道だったのです!!
 
街道沿いの海側の民家の裏の石垣から先は、江戸時代は海だった訳ですが、大正時代から
旧ピッで埋め立てられ、工業地帯となりました。

 しかし、この工業地帯も、現在は、高層オフィスビル、マンション群へと急変貌しつつあります。

・問答河岸跡
 
三代将軍・徳川家光とタクアンの発明で有名な沢庵和尚が禅問答を行った場所です。
 このあと沢庵和尚は、徳川家光の要請で、この品川宿に東海寺を開山しました。



・鯨塚



 利田神社の横に、江戸時代に品川沖に迷いこんだ18メートルもの鯨の骨を葬った塚があります。




 
品川沖に鯨が来たのは、江戸時代の町民には大事件だったそうで、かわら版も出て大騒ぎに
なったそうです。

 「寛政の鯨騒動」として、ゾウ・ラクダと並んで、「江戸三大動物事件」に数えられ、将軍・徳川家斉
 に上覧するために、浜離宮にこの鯨を運び込んだそうです。

 その後、この鯨は品川海岸に戻されたので、見物船の船賃が日々上昇、品川宿は大いに潤った
 そうです。

・本陣跡と聖跡公園

 本陣跡は、現在は、明治天皇が休息されたという聖跡公園となっています。





・品川橋

 品川橋は、目黒川に架かる北品川宿と南品川宿を分ける橋です。



・荏原神社



 目黒川沿いにある品川の鎮守で、奈良時代の創建、神輿を海にくりだす勇壮なかっぱ祭りで
有名だそうです。







・海徳寺



 1751年の創建当時の資材を再利用して、平成19年に再建されたそうです。

・街道松の広場



 東海道の浜松宿から寄贈された松だそうです。

・天妙国寺



 歌舞伎で有名な切られ与三郎とお富、浪曲の桃中軒雲右衛門などの大勢のスーパースターの
 墓があるお寺として有名で、将軍家の保護を受けていたそうです。



・旅籠・釜屋跡



 新撰組の定宿であった釜屋の跡です。



・松岡畳店

 写真の畳店は、宿場町時代から続くお店だそうです。
 
江戸時代は、海岸に面していたので、強い浜風を防ぐため、低い二階構になっているそうです。



・江戸六地蔵の品川寺





 ジュネーブ市と品川宿の友好のきっかけとなった洋行帰りの鐘で有名な品川寺では、
 高さ4.8メートルの江戸六地蔵が、街道の安全を見守ります。

 六地蔵は、六道地蔵のことです。



六道とは、死後に生まれ変わる六つの世界のことです。



 仏教では「六道輪廻(ろくどうりんね)」といい、人は亡くなったあと、六つの世界※のどこかに
 生まれ変わり、これを繰り返す、と考えられています。

 ※地獄(激しい苦しみの世界)→餓鬼(飢えと渇きの世界)  →畜生(弱肉強食の動物の世界)
   →修羅(争いの絶えない世界)→人間→天(神々の世界)

 この六道で苦しむ人々を救ってくれるのが地蔵菩薩なのです。

・海雲寺の千躰荒神の奉納額



 このお寺は、火と水の神である千躰荒神を祀るお寺で、お寺の本堂の内部には、写真の様に、
 色彩鮮やかな千躰荒神の額が奉納されています。




 
また、境内には、拾った財布を正直に持ち主に返したために、乞食仲間に殺されてしまった乞食の
平蔵を供養するための平蔵地蔵があります。



・山内容堂の墓



 街道を右に折れ、京浜急行の高架をくぐり、第一京浜の信号を渡り、大井公園の入口を左折して、
 緩やかな坂を上り、更に急な階段を上り詰めると、第一京浜を見下ろす崖の上に、山内容堂
 (豊信)の墓がありました。





 そう、福山雅治が主役を演じた NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」で近藤正臣が演じたあの
 土佐藩主・山内容堂の墓です。
 でもその土佐の主君の墓が、高知県ではなく、何故、品川宿に?

品川は、便利な場所ですので、皆さん、休日とかに、旧東海道の品川宿を気楽に散策されては
如何でしょう?

移り変わりの激しい現在の東京に、江戸の宿場町の面影を色濃く残す品川宿の散策は、
絶対にお薦めです!!

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