![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/88/1818692217a8c3c650bbb6f3c58e3c76.jpg)
(写真は「中田の松原」)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3b/6d09df094e83a6c80a4e5795e9b1b512.jpg)
利根川に架かる利根川大橋を渡って、堤防を下り切った角に、「房川渡し
(ぼうせんわたし)と中田関所跡」の説明板がありました。
しかし、文字の色があせてしまって読めません・・・
![](m_0142.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/ac/4efdc81f1dbf85c39ac1da9c9a91c58a.jpg)
仕方なく、私の手元の案内書を見てみると、中田宿は、大正・昭和期に、
利根川の大河川改修が行れた際に、宿場町の位置が、利根川橋の河川敷の
辺りになってしまいました。
![](m_0228.gif)
従って、江戸時代の中田宿は、現在の河原と土手の下に埋没してしまって
おり、現在の旧日光街道沿いには、江戸時代の宿場の痕跡は何も残って
いません。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/70/5d99fa67b009fddb8bbb6499a9960fea.jpg)
暫く歩くと、左手に写真の「鶴峯八幡神社」がありました。
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ac/884adbdf42c1c70654c77849d5b52221.jpg)
その神社の隣りに、静御前ゆかりの「光了寺」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/1b/dce41e0a353ce0402dc2888dc6969ef5.jpg)
門前に、「祖師聖人 並 靜女舊 跡」の石碑が建っていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d4/2e53016fe985dd8289c0f5c99ff83b17.jpg)
境内の案内板によると、静御前は、源義経のあとを追って、奥州平泉へ向かう
途中で義経の死を知り、光了寺(高柳寺)に入って菩提を弔います。
![](ny_kimono_f.gif)
しかし、22才の若さで、ここ光了寺亡くなりました。
![](m_0211.gif)
そのため、この寺には、静御前の遺品が現在も保存されているそうです。
![](cat_5.gif)
その遺品の一つが、「蛙蟆龍(あまりょう)の舞衣(ぶえ)」で、 後鳥羽院に
与えられて、静御前がその御衣で舞ったそうです。
ただし、残念ながら、その舞衣は一般公開されておらず、しかも800年も前の
衣装なので、現在、どの様な状況で保存されているのかは不明です。
![](kuri_5.gif)
また境内には、写真の芭蕉句碑が建っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/d2/bf5195545ce7d2d2eee1953957281f2e.jpg)
”いかめしき 音やあられの ひのき笠”
(ぱらぱらと大きな音をたてて檜木笠を打つ、この霰の音のなんと
いかめしいことよ。)
光了寺を出て、古河市立第四小学校を右手に見ながら、更に進んで、
東北本線の踏切を渡ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/96/8d112260846a43669121c6261726cc86.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/1e/5d7c5cb858e26115d48681ae1f04639d.jpg)
やがて、旧日光街道の両側に松並木が始まり、案内板が立っていました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/48/5409162dbe91e02a592cb742fe2f520f.jpg)
それによると、この松並木は、江戸時代には「中田の松原」と呼ばれ、次の
古河宿の入口まで約4キロも続いていたそうです。
![](m_0139.gif)
![](body_walk.gif)
また、徳川秀忠が日光社参の際に、ここに御茶屋を設けたので、この辺りを
「茶屋新田」といい、中田宿の高札場もこの辺りにあったそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/01/506075542d7a5a7a24336f3b1c138dbc.jpg)
その茶屋新田を抜けると、やがて右からの道と合流するところに、
第二高等学校の長い石垣が見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/9c/a42d55b7fd6c1dd61155cc24ecd7303f.jpg)
その高校の運動場の白い柵の中に、ちょっと見辛いですが、上の写真の
「古河の一里塚」跡がありました。
第二高等学校の先を少し歩くと、旧日光街道は突き当り右折します。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/e9/4a26b96b1f90f691bb33574b087abd45.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/96/2b87caf73a569c49e35e5a3b6ef38cb1.jpg)
その右折する右側の角に「古河宿」と書かれた常夜灯がありました。
ここが古河宿の入口です。
中田宿から古河宿までは、約6キロです。
![](body_walk.gif)
ps.
中田宿の痕跡は、文字の色があせてしまって読めない「房川渡しと
中田関所跡」の説明板だけしかなかったので、今回は、宿場町についての
ブログのネタがありません・・・
![](m_0211.gif)
そう言う訳で、ブログのスペースが余ってしまったので、余談ですが、この
日光街道歩きの案内書について書いてみます。
![](m_0199.gif)
私が使用しているのは、「日光街道を歩く」(大利一郎:創英社/
三省堂書店:1,800円)です。
名所旧跡の解説は、分かり易く、ボリュームも適量です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/70/40942d56b248f8d0f786477497b24cbf.jpg)
ただ、出版された時から時間が経っているため、多少、記載内容が変化して
いますが、これは仕方のないところでしょう。
また、地図が大まか過ぎて、地図上の距離感が実感と合わないので苦労して
いますが、そうは言っても、これが原因で道に迷うところまではいきません。
全体としては、よくまとまっているので、必携のガイドブックだと思っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/2d/e1f74f5069bb07c2eec739b986fe50a1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/fe/21572fdbff5dfaf7510ea99555e87a74.jpg)