春日部 2016.9.21
(写真は、春日部宿の名物和菓子「あんびん」)
「春日部(かすかべ)」宿は、江戸時代には「粕壁(かす
かべ)」宿と書きました。
今でも、地名や小学校名には「粕壁」が残っています。
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春日部宿は、江戸時代には、古利根川で江戸とを結ぶ船の
交易路として賑わい、米麦の集散地として栄えました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0102.gif)
本日は、前回のゴールだった東武伊勢崎線・春日部駅から
スタートします。
![](body_walk.gif)
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駅前の広い道路の右角にある観光案内所「ぷらっと
かすかべ」に入って、おじさんに春日部宿の見どころを
聞きます。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/2d/368afa6c1c87bf67996035e301f6de95.jpg)
春日部宿の街歩きのパンフレットをもらい、このパンフレット
に従って、昨日歩いた春日部宿の入口の変形十字路まで
引き返します。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/4f/f540b18acf3dd2b224df434beda7bb04.jpg)
変形十字路の向こう側に、松尾芭蕉が最初に宿泊したと
言われる「東陽寺」の屋根が見えます。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/a0/05ee079e33a03067df98591fd1b23ce7.jpg)
信号を渡って、東陽寺の境内に入ると、本堂の階段横に下の
写真の石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/fb/e533d53719ae866a6e1b83b923951941.jpg)
「廿七日の夜、カスカベニ泊マル。江戸ヨリ九里余」の文字と、
左下に芭蕉と弟子の河合曾良の旅姿が彫られています。
上の文章は、芭蕉に同行した曾良の旅日記の一部だそうです。![](m_0151.gif)
東陽寺を出て、パンフレットに従って、粕壁小学校の隣りの
下の写真の「春日部市郷土資料館」(無料:月曜休館)に
向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/5b/285f7d386b7d4fafaf4f1a9ed911d0df.jpg)
資料館には、春日部宿の縮小模型や高札、石柱などが展示されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/2a/fae90fb879fbc3efe5ded6882360711a.jpg)
資料館を出て、歩道幅の広い旧日光街道に戻って歩いて行く
と、江戸時代からの製法を引き継ぐという和菓子の「江戸助」
がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/2d/1e8331ed74e22bbbc4427abc1e10fe0f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e7/c3263dadf58ba9d13752c056d7f9f1de.jpg)
昔から変わらぬ名物だという次頁の写真の「甘あんびん」餅
(160円)を買います。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/91/a2abc8b79f486e961c03c7fafc643903.jpg)
この「あんびん餅」は、埼玉県で古くから食べられている
和菓子だそうで、餅が粒々で柔らかいけど、しっかりした
歯応えです。![](m_0139.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/9c/37679608e3e70b06895e9a43ca4ea0fd.jpg)
お洒落な旧日光街道の右手には、今、親子で骨肉の争いを
演じている「大塚家具」の大きなビルがありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/ad/b1743d745fcb4e67aa0201fb61a3dc88.jpg)
更に進むと、上の写真の老舗「田村屋」の前に、下の写真の
石の道標がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/3e/f5133578dca9789eec954db065270f7b.jpg)
道標の4面には、「北 日光」、「東 江戸」、「西南
いはつき(岩槻)」、「天保五年(1834年)」と刻まれて
います。
この田村屋の前で写真を撮っていると、春日部市の建物保存会
の役員だというオジサンから声を掛けられました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0068.gif)
そして、話しが弾んで、このオジサンに、現在修復している
江戸時代の蔵の現場を案内して頂けることになりました。![](m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/de/074bb1239d4be107458aab5930fba337.jpg)
蔵の持ち主の了解を得て、敷地内に入り、東北大地震で痛んだ
という修復中の江戸時代の蔵の説明を受けます。![](face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/48/78/7fd5f5e56f7405533c019c2d95613df6_s.jpg)
現在、お城の復元・修理を専門にしている大工さんを呼んで
修復工事をしているそうです。
![](cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/4e/58b78e3f690151d9bbed9410749fce4a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d8/4b1031d26e713c0a28c1bfc1741fec22.jpg)
上の写真の白い装飾の窓枠は、冠木門(かぶきもん)の形を
しているので「冠木」と呼ぶそうです。
そして、窓枠の両脇を覆う2つの黒い四角の箱は、直接
吹き付ける雨水から、冠木の漆喰(しっくい)を守るため
のものだそうです。![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6a/a6/b3e1c2ee99280bfee723f0c5af0d75ee_s.jpg)
上の写真の黒い木は、江戸時代の雨樋を留めるためのもの
だそうです。![](m_0151.gif)
修復中の蔵の現場を出て、パンフレットに従って、お洒落な
旧日光街道の歩道沿いの遺構跡を見ながら進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/34/80752c38549bfbc98bed30f192b10927.jpg)
(左上が「本陣跡」、右上が「脇本陣跡」)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/02/ac/7448b9d24f9f6cd10f18ac5c29f90e58_s.jpg)
(問屋場跡)
街道の右手には、宿場町を思わせる土蔵や旧家が点在します。![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/16/eecb6cb63034eef85a374d3c1be0c5c8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/79/f06912af04f8a8cc77d8aef51569d8be.jpg)
上の写真は、江戸初期から米屋をやっているという「永嶋
商店」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b4/34781cae8887d7b18ec941ad2f162d59.jpg)
上の写真の様に、街道歩きの人の為のトイレもお洒落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f7/bb17e5f2d0e909c3e7f58b955177ecbe.jpg)
(古利根川に架かる”光と風をテーマにした橋上公園”)
更に進むと、正面に、徳川家光の遺骨を一時安置していた
という「最勝院」が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/54/3a878509ede9cd09a7f589017fadd2e2.jpg)
最勝院の前の旧日光街道を少し戻ると、古利根川に架かる
「新町橋」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/21/71cdaf85a4baa380b5d6359fc76e877b.jpg)
「新町橋」の付近の古利根川が合流するこの辺りには、江戸
時代には、船荷の積み下ろしのための「上喜蔵(かみきぞう)
河岸」があり、川に面した側には蔵が立ち並んでいたそうです。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/dc/3ce86c9bcf814c0773516601de073891.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/15/00/f220079fcf1efe53a15a5884dce7b693_s.jpg)
春日部宿の外れのこの「新町橋」を渡ります。
英国の旅行家であるイザベラ・バードは、「日本奥地紀行1」の中で、「粕壁宿」について、以下の様に書いています。
どこまでも水田が続く中を抜ける人通りの多い街道をその
まま走り続けた私達の人力車は、夕方、粕壁に着いた。
かなり大きな町ではあるが、みすぼらしい感じのする町
だった。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0143.gif)
私達は、ここの大きな宿屋で一夜を過ごした。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0098.gif)
私達が入って行くと、宿の主人が両手をつき、額が床に
つかんばかりのお辞儀を3度もして挨拶した。
大きな開けっ放しの炊事場では、30人以上の女中が忙しく
立ち働いていた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0241.gif) ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0240.gif)
私の部屋は2階の通りに面した細長い大部屋だったが、部屋
の中の敷居の襖(ふすま)が引かれ、その大部屋はたちまち
4つの小部屋に分かれた。![](m_0199.gif)
その小部屋は、畳が敷いてあるだけで、物を置く棚などは
何も無かった。![](m_0211.gif)
部屋の外側には、同じ様な多くの部屋とつながる開けっ
放しの縁側があり、どの部屋にも人が入っていた。
目の粗い緑の麻布で出来た蚊帳はかび臭く、蚤と蚊に
悩まされた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0142.gif)
その上、襖がしょっちゅう音も無く開けられ、その度に、
数人が僅かな隙間から、細長い黒い目で私をしげしげと
見つめた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0143.gif)
表の道には、大声が溢れ、盲人のあんまが笛を吹く音や、
火事の警戒のための夜回りの拍子木の音が鳴り響いていた。
その後、日本全国を旅したのちに、世界中で日本ほど女性が
安全に旅の出来る国は無いと確信した。![](m_0139.gif) ![](m_0140.gif)
春日部宿の外れの「新町橋」を渡って、直ぐにY字路を左折します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/df/e81f4ef6d8b45424a186ea3ecfa94007_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/96/4c36cb3ed715e4b6ca0ff1059479eb57.jpg)
少し進むと、右手に「小渕の一里塚」跡の石碑と、庚申塔
(1832年)が並んで建っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/2e/3dc372c6f7729f94bcd7c51fdf416c4f.jpg)
更に進むと、道はY字路になっており、右手は白壁の塀で、
中央の分岐点には、大小2本の石碑が建っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/1c/d7749d0bd48a22f91de6ff1ef00d0d25.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/3f/b466cd62eaa7056f99f3d326951e5256.jpg)
この石碑が、「日光街道」と「関宿(せきやど)往還道」との追分です。
関宿往還道とは、千葉県野田市の城下町・関宿へ向かう脇街道です。
大きい方の石碑には、宝暦4年(1754年)「左 日光道」
「青面金剛」と彫られています。
小さい方の石碑には、宝永6年(1709年)「右方 せきやど
(関宿)道 左方 あふしふ(奥州)道」と彫られています。
旧日光街道は、この追分の石碑の先で国道4号に合流し、国道
16号を横断します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/24/3f215964487bc0e7223f38c5f9780536_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/96/b7acc8ff2af9392acd8afee13a004716_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/20/827bbd25739f9a11f5b64cff443aaec0.jpg)
国道4号を暫く進むと、左手にかなり古い感じの仁王門がある
前頁の写真の「小渕観音院」がありました。
近づいてみると、仁王門は元禄年間(1688〜1704年)の
創建で、今にも崩れそうなくらいに痛んでいます。![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/81/12ff330377db517d94f233c8c71a5b00.jpg)
仁王門の左右には、写真の様に、迫力のある木造の仁王像が建っていました。
説明板によると、昔、洪水があり、ここの本尊である正観音像
がこの地に流れ着いたので、村人は、この正観音像を元の寺に
返しました。
![](face2_shock_s.gif)
ところが、その後、再び洪水があり、何と!、この正観音像
が、再度この地に漂着しました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/71/676b83d251ed756e1a8291b0b1c14e35.jpg)
そこで、村人は、ここにお堂を建てて、この正観音像を安置
したそうです。![](cat_5.gif)
この「小渕観音院」は、別名「こぶとり観音」とも呼ばれ、
イボ、コブ、アザの取り除きにご利益があるそうです。![](m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/e8/8556abd5a52c47586ce191a12fbe7fc0.jpg)
小渕観音院を出て、左手に東武線「北春日部駅」の標識を
見ながら、何も無い単調な直線の国道4号を延々と歩いて
行きます・・・![](m_0211.gif) ![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8f/f2aa375999f0dcf55c3ec76cb602c592.jpg)
国道4号を更に進むと、大きな杉戸町の看板があり、その先の
歩道には、「すきすき すぎーと36」の表示があり、歩道幅
が少し広くなりました。
その「すきすき すぎーと36」を歩いて行くと、歩道上に、
写真の球形のモニュメントが置いてあります?
![](kuri_3.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/4c/ab3b149b574e18564fc40a00535bf984.jpg)
その説明版によると、 球形のモニュメントは地球儀であり、
その地球儀の北緯36度線上に杉戸町が記されています。
どうも北緯36度線上に杉戸町がある、という意味の
モニュメントらしいです。![](face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/e4/db28e206fa734ff9842aab1272323185_s.jpg)
更に、国道4号を進むと、左へ国道4号から分かれる道が
あり、これが旧日光街道です。
左手に、次頁の写真の九品寺(くほんじ)を見ながら、
旧日光街道を暫く進むと、再び国道4号に合流しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/68/44/a6cccef8c8c72aa5a4fc1a161aca22ca_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/42/0894f56cfe82c8eb2fc11b9f6b80ad5c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/78/3f/c4b3c74f4b0db980261b37941b2cd126_s.jpg)
国道4号を少し歩くと、またまた、旧日光街道は、堤根の信号
から左へ分かれ、杉戸宿の中心部へ入って行きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7c/c0/477f19156c0ab6ba96cf81a266d968fb_s.jpg) ![](body_walk.gif)
春日部宿(粕壁宿)から杉戸宿までは、約6キロです。 |
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