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36:宮ノ越



(写真は、義仲館の木曽義仲と巴御前)

宮ノ越宿は、源氏の木曽義仲の旗揚げの地として有名で、義仲にまつわる伝説がたくさんあります。



しかし、宿場町は、明治16年の大火で全焼してしまったため、往時の面影はあまり残っていません。


旧中山道は、木曽義仲の愛人の巴御前の伝説が残る巴淵に架かる巴橋を渡り、木曽川沿いを下ってゆきます。





田舎の風景の一本道を暫く歩いていくと、木曽川に架かる葵橋があり、宮ノ越宿・義仲館は直進、左に曲がると旗挙八幡宮の表示があります。

左側のJRのガードをくぐり、急な坂道を上ってゆきます。





坂道を登り切った先のT字路を左折し、200メートルくらい歩くと、畑の中に
「旗挙(はたあげ)八幡宮」がありました。




旗挙八幡宮は、予想に反して意外なほど小さな神社でした。



鳥居の横に、木曽義仲公館跡の石碑があります。

義仲は、この辺りの平地に城を構えて、八幡宮を祭ったそうです。

1180年、一千余騎を従えた義仲は、ここ
旗挙八幡宮で平家打倒の旗を挙げましました。



境内の樹齢1,000年の欅は、義仲の時代からのものだそうです。

木曽義仲は、源義賢の二男として武蔵国(埼玉県)に生まれましたが、父義賢が滅ぼされたため、義仲は木曽に逃れ、中原兼遠に養育されました。

兼遠の子供には、後の巴御前もいました。

兼遠の援助で、義仲は平家追討の兵を挙げます。

倶利伽羅(くりから)峠の戦いで、牛の角に松明を付けて、平家の大軍の中に追い入れて平家軍を破り、京に上り征夷大将軍となりました。

しかし、後白河法皇の策略により、源頼朝軍に追い詰められて、大津の粟津ケ原で、31歳で敗死しました。

ちなみに、木曽義仲のお骨は、東海道の大津宿の義仲寺にあります。

(2012.3.13「東海道を歩く:大津宿」を見てね。)


巴橋に戻って
「義仲館」へ向います。

木曽川に架かる義仲橋を左折するとJR宮ノ越駅で、 右折すると義仲館です。





義仲館の入口には、
木曽義仲と巴御前の銅像がありました。



館内は、木曽義仲や巴御前人形が飾られ、義仲の生涯と、かかわった人々や時代背景を、解りやすく解説しています。(300円)





上の写真は、平家追討の令旨を賜る木曽義仲です。

義仲館を出ると、すぐの右隣に
「徳音寺」があります。



徳音寺は、
木曽義仲の菩提寺です。


江戸時代には、上の写真の鐘楼門が、木曽八景「徳音の晩鐘」として旅人に親しまれてきました。



山門をくぐると、本堂の前には、写真の
巴御前の馬上像がありました。

本堂の横には、宝物殿があり、義仲の遺品や文化財を展示してあります。

本堂の右手石段の上に
「木曽義仲の墓」があり、巴御前など一族の墓も並んでいます。



徳音寺を出て、元の義中橋に戻り、宮ノ越宿の町並みを歩きます。





明治の大火で宮ノ越宿は全焼し、今は下の写真の本陣跡の石碑があるのみです。



少し先には旅籠「
田中家」があります。



ここも明治の大火で焼失したのですが、運び出した建具をもとに再建したのだそうです。





田中家の少し先に「明治天皇御膳水」の井戸があります。



江戸末期に掘られたここの井戸水で、旧本陣で小休された明治天皇に献茶されたそうです。

御膳水の先あたりから中央西線と平行する中山道は、田園風景の中の緩やかな下り坂となります。

まもなく一里塚跡の碑がありました。



しばらく歩いて、中央西線の踏み切りを渡り、右折し更に少しに歩くと、
間宿(あいのしゅく)「原野」の集落に入ります。



原野は、出梁(だしげた)造りの家が点在し、中山道の雰囲気を残しています。











原野駅に寄ってみようと駅に向かいますが、物置みたいな小屋があるだけです?



その物置小屋が
原野駅でした・・・

原野駅の反対ホームへ行く橋を渡ると写真の原野八幡宮がありました。



原野の町並みを過ぎた所に、庚申塔が集められていました。



庚申塔の先に
「中山道中間地点」の説明板がありました。



江戸時代には、
「江戸からも京都からも67里28丁(268キロ)」の中間点として有名だったそうです。

従って、ここに「中山道中間の地」の碑もあるはずですが?

見当たりません・・・

説明板の矢印に従って、国道19号の道の駅へ行ってみます。



ありました!



道の駅の駐車場の奥の一段高い所に写真の
「中山道東西中間之地碑」が!

何故?国土交通省は、勝手に、旧中山道沿いから外れた道の駅に設置したのでしょうか?

街道に戻り、少し歩くと、旧中山道は、右側の細い道に入ってゆきます。

細い道に入ると直ぐに、写真の相撲土俵がありました。



こんな辺鄙なところに、何故、国技館と見間違う様な立派な相撲土俵が?


更に、快適で気持ちの良い田舎道をずっと歩いてゆくと、写真の「
手習い天神」がありました。



ここで、木曽義仲は、仲原兼遠から学問の手ほどきを受けました。

細い田舎道は、いったん国道19号に合流します。



国道19号沿いに歩いてゆくと、写真の
出尻の一里塚がありました。





国道19号沿いに更に歩くと、写真の大きな
蕎麦屋「くるまや」がありました。



「松茸ソバあります」の看板につられて、ついフラフラとお店に入ってしましまいた。



松茸ソバ(1,800円)は、写真の様に、松茸がたっぷりと乗せられていて、汁も松茸の香りに満ちています。



美味い!

蕎麦屋の脇から再び右手の細い道に入ってゆきます。

再び国道に合流し、少し歩くと、巨大な
冠木門(かぶきもん)が見えて来ました。





冠木門の先が
福島宿です。

宮ノ越宿から木曽福島宿までは、約7キロです。



広重の浮世絵「宮ノ越」は、徳音寺の祭りに出かけた帰りの親子連れが、橋を渡っているところを描いています。

川は木曽川、対岸が中山道で、満月に近い月が出ている夜です。

35:藪原

37:木曽福島

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