![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/fa/ddb38fbde515ac1ec5ddfbfd8c02e13d.jpg)
(写真は、草加名物「草加せんべい」)
1606年、幕府の命を受けた大川図書(ずしょ)が、それまで
大きく東に迂回していた日光街道の「千住宿」〜「越谷宿」の
間を一直線で結ぶ草加新道を造りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
なるほど、そうか〜!(草加!)
![](m_0199.gif)
歩いても歩いても、北へ北へと一直線なんだ!、納得!
![](face2_happy_s.gif)
”草”を”刈”って、草加新道を開いたのが、「草加」の地名
の由来だそうです。
![](m_0151.gif)
その後、1630年に、千住宿〜越谷宿の「間の宿(あいの
しゅく)」として、「草加宿」が設けられました。
草加宿に入って行きます。
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/04/4b922cdd9588c7ce1a9147f3521725a7_s.jpg)
草加宿の入口の分岐点のY字路の真ん中に、下の写真の木の
標識と、「今様 草加宿」と彫られた赤い石碑がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/32/bf09c5ac0578c49fee3ffe4865d539e8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/a3/3b6077bce824e3d5ab720dc5cd9bc543.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ae/cfc9f75ee89fbbe433c3a5f15916f0ee.jpg)
この標識の左手の道を入って行くと、左側に草加市役所が
あり、前頁の写真の「浅古家の地蔵堂」がその敷地内に
ありました。
この地蔵堂は、江戸時代の豪商・浅古氏が、用水を流れていた
地蔵を拾い上げ、子育て地蔵として祀ったのだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/fe/7c0c11aa927e4f93b87c1c2f06731466.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/da/6e669b4a64a3150e74bf97c0dc7be0fa.jpg)
両側に、前頁の写真の様な煎餅屋を見ながら、宿場町を
北上して行きます。
草加市内には、53軒もの煎餅屋があるそうです。
![](m_0140.gif)
草加宿は、古い家屋が数軒点在するくらいで、残念ながら、
当時の雰囲気は残っていません。
![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/20/538e414489372b5079632a3367b0bf2c.jpg)
上の写真は、明治期の町屋建築「藤城家」で、国有形文化財
です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/60/05/3faa475b0784565a50c8292cac2fffaa_s.jpg)
(大川本陣跡)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/af/818669cb3c088985b553b9de9073e697.jpg)
上の写真の「道路元標」の辺りは、問屋場があったところで、
石の元標には「千住町へ2里17町53間3尺、越谷へ
1里33町30間3尺」と彫られています。
![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/f4/8b0a9581e8a4a734661f4b92902ed293.jpg)
更に進むと、草加小学校の前に、歴史資料館の標識があった
ので、標識に従って、小学校の裏に回ってみると、古い校舎
の一部が、上の写真の「歴史民俗資料館」(無料)になって
いました。
中には、草加の歴史資料や民俗資料、それに宿場町の歴史
説明、草加せんべいの作り方等、想像以上に豊富な展示物
がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/af/40622922f832d16a130a419860ba40f4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/66/e17a071c48c9359a636ed4cbdd46dfed.jpg)
![](cat_4.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/be/a72e3183d9535c775bcee115ccb035d7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/6c/1af89d444f8efb0a8eb04e778cf3a6e4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b2/1b93b48d71c6b8eab371078ff709b344.jpg)
貼紙には「ご自由に写真撮影をお楽しみ下さい」とあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/98/ef2a5b208f491b47d62188cfa4a0204d.jpg)
嬉しい心遣いです!
![](face2_happy_s.gif)
草加小学校裏の資料館を出て、表通りに戻り、その先の左手の
細い道を下の写真の「東福寺」へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/19/2687cd4f951450abe2b91c67c4fd53ff.jpg)
東福寺は、草加宿の開宿に尽力した大川図書(ずしょ)が
1606年に創建した寺で、本堂、山門、鐘楼ともに江戸後期
の建造物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/d0/8f7a20ed0a2588a458e43928f3a60feb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/52/20575a64476b583d2e2faa5a8bc15d75.jpg)
表通りに戻ると、右手に上の写真の「おせん茶屋公園」が
ありました。
![](kuri_3.gif)
その説明板によると、日光街道の草加松原の茶店の”おせん
婆さん”が、団子が腐り易いと客に嘆いたところ、客の武士
が、「団子を薄くのばし、天日で乾かし、火で焼いて
みたら。」と教えたのが始まりだそうです。
![](m_0151.gif)
それが、いつしか草加宿の名物「草加せんべい」として世間に
広まり全国区となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b9/09de7a77be36b7c811925cbeee027e4e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/13/12b16f6fcc7831a4d2e40713f6c3ccc9.jpg)
(1袋10枚:900円)
おせん茶屋公園の前の写真の「元祖 源兵衛せんべい」で、
草加せんべいを買います。
店の女将さんの話だと、この店の煎餅は、江戸時代と同じ製法
の店頭での手焼きで、種類も昔からの1種類だけしか売って
いないとのこと。
これから行く草加松原について、女将さんから色々と情報を
仕入れます。
![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/1b/5b52ecb107ba04b8815e5a91bc9daa7e.jpg)
「源兵衛せんべい」を出て信号を渡ると、左手に、上の写真の
無料観光案内所「草加宿 神明庵」がありました。
中へ入ってみると、郷土愛にあふれる2人のボランティアの
おばさんが、草加宿について色々と面白い話をしてくれました。
![](m_0140.gif)
ここは草加宿に現存する一番古い建物で、これを改装して
平成23年にオープン、40人のボランティアで、交代でお茶
の接待をしているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f6/bddb486658c4dec6a367a3fd4eaa5e05.jpg)
ここでは、近隣の煎餅屋さんの食べ比べが出来る「味くらべ
せんべい」を売っていました。
![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/c1/db2ee4172c1381bf28762656a4e631fb.jpg)
8店舗の8枚が入って600円とお得だったので、「元祖
源兵衛せんべい」で買ったばかりでしたけど、また買って
しまいました・・・
![](m_0199.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/48/d1c0a3fca17fa58ef9b2c15079903e5b.jpg)
上の写真の神明庵の2階はギャラリーになっていて、草加宿の
歴史や観光案内を展示しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c4/4d06cd99fda9eb2984e210ffc77fde7e.jpg)
ここで、草加宿散策の地図を貰い、見物している宿場町と、
これから行く草加松原のポイントをチェックします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0190.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/7f/59819427de7be0074f66941825b1220d_s.jpg)
神明庵を出ると、日光街道は、直ぐに、写真の神明神社で
突当り右折します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/37/39dedb0a2ca26d6cd8e123af38fcf335_s.jpg)
この神明神社が、草加宿の外れです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/29/9fbcb5772425a6cf1b13713eb25f6e3c.jpg)
日光街道は、草加宿の外れの神明神社の前の道を進むと、
直ぐに、大きな道路に突き当たり、右手に、次頁の写真
の松尾芭蕉の弟子の曽良の像がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/e0/2c98c9792ec58399f9eb4927741ab7e4.jpg)
この道路に合流した先が、日光街道屈指の景勝地である草加
松原の「松並木公園」です。
![](m_0140.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/1a/0083233e274324fc4d9b8794bca6965a.jpg)
江戸時代から、「草加松原」として親しまれており、「おくの
細道」にも登場し、松尾芭蕉も歩きました。
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ny_kimono_m.gif)
平成26年には、国の名勝地に指定されたと、観光案内所の
おばさんが得意げに自慢していました。
![](kuri_3.gif)
このおばさんの自慢話も尤もで、江戸時代から残る古木が
ほとんど枯れてしまっていたこの松並木に、新たに松を
植えていったのは、お役所ではなくて、何と!この地元の
人達だったそうです!
![](cat_5.gif)
それも、この松並木の真ん中の歩道部分が、当時は国道4号
で、国道沿いの勝手な植樹は禁止されていたため、役所の
見回りのない日曜日に、こっそりと植えていったそうです。
![](m_0199.gif)
この地元の人達が植えた苗木は、現在、1.5キロにわたって、
写真の様な立派な松並木になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hakushu.gif)
松並木は、武蔵(ムサシ)国にちなみ、634(ムサシ)本
あるそうです。
![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/2e/42a9cf0fb136c709855cff40e1ced8af.jpg)
このうち、幹回りが2メートル以上ある松が約60本あり、
これが江戸時代から残る古木だそうです。
![](m_0151.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a1/815dc12f6f21c9697eac45a3d04b5eda.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/f8/cf587a265eddcb31f12890fde7a0b4df.jpg)
園内には、高さ11メートルの五角形の「望楼」があり、
上ると、綾瀬川と草加松原が一望出来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/3c/450b4afc6e4280a1e616a2392132df0d.jpg)
松並木の街道に入ると、直ぐに、次頁右の写真の「松尾
芭蕉像」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f9/34178f13d57f214e8ca94369ac3fe41d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/0b/995a10595be8d8a9e8c0b44f51a74453.jpg)
芭蕉像の前の綾瀬川沿いには、上の写真の「札場河岸」跡公園
があります。
江戸時代、江戸との主な物流は、綾瀬川の水運でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
舟の荷は、この「札場河岸」で積み下ろしされました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9a/932a4de0465bd93fc0dfe36957208240.jpg)
観光案内所のおばさんに聞いた話だと、この辺りは、海抜
4メートルしかなく、綾瀬川は、満潮時には、この辺り
まで逆流してくるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0228.gif)
当時、江戸から草加へ上ってくる舟は、この逆流に乗って、
この札場河岸まで来たそうです。
驚き!
![](cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/24/22/1f6f0adab510a206000b856ef3dd6f29_s.jpg)
「綾瀬川」の名前は、江戸時代、頻繁な川の氾濫で、川筋が
綾の様に定まらなかったことに由来するそうです。
![](m_0151.gif)
絶景の松並木の遊歩道は、気持ちの良い快適な散歩道です!
![](face2_happy_s.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/45/017a6832f863cdbdff783c2d4786ed19.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/eb/05bb2834ea5f552b1b94fb1c7b3d800f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/ce/155d8ae1a009b903631ac894503d511f_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/fd/db78572884b4bd2642771f14386d20d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/25/a345e06a442940ee888244f3f726ab20.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/29/0b/e13a2b4742ff3096248a3e15937eb854_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/a5/544ea129f531179cef7a0420e28f42cb.jpg)
![](m_0139.gif)
平日ですが、観光客らしき人々以外にも、地元のらしき人々も
大勢歩いています。
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/8e/7902436b94724e2c73b35489994fa187.jpg)
(芭蕉文学碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/e8/4dcbfbccbb9e7077824be203279f8433_s.jpg)
写真の丸い輪の彫像が、草加松原の終わりを示しているみたいです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/0a/0d8a30ae5d93e8979e2ce8f40e58fda2_s.jpg)
外環道の下を潜って、綾瀬川沿いの桜並木の道を歩いて行き
ます。
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/30/6ef4bd6a96f9c1e52eddf81a9f94c0d4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/4f/09a8c897d8a1dc96a5e57418220a2539.jpg)
やがて、右手に「蒲生(がもう)大橋」があり、この橋を渡る
と、右手に、下の写真の「蒲生の一里塚」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/5d/82e9e36964c737cd74a0baf05174a371.jpg)
埼玉県内の日光街道では、唯一残る一里塚だそうです。
![](m_0140.gif)
蒲生一里塚の斜め前の綾瀬川沿いに、舟荷の積み下ろしを
していたという下の写真の「藤助河岸」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e5/729738246c03da844cd68cfc758a6ce4.jpg)
旧日光街道は、蒲生一里塚の前の道を進んで行きます。
![](body_walk.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/de/369852494854bc8aa30d1e5cfc145ce7.jpg)
静かな住宅街の中を歩いて行くと、右手に上の写真の「馬頭
観音」と「不動尊」があり、その先に次頁の写真の「ぎょう
だいさまの祠」がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/60/0c41f7ca8a72e98112e19dc12cb14ce7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/3e/12da5ad156a83834519b86ff6b6015f3.jpg)
更に進むと、右手に黒い冠木門が見えてきますが、これが
「清蔵院」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4f/38/e9aced8bc9b9f1fa5a575d72a5ad538a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6a/5d/57a8bc90dbb740e9bb0f071a2782272e_s.jpg)
山門の竜は、左甚五郎の作といわれ、夜な夜な逃げ出して畑を
荒らしたことから、逃げ出せない様に、下の写真の様に金網で
覆ってあるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/43/ff74321c4f25115c4f781ab685354cf9.jpg)
驚き!
![](cat_5.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/cf/197105bae821a049462f931e40d21bda.jpg)
清蔵院を出ると、旧日光街道は国道に合流します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/6c/0fc14385765d2cde4cac1e7b4e1f93de_s.jpg)
JR武蔵野線のガードをくぐり、更に進んで行くと、右手に
「照蓮院」が見えて来ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/66/9ffc8d62c653082cdedaa197ce3aa254.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/ba/393ed263df655c842606864d07ee0ad4.jpg)
境内には、上の写真の「千徳丸供養塔」と、その案内板がありました。
![](kuri_3.gif)
それによると、甲斐・武田氏の家臣・秋山長慶は、武田氏滅亡
の際、武田勝頼の遺児の千徳丸を伴って、この地に潜伏しました。
しかし、千徳丸が早世してしまったので、それを悲しんだ長慶
は、照蓮院の住職となって菩提を弔ったそうです。
![](m_0211.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/aa/bcbc47c03a46ea98f48d3141e73065f4.jpg)
照連院を出ると、正面の道路は、Y字路になり、旧日光街道
は、このY字路を左へ進みます。
このY字路を入ったところが越谷宿です。
草加宿から越谷宿までは、約7キロです。
![](body_walk.gif)