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バスで行く「奥の細道」(その9) ( 「実方中将の墓」)  (宮城県 ) 


 

(写真は、ぬかるみ道のため「実方中将の墓」へ行くのを断念する芭蕉と曽良 )


前回の「医王寺」に続き、今回は「実方中将の墓 」です。

平安時代中期の公家「藤原実方(さねかた)」は、36歌仙の一人で、「小倉百人一首」にも名を
連ねる和歌の名人です。

なかなかの美貌の持ち主で、かの清少納言をはじめ、20人以上の女性と関係があったとも言われ、かなりのプレイボーイだったみたいです。
驚き!

光源氏のモデルとして、一番有名なのは、前回ご紹介した「もじ摺り石」の「源融」ですが、他にも
いろいろ説があり、この「実方」もその一人だそうです。

ある時、一条天皇の面前で歌会があり、実方の歌について藤原行成が批判したため、2人で
口論となり、怒った実方が行成の冠を奪って床に投げ捨てる、という事件が起きました。

実方は、天皇の怒りを買い、「陸奥の歌枕を見てまいれ。」と、左遷を命じられました。

陸奥守として東北に赴任した実方が、ある日、「笠島道祖神社」の前を馬で通ろうとした時の
話しです。

地元の人々が、神前なので馬から降りて下さいと懇願したにも拘わらず、実方は「なんの、
こんな神!」と無視して通り過ぎようとしました。


すると、突然、馬が暴れて、実方は落馬し 何と!、そのまま亡くなってしまいました!

うそっ〜?!

蔵人頭になれないまま陸奥守として亡くなった実方は、その怨念により、雀に転生して、御所の
殿上の間の台盤の上の食物を食べたそうです。


また、都の賀茂川の橋の下に、実方の亡霊が出没するとの噂も流れました。


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奥州街道沿いに、城下町・白石を過ぎて、笠島(かさしま)に入った芭蕉は、ここ「笠島の道祖神社」の神罰で落馬して死んだという、実方中将の墓を訪ねたいと願います。

当時は、この実方中将の墓自体が、「笠島」として歌枕になっていたのです。

西行法師がここを訪れた際に、

”朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野のすすき 形見にぞみる”

と詠みましたが、芭蕉は、この西行が詠んだすすきが未だある、と地元の人に教えてもらいます。

芭蕉は、実方中将の墓へ向かいますが、雨が降って道が悪いことや長旅の疲れのため、
「このぬかるみの道では、笠島を訪れることは出来ない」
と断念し、無念の思いで句を詠みます。

”笠島は いずこ五月の ぬかり道”

話は3か月前に戻りますが、芭蕉が、奥の細道の旅に江戸を発つ際に、笠島出身の芭蕉の門人が、餞別の句として、”武隈の 松みせ申せ 遅桜”を贈りました。

(芭蕉が、笠島に着く頃には、もう桜も散っているだろうが、せめて武隈の松だけはお見せしたい
 ものだ。)

この話しを踏まえ、芭蕉は、実方中将の墓の近くの「武隈(たけくま)の松」(二木(ふたき)の松)に
立ち寄って句を詠みました。

”桜より 松は二木(ふたき)を 三月越し”

(二木の松は、奥の細道の旅の今日までの3か月越しに私を待っていてくれた。)

(「二木の松」が歌枕 で、「松」は「待つ」に、「三月」は「見つ」に掛け、「二木」(ふたき)は「三月」
 (みつき)に数を揃えています。)


我々のパック旅行のバスは、「実方(さねかた)中将の墓」へ向かいます。



芭蕉が立ち寄りを断念したという実方の墓は、仙台の南の名取市の田園地帯の山際にありました。








小川に架かる実方橋を渡ると、訪れる人も少ない感じで、実方を偲んで訪れたという西行が
追悼歌に詠んだ「形見のすすき」がありました。



悲運の死を遂げた「実方中将の墓」は、木の柵に囲われて、写真のひっそりとした場所にあり
ました。



(左奥は実方の歌碑)



(実方の墓標)



(”朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて 枯野のすすき 形見にぞみる”   西行)

墓の周辺には、実方を偲んだ上の写真の「西行の歌碑」と下の写真の「芭蕉の句碑」がありました。



(”笠島は いずこ五月の ぬかり道”  芭蕉)

パック旅行のバスは、「実方中将の墓」を出て、近くの「武隈の松」(「二木の松」)へ向かいます。



平成26年に「おくの細道の風景地」として国名勝に指定された「武隈の松」は、根方が二木に
分かれた形の老松で、現在の松は七代目ですが、芭蕉が見たのは五代目の松らしいです。





(”桜より 松は二木(ふたき)を 三月越し” 芭蕉) 








二木の松の前の歩道を少し歩くと、神社の参道の入り口があり、その先に赤い大鳥居の「竹駒神社」がありました。








竹駒神社の境内には、上の写真の”桜より 松は二木(ふたき)を 三月越し”の芭蕉句碑がありますが(写真左)、これは1793年の芭蕉百回忌に立てられたものだそうです。



竹駒神社の竹駒稲荷は、 伏見稲荷、笠間稲荷と共に、日本三大稲荷の一つだそうです。