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44:落合



落合宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠4と小さな宿場町でした。

木曽路沿いの11宿を出て、美濃路に入ると最初の宿場が落合でした。

落合宿の入口は、枡形になっていて、枡形を曲がると「常夜灯」が残っています。





当時の面影を残す古い家は余り残っていません。



落合宿の中ほどに、脇本陣跡、その先の右手に
本陣跡があります。



井口家・本陣の建物は既に失われていますが、当時、
加賀藩の前田家から贈られたという写真の古い門が残っています。



本陣の前には「明治天皇落合宿御小休所」の石碑が建っています。





本陣の先の左側に、落合宿祭りで「千人きのこ汁」を作るという、写真の「
大釜」が置いてありました。




その大釜の右手の先に、下の写真の「善昌寺」があり、境内から伸びた「
門冠の松」と呼ばる松の幹が街道に覆いかぶさるように伸びています。



中山道は、善昌寺の前の石柱の道標に従い、枡形の道を左折し、坂を上っていくと国道19号に出ました。







国道19号沿いに進んで行くと、与坂バス停の左手前に、青色の中山道の標識がチラリと見えたので、バス停の手前を左折して、急カーブして坂道を上っていきます。





十曲峠を抜けてホッとした矢先に、急な上り坂が延々と続きます。



十曲峠よりも、この坂の方が難所じゃあないの?

えっ、ここは無名の坂なの?

この急坂が、”難所・xx坂”として、江戸時代に有名になってもよさそうなのに・・・

上り坂が余りにも急なので、途中で息が切れて倒れそうです・・・!
もっと、スポーツジムで体重を落とさねば!・・・

これから先の中山道が思いやられます・・・

余りにも急な坂なので、途中で一休みします。

この急坂を上りきると、立派な民家があり、その前に「
与坂立場跡の碑」がありました。





与坂立場跡碑の前に、弘法大師三十六番札所の地蔵堂がありました。



ここから先は、眼下に中津川の町並みを見下ろしながら、非常に急な坂道を下っていきます。





やがて、左手に写真の「子野(この)の一里塚跡」が見えてきました。



中山道は、再び上り坂となり、その坂を上りきったところに写真の「
覺明(かくめい)神社」がありました。







覺明は、白装束を身にまとっての御嶽山への精進登山を、一般人に広めた行者だそうです。

覺明神社の前の急な坂道を下ってゆき、子野橋を渡ると、緩やかな上り坂になり、左手に写真の「
小野の地蔵堂石仏群」が見えました。











地蔵堂石仏群から更に歩いてゆくと、国道19号に当たりますが、地下横断歩道があるので、これで国道19号を渡ります。





国道を渡り、上の写真の道祖神を見ながら、更に進んでいくと、右手に下の写真の「
尾州白木改番所跡」がありました。



白木改番所跡の先には、旭が丘公園があり、その公園の前の下り坂の途中に、芭蕉80回忌の1773年に建立されたという写真の「芭蕉の句碑」がありました。


”山路来て なにやらゆかし すみれ草”

芭蕉句碑から更に坂を下ってゆき、大きな道を歩道橋で渡ると、もう中津川宿の入口です。










落合宿から中津川宿までは約4キロです。



43-2:妻籠・宿場町へ

45-1:中津川・苗木城

               
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