![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/70/6c4205bb68e7352b39bc2666904f4fca.jpg)
(写真は、斬首された法然上人の弟子の住蓮坊の首を洗った池。)
「泡子延命地蔵」から水田地帯を2キロほど歩いて「武佐宿」に入りました。
![](body_walk.gif)
「武佐」とこの近くの「近江八幡」は、地域的には一体で、武佐は旅人で、近江八幡は商人で賑わっていたそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/38/dce14c4b38829afa23d6b21d73fb440c.jpg)
武佐宿に入ると、先ず宿の氏神様である「武佐神社」があり、その脇に「高札場」跡の案内板がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/32/6be573ec0b4069c6b7db1b8e52c8d445.jpg)
武佐神社の先にある下の写真の冠木門は、武佐宿の「脇本陣跡」で、現在は、武佐町会館になっています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/7f/ec56318e0f94bc4b14b767eedfffc5ac.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3a/990d132f80e294c18885a3cf50a320ce.jpg)
武佐町会館の先には、元旅籠屋だった「中村旅館」と「旧八幡警察署・武佐分署」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b1/d46ba2160db1d79c9134ded3700bdd97.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/87/324cea9594950145c1ae95c2050ea2ca.jpg)
中村旅館の向い側が、上の写真の「本陣跡」で、その先の十字路の角に、下の写真の「いせ みな口 ひの 八日市 道」と刻まれた道標が残っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/3d/445ed245b0f2843bc340cee999b6e2b7.jpg)
この十字路は、「八風(はっぷう)街道」と中山道との追分で、八風街道は、八日市から東海道の水口(みなくち)を経て、鈴鹿の八風峠を越え、伊勢へ向っていました。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8a/2bfe2d68714f70f8369574bceed6c549.jpg)
その道標の先に、上の写真の「愛宕山の常夜灯」と、武佐小学校の卒業生が作った下の写真の「松平周防守陣屋跡」の様案内板がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/5e/ebdcca3b2560a49c8f36152d13f4a659.jpg)
以下は、武佐宿の町並みです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/2a/9cff0661aa61fa8f24939196d67d0ecd.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ce/fff97eb650528deb44ef96b1df5fca24.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e6/c8b0ee6b6356435d77eb2fbe5851bfc6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/a1/b045b65b520e1179204c36bb7aaa3d91.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/8b/7311fd542ab2e695f621fa2235e73e21.jpg)
少し歩いて行くと、中山道が右に急カーブするところの左側に、近江鉄道・武佐駅があり、その前にも、武佐小学校の卒業生が作った「高札場跡」の様案内板がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/1d/929641923da27881079cc92ad599be5c.jpg)
ここが武佐宿の外れです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/bf/6b1b6b7725d31f17422223291f661364.jpg)
武佐駅の脇の踏み切りを渡り、少し歩くと西宿村の集落に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/0d/48338490a63adb902e9f2e331d42e3af.jpg)
集落に入ると、直ぐ右手奥に「若宮神社」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a5/728b5dbba7a709d006f460ccb26e5e72.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/7f/ac0aaa3fb93c2312bd9e6a53ad7b1b15.jpg)
その若宮神社の横に、中山道に面した広々とした公園がありました。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/73/cb03f908d87ba869f65178764221a746.jpg)
この広々とした公園が、「伊庭貞剛(いば さだたけ)邸」の広大な敷地跡でした。![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/79/cd89c8b323150314e8eceeb3d3e28fcc.jpg)
「伊庭貞剛」は、ここ近江八幡市西宿村の生まれで、「住友財閥」に入社し、「別子銅山」を立て直して「住友中興の祖」と仰がれました。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/7a/a97acef61e1fa78c963d34c143f807d8.jpg)
ここ武佐宿や一つ前の高宮宿の周辺は、近江商人が最も多く、現在の日本を支える大手商社の「伊藤忠商事」と「丸紅」の創始者、「住友商事」の中興の祖を排出している訳ですから、ホントに凄い土地柄です!!
![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/8c/5e37fca9e87de9a7ae3f9a55e16b85d3.jpg)
西宿村の大きな家々を見ながら歩いていくと、中山道は国道8号に合流、ダンプの風圧に耐えながら歩いて行きます。![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/40/05c36a6faa6c52e3637902baba8f49d7.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/5e/ef93218be7dd5f3a353da33cbbbf98c5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/fb/6d62dd99c5c7a8971f961f9b5db0f4c9.jpg)
やがて六枚橋の信号で左折して、国道8号から離れ、静かな住宅地に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/02/78fa9ebacd359e0c66d45b67102674b7.jpg)
少し歩くと、「六枚橋」バス停の先の右手に小さな公園がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/a7/bb4eef5b4fd4c6b17fab50479ec444e9.jpg)
その小さな公園の脇に、下の写真の「住蓮坊」(じゅうれんぼう)首洗い池」がありました。![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b4/c225c7f5f02a7a7ceffdbeaec15b40c0.jpg)
「住蓮坊」は、浄土宗の開祖「法然上人」の弟子でした。
当時、「法然上人」の念仏人気が爆発的に高まり、宮廷の女官の中にも信者になる者があらわれました。
そして、後鳥羽上皇が寵愛した二人の女官も、住蓮坊に帰依して尼になってしまいました。
![](ny_kimono_f.gif) ![](ny_kimono_f.gif)
それに怒った後鳥羽上皇は、「法然上人」を隠岐に流罪にし、弟子の「住蓮坊」をここで斬首しました。![](ari_2.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif)
そして、住蓮坊の首を洗ったのがこの池です。
怖っ〜・・・![](face2_shock_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/85/8153f5b821b2d40cf1d10b1b03515da7.jpg)
首洗い池を出て、更に中山道を進むと、再び国道8号に合流しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/3c/b3ff25b6b556a4ee06f07cf806d1d665.jpg)
国道8号暫く歩いて行くと、Y字路の右角に、八幡神社と高札場跡がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7e/65434a6444a43ae3a919eabd3fdc1491.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/f6/a4ce3ae48f63d5334c5bf145ac7f9fec.jpg)
中山道は、このY字路の右手の雰囲気のある集落の中へと入って行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/77/3d54d34dbc698b1a001a112051a800a7.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/78/0cadc0b864aec375ceb44b40f5cdba37.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e0/664d55ec970b497c7c6793a331e4c0ba.jpg)
その集落が途切れると、水田地帯になり、横関川(日野川)の堤防へ向かいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/62/5bfcb002df7cda123c6888f0d0e3ab46.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/b3/dcb6d2cc9f1230c62d71ce3a4f270f1b.jpg)
堤防のうえには、上の写真の広重「木曽海道69次之内 武佐」の案内板が立っていました。
ここが「横関川 渡し場」跡だということですが、竹藪が生い茂っていて川が見えません・・・![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d2/8eae5a75140c85a7a711602728429d78.jpg)
広重は、ここの舟乗り場からの対岸の眺めを描いたそうです。
横関川は、通常は舟渡しでしたが、水量が少ないときは、この浮世絵の様に、2艘の舟の上に板を渡していました。
舟の橋の中ほど右手は、葛籠(つづら)とゴザを背負った腰の曲がった老人で、その後は風呂敷包みを背負った旅人です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/xmas_candy.gif)
対岸からこちらに渡ってくるのは巡礼の夫婦で、夫婦の向こうには天秤棒を担いだ子供が描かれています。
![](ny_kimono_m.gif) ![](ny_kimono_f.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c3/5a2c53bb55a4a10ff7a2281943bc304a.jpg)
この広重の案内板から、迂回して対岸の中山道に向かうために、左側の土手を歩いて行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/19/6f64a61e178e71e4f3b4588a780f7f1a.jpg)
そして、横関川に掛かる横関橋を渡ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ae/ecd7f4d5d7b3cb3734d169aa009fcac3.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/48/d2f289fe7ac13c7e088eb651d6d5387e.jpg)
橋を渡り終えると、直ぐ右に折れて、対岸の土手を歩いて行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a2/a785e35bb1aef8f89f4ba7321b59a675.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d7/c221df42816c0d371ad925f1305497af.jpg)
土手の道には、中山道の表示がない分岐点が何か所かあり、その都度、迷いながら疑心暗鬼で進みます。![](m_0211.gif)
かなり歩いたところで、西横関の信号に出て、国道8号に合流しました。
ホッ・・・、やれやれ・・・![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/53/ca4de2ad69f8b4ab984602c50f561e85.jpg)
西横関の交差点の角には、「是よりいせ道 みなくち道」の道標がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/d6/e0d9248dd8a63db8e9735a51dc69659c.jpg)
西横関の信号から、ダンプの風圧に耐えながら、国道8号を、守山宿方面へ向かいます。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/e2/0fc6b40f8e5d2324ecf685ecd5933d8d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a2/4dd7dfb99662a49bb16c9e5a94c31f72.jpg)
ダンプの風圧に耐えながら、国道8号を守山宿方面へ進み、善光寺川を渡ります。![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/fd/2b8028cbaec39acd551a700ba289d989.jpg)
やがて、間の宿(あいのしゅく)の「鏡」に入り、国道8号は上り坂になります。![](m_0090.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/e6/511e78450e6d0bd10f7f16425288a1f9.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/16/34549c2ea542a65fad0ea0e7bf104e2d.jpg)
国道8号沿いには、江戸時代の屋号や、「本陣跡」、「義経宿泊の館跡」などの説明板が続きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/e6/05ae6d917760be3576fc02c22e320db5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/35/8d64e261ff3e89f972b7692fce861a33.jpg)
「義経宿泊の館跡」の説明板によると、義経は、お供の金売り吉次と、ここに宿泊しました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/moon.gif)
その夜、野盗が押し入りますが、義経はこれを退治したそうです。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c7/ae24dc1c753d1aa656410b6d0f7bf6e8.jpg)
国道8号は上り坂が続きますが、やがて左手に「鏡の里 道の駅」がありました。![](m_0090.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/4b/12ad36e469c2f29e7d0b18268f00a0aa.jpg)
お昼過ぎでお腹が空いたので、ここで、写真の「義経御膳」(1,800円)を食べます。
![](kuri_3.gif)
この料理が何故、”義経”御膳なのかよく分かりませんでしたが、食事を終わって外へ出ると、国道8号沿いの道の駅の斜め向かいに、下の写真の「義経元服の池」がありました。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/83/9c1f23de60f6b5eb13e3489a20e94f54.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/dd/9f0aaac5a91e73f1ecc16e024f56f874.jpg)
説明板によると、源義経は、東下りの途中、ここ鏡の宿で元服の儀を行いましたが、その時に使ったのがこの池の水だったそうです。![](m_0140.gif)
義経元服の池から、国道8号を少し戻ると、「鏡神社」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/90/a126a5190cf41e16903907cc07177c70.jpg)
参道の石段を上った所に、鏡神社の神殿がありました。(国重要文化財)![](m_0090.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e1/6ab02a10dcc9c2d674ec709020beb44f.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/5e/933636d91fb0431c4cb72adfd541b0de.jpg)
参道の途中に、上の写真の様に、松の切り株に屋根を付けたものがありましたが、これが「源義経 烏帽子掛けの松」でした。![](m_0151.gif)
元服の池で元服した牛若丸(義経)は、この松に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し、 源九郎義経と名乗りを上げて、源氏の再興を祈願したそうです。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/21/51a2fe2bb52405736128c01c42d54fef.jpg)
鏡神社の先で、中山道は直ぐに左側の細い道に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b2/ee2ccba963514435698bc87e3abe7459.jpg)
道なりに進むと、”おのりやす”と書かれたコミュニティバスの停留所がありました。![](m_0140.gif)
中山道の面影が残る静かな道は、直ぐに国道8号に合流します。![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/ad/351acd887a28abc14a77e38e8000cc21.jpg)
その合流地点に「蛙(かわず)鳴かずの池」があります。![](kuri_3.gif)
平家一門は壇ノ浦の合戦で破れ、総大将の平宗盛は源義経に捕えられます。
その後、平宗盛父子は、ここ篠原の池で斬首され、首だけが京都に運ばれました。![](m_0211.gif)
平宗盛父子が、余りにも哀れで、この池の蛙が鳴かなくなったので、「蛙鳴かずの池」と呼ばれる様になったそうです。![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/huririhi.gif)
可哀想・・・![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/74/4f92033e56e4c13867d644f68ecd542e.jpg)
単調な国道8号を、ダンプの風圧に耐えながら、更に進むと、左側に土手があり、土手の向こう側には「西池」という大きな池がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/11/cb385b14353242728e4cd2e49c5365ea.jpg)
更にどんどん歩いて行くと、中山道は、国道8号から右手の静かな道に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/99/8b50d1e4196ffbe5c2a902c0a6955f9e.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/3a/3ee0854af08a135c6d3256b03a483dc2.jpg)
直ぐ右手に、石碑とその両脇に常夜灯がある小公園があったので、ここで一休みします。![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ea/0b78de939d12e7d236ad67b09993a23a.jpg)
小公園を出て、新家棟川(しんやのむねがわ)を渡って、道なりに進みます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/43/1294e461ba59df1f4a78032918edbead.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/84/687e1be2b1dce5ce119b5159d29bc5b3.jpg)
やがて、右手に下の写真の「子安地蔵」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/00/a2ef49f4b18261ccf6ec8c6d45929da9.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/05/76564129255fa4c11ded3014e4bdf8a8.jpg)
子安地蔵の先の左手には、下の写真の「桜生(さくらばさま)史跡公園」(甲山古墳)の丘があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/86/1d227fd19ac8886a66c4254d73d333c4.jpg)
暫くの間、中山道を道なりに歩いて行きます。![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/dc/9980264f1b8a18222256011c3835026f.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f5/2f9a2e953105eeba2926f4dd3f9a7c32.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/8f/9d416cf6f734f8566f14948c6e6fa004.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/51/f8ee8fa9ddf1549e6ff6d1c69c4c394d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/e9/e273f3778ede3206e4ae948f94528327.jpg)
間もなく、新幹線のガードをくぐります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6f/a9fbb010190febdd132028cf0b077bf6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ad/02fa95aa0ae593022ea7b25c2aa33cc5.jpg)
新幹線のガードの先が十字路になっているので、これを左折し暫く直進すると、右手に野州小学校がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/cf/673dc87e1e6c057ee058787e623924de.jpg)
小学校の脇に写真の「中山道 外和木の標(そとわぎのしるべ)」の説明板がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/89/3673e458613f523cbe885c2d2faca8b8.jpg)
これによると、ここ小篠原字外和木は、朝鮮人街道と中山道の分岐点だったそうです。
更に中山道を道なりに歩いて行くと、交差点の左角に、下の写真の「背くらべ地蔵」がありました。![](kuri_3.gif)
説明板によると、
当時は乳児がよく死んだので、子を持つ親たちが、「我が子もこのお地蔵さんくらいになれば、後は良く育つ」と背くらべをさせたので、「背くらべ地蔵」と呼ばれる様になったそうです。![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/2c/28be5489566b74b9dcf4565509f41099.jpg)
右の小さな地蔵が「背くらべ地蔵」で、左は阿弥陀如です。![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/33/c6acd5b1f6ed00fc79f2c17d31504e7c.jpg)
中山道を更に進むと、左手に唯心寺があり、 枡形の様に曲がった右手に蓮照寺がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/06/089ac94d4f8cfba74c3d9dc18c05cc3a.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/03/6c6c1b7c22539aedd515c0d015333c2d.jpg)
この先で東海道線のガードをくぐり、やがて野洲川に近づくと、 右手にお堂があり、その道路向かい側に、地蔵尊がたくさん積まれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/59/7fe499e3b9c1179c448b8eee7a72a2a5.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2c/e1d25b6b55a2ac24266dab08da3946f2.jpg)
正面は野洲川に掛かる野洲川橋です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/e1/749e4a8c98c51ca0b6f34dcb7eaf6ef4.jpg)
橋の上からは、近江富士と呼ばれる下の写真の「三上山」が見えます。![](s2_sum_mount.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/df/d60ce85faef14e4eb7ffb6ec8d56f58f.jpg)
「野洲川」は、水量が少ない時は徒歩渡りでしたが、水量が多い時は舟渡しだったそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
橋を渡り終えると、いよいよ守山宿に入ります。
武佐宿から守山宿までは、長丁場で16キロもありました。![](body_walk.gif)
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