落合宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠4と小さな宿場町でした。
木曽路沿いの11宿を出て、美濃路に入ると最初の宿場が落合でした。
落合宿の入口は、枡形になっていて、枡形を曲がると「常夜灯」が残っています。
当時の面影を残す古い家は余り残っていません。
落合宿の中ほどに、脇本陣跡、その先の右手に本陣跡があります。
井口家・本陣の建物は既に失われていますが、当時、加賀藩の前田家から贈られたという写真の古い門が残っています。
本陣の前には「明治天皇落合宿御小休所」の石碑が建っています。
本陣の先の左側に、落合宿祭りで「千人きのこ汁」を作るという、写真の「大釜」が置いてありました。
その大釜の右手の先に、下の写真の「善昌寺」があり、境内から伸びた「門冠の松」と呼ばる松の幹が街道に覆いかぶさるように伸びています。
中山道は、善昌寺の前の石柱の道標に従い、枡形の道を左折し、坂を上っていくと国道19号に出ました。
国道19号沿いに進んで行くと、与坂バス停の左手前に、青色の中山道の標識がチラリと見えたので、バス停の手前を左折して、急カーブして坂道を上っていきます。
十曲峠を抜けてホッとした矢先に、急な上り坂が延々と続きます。
十曲峠よりも、この坂の方が難所じゃあないの?
えっ、ここは無名の坂なの?
この急坂が、”難所・xx坂”として、江戸時代に有名になってもよさそうなのに・・・
上り坂が余りにも急なので、途中で息が切れて倒れそうです・・・!
もっと、スポーツジムで体重を落とさねば!・・・
これから先の中山道が思いやられます・・・
余りにも急な坂なので、途中で一休みします。
この急坂を上りきると、立派な民家があり、その前に「与坂立場跡の碑」がありました。
与坂立場跡碑の前に、弘法大師三十六番札所の地蔵堂がありました。
ここから先は、眼下に中津川の町並みを見下ろしながら、非常に急な坂道を下っていきます。
やがて、左手に写真の「子野(この)の一里塚跡」が見えてきました。
中山道は、再び上り坂となり、その坂を上りきったところに写真の「覺明(かくめい)神社」がありました。
覺明は、白装束を身にまとっての御嶽山への精進登山を、一般人に広めた行者だそうです。
覺明神社の前の急な坂道を下ってゆき、子野橋を渡ると、緩やかな上り坂になり、左手に写真の「小野の地蔵堂石仏群」が見えました。
地蔵堂石仏群から更に歩いてゆくと、国道19号に当たりますが、地下横断歩道があるので、これで国道19号を渡ります。
国道を渡り、上の写真の道祖神を見ながら、更に進んでいくと、右手に下の写真の「尾州白木改番所跡」がありました。
白木改番所跡の先には、旭が丘公園があり、その公園の前の下り坂の途中に、芭蕉80回忌の1773年に建立されたという写真の「芭蕉の句碑」がありました。
”山路来て なにやらゆかし すみれ草”
芭蕉句碑から更に坂を下ってゆき、大きな道を歩道橋で渡ると、もう中津川宿の入口です。
落合宿から中津川宿までは約4キロです。
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