(写真は、背中に杭を打たれてしまったお地蔵様)
日本橋から40キロの距離にあった桶川宿(埼玉県桶川市)は、日本橋を発った旅人が、最初の宿にすることが多かったそうです。
日本橋を早朝に発った足の早い旅人は、ちょうどこの辺りで日が暮れたそうですが、日本橋から6番目の宿の桶川まで、1日で来るとは!
信じられません!
江戸時代の人は子供の時から毎日たくさん歩いて鍛えていたのでしょうね。
また、桶川は、江戸時代には、宿場町以外に、農産物の産地・集散地としても栄えたそうです。
その代表が、江戸時代に栽培された「桶川臙脂(えんじ)」で知られた染料のベニバナで、ここで活発に取引されたそうです。
・木戸跡
・武村旅館
桶川宿で唯一残っている旅館で、今も営業しているそうですからスゴい!
・島村家住宅土蔵
1836年の穀物問屋の建築で、木造3階建てという珍しい土蔵です。
(以下の写真は、桶川宿に残る古民家の数々です。)
(本陣跡)
・中山道宿場館(案内所)
親切なお姉さんが、桶川宿の見どころや道順を丁寧に教えてくれます。
”どうやって来ましたか?”
と聞かれたので、
”横浜から京浜東北線に乗り、途中で高崎線に 乗り換えて来ました。”
と言うと、
”湘南新宿ラインの方が、乗り換え無しだし、時間も早いですよ。”
とアドバイスしてくれました。
帰りは、湘南新宿ラインで帰りましたが、停車駅も少なく、かなりの時間短縮でした。
案内所では、観光案内地図などの他に、紅花の種を配っていました。
帰ってからプランターに植えましたが、果たして花が咲くでしょうか。
中山道の観光案内が充実しており、桶川宿見物の事前の立ち寄りが必須です。
・稲荷神社
写真は、1852年に、三ノ宮卯之助という男が持ち上げた重さ610キロの力石です。
・大雲禅寺
境内には、1713年に造られた3体の地蔵が置かれていますが、この内の1体は、「女郎買い地蔵」と呼ばれ、写真の様に、
何と!!
背中に鎹(かすがい)が打ちつけられています!!
ここの地蔵が、夜な夜な女郎買いに出掛けてしまうので、怒った住職が鎹を打ちつけて、縛り付けてしまったそうです!
驚き!!
これは、若い坊さんを戒めるための警告だったそうです。
桶川宿は飯盛り女(売春婦)が多かったからだそうです。
面白い!
江戸時代の人って、結構、ユーモアがあったんですね〜。
・北本の歴史の説明板
案内板によると、江戸時代初期はここに宿場町があり賑わったそうですが、その後、鴻巣に宿場町が移され、ここは立場に降格したそうです。
立場(たてば)とは、宿場と宿場の間に設置された休息所で、旅人や駕籠かきが一休みしました。多くの場合、 茶屋があって土地の名物を販売していました。
・東間浅間(せんげん)神社
(神社の入り口の庚申塔)
桶川宿から鴻巣宿へ向かいます。
北本の道路は、殺風景で真っ直ぐで、歩きにくい歩道を、歩いても歩いても、見るべきものは、何ん〜もありません・・
(北本の皆さん、ごめんなさい!)
桶川宿から鴻巣宿までは、約7キロです。 |
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