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            | 日光街道を歩く - 日光東照宮 |  
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 21:鉢石へ
 
              
                
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 光東照宮への入口である「日光橋」の左手には、写真の「神橋(しんきょう)」が
 あります。
 
 この朱に塗られた橋は、奈良時代の1250年に、「勝道上人」によって創建されたと伝えられる国の重要文化財で世界遺産です。
 
 
  
 このアーチ型の木造反り橋は、山口県の錦帯橋、山梨県の猿橋と共に日本
 三奇橋と呼ばれているそうです。
 
 
  
 神橋の下を流れるのは、大谷川の清流で、神秘的な雰囲気が漂います。
  
 この様な神秘的な風景の中で、芭蕉も感動的な句を残しています。
 
 ”あらたうと 青葉若葉の 日の光”
  
 (青葉や若葉に差し込む日の光は、この日光山のご威光そのもので、実に
 尊いものだ。)
 
 そして、日光橋の右手前は、写真の「天海上人像」です。
 
 
  
 天海上人は、108歳で亡くなるまでの間、徳川家康・秀忠・家光の三代に
 わたって相談役として仕え、家康死後は東照宮の創建に尽くした「日光山中興
 の祖」です。
 
 江戸時代に108歳とは凄い!
  
 
  
 「日光橋」を渡ると、いよいよ日光東照宮へ向かう上りの石段です。
  
 
  
 東照宮は、1617年、二代将軍秀忠によって造営され、三代将軍家光によって
 建てかえられて、現在の豪華絢爛な社殿群になっています。
 
 徳川家康を祀る境内には、国宝8棟、重要文化財34棟を含む55棟の建造物
 が並びます。
 
  
 東照宮は、今回、私が行った時は、数十年に1度の平成の大修復中でした。
  
 
  
 境内に15ある重要文化財の社を、順番に修復していき、全ての社の復中が
 完了するのは12年後だそうです。
 
 
  
 上の写真は、「輪王寺三仏堂」ですが、ここも残念ながら、約50年ぶりの大修理
 が、約10年の歳月をかけて行われています。
  
 
  
 
  
 しかし、修理の第一段階として、三仏堂の大伽藍を覆う「素屋根」が平成23年に完成していて、ここに「展望見学通路」が設けられています。
  
 
  
 
  
 ここからは、三仏堂の屋根頂上と同じ高さから修理現場を見学することが出来るので、逆に貴重な見学が出来ます。
  
 
  
 東照宮の表門を入り、陽明門へ向う途中の有名な”三猿”は、8面のうち左から
 2番目(赤丸印)の画の「見ざる、言わざる、聞かざる」の部分だけが修復を終えています。
 
  
  
 三猿の左右は、16匹が8面に分かれていて、誕生から親になるまでの一生を
 表しています。
  
 
  
 
  
 上の写真は、日が暮れるのも忘れると言われる程に装飾が豪華な「陽明門」
 ですが、こちらも残念ながら修復中でした。
  
 
 
 
                  
                   
 
  
 上の写真は、有名な国宝「眠り猫」です。
 
 こちらは、丁度、60年ぶりのお色直しを終えたばかりで、色鮮やかに復元されて
 います。
  
 修復前は、猫は目を閉じていましたが、資料に基づき、何と!、
 目を開けた姿にして修復したそうです!
 
  
 下の写真は、その「眠り猫の裏側」です。
  
 
  
 眠り猫は、江戸時代初期の作品ですが、作者は不明だそうです。
  
 
  
 上の写真の五重塔では、ちょうど塔の内部の初公開をやっていました。
  
 (東照宮五重塔の心柱特別公開(300円)」
 
 
  
 上の写真ではちょっと分かり辛いですが、心柱(しんばしら)の下は浮いており、
 塔と分離した心柱は、免震の機能を果たしています。
  そして、この心柱の技法は、東京スカイツリーに活かされているそうです。
  
  
  
 そうか!、入場のときに配られたクリアファイルに、五重塔と並んでスカイツリーの写真があるのはそう言う意味なんだ!
  
 
  
 
  
 上の写真は、輪王寺「大猷院(たいゆういん)」で、三代将軍家光の霊廟です。
 (550円)
 
 この大猷院の建造物も、残念ながら修復中でしたが、下の写真の鐘楼や唐門は見られました。
  
 
  
 東照宮を凌いではならないという家光の遺言により、黒と金を基調とした
 落ち着いた造りに抑えられているそうです。
  
 
  
 
    
 
    
 
 
                    
                      
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                        |  |  最後に「家康の墓」に行きますが、ここについては、明治11年に書かれた
 英国旅行家のイザベラ・バード「日本奥地紀行1」(平凡社:3,240円)に
 記載された「家康の墓」についての紀行文に、私の写真を挿入してご案内します。
 
 
  
 「家康の墓」へ行くには、東回廊に設けられている坂下門をくぐり、苔や
 二輪草の緑が目立つ石畳の参道に入って行くことになる。
  
 
  
 墓は、207段の石段を上った山の頂きの一番奥の高い所、家康を称えて
 建立された全ての社殿を背後から見下ろすかの如くにあった。
  
 
  
 
  
 大きな石積みの上に青銅の壺が乗る簡素な墓(宝塔)で、そこに家康の
 遺骸が眠っているのである。
 
 
  
 宝塔の前には、石の台が置かれ、その上には、青銅の香炉と青銅の鶴が
 乗っている。
 
 
  
 私は、石垣、石畳の参道、石段、石棚の柱石にも感服した。
  
 
  
 これらは全て、漆喰やセメントを用いずに、極めて精密にぴったりと
 組み合わされている。
 
 このため、260年も経っているのに、継ぎ目は、雨にも湿気にも根付こうとする
 植物にもほとんど侵されていない。
 
  背後の山に生成する杉の大木は周りを昼なお薄暗くしており、木漏れ日が
 斜めに差し込むだけである。
 
 周囲の自然が、偉大な将軍の荘厳な墓を、悲しみをたたえながらすっぽりと
 包んでいる。
  
 (以上、イザベラ・バード「日本奥地紀行1」から : 私の文章ではありません、
 念のため・・・
  ) 
 
 
  
 東照宮を出て、東武日光駅から、JR新宿駅行きの東武電車に乗って、横浜まで
 帰ります。
  
 
  
 東武とJRとの相互乗り入れの電車に乗るのは始めてです。
  
 
 ps.
 日光街道踏破の全行程は、ホームページ(「中山道を歩く(完全踏破の一人旅)」)の欄外に、「日光街道」として補記追加しました。
 
 また、ホームページ(「東海道五十三次を歩く(完全踏破の一人旅)」)もありますので、こちらも併せてごらん下さい。
 
 
 今後予定している奥州街道/甲州街道や横浜東京近辺のウォーキングは、
 ブログ「ウォーク更家の散歩」(http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie)でご覧下さい。
 
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