![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/dd/ed5111e01bc4c25a81367ce4d688b517.jpg)
(写真は、江戸時代から続く接骨院「名倉医院」)
千住大橋を渡り、日光街道の1番最初の宿場だった千住宿に入って行きます。
![](body_walk.gif)
千住宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠55の他に、遊女屋が36軒もあり、品川・新宿・
板橋と共に、江戸4宿の一つの歓楽街として大変賑わっていました。
千住宿に入ると、旧日光街道は、「中央卸売市場・足立市場」のところで、国道4号
(日光街道)と分かれ、右手の細い道を直進して行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/7f/c4ed6ae60b8d23790d71718635780c18.jpg)
旧日光街道の入口右手には、 芭蕉翁の旅姿像があり、その前には、
「日光道中 千住宿」の石碑が建っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/9e/e42009aaa4f51c8a2ed4c5e70cd2ae53.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/f9/879fe555e3ef55ab2e1e6b443758ead5.jpg)
「中央卸売市場・足立市場」の前の道は、「ヤッチャ場通り」で、ヤッチャバ場の屋号を示す”伊勢屋”、”谷塚屋”などの表示が続きます。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/40/e48159689e9b9987463cdd60934c4042.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d7/7af1a4c42c6b5f1000951daee011aa12.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d6/d35f13b0a2ddc46be4a63d61d6b35096.jpg)
更に進むと、左手に「千住宿歴史プチテラス」(貸し出しギャラリー)があり、その門の左脇に芭蕉句碑がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/df/1aa183070e61d150f989af5ec9a5c1cb.jpg)
”鮎の子の しら魚送る 別れ哉 (芭蕉)”
白魚は2月頃に産卵のために隅田川を遡り、若鮎も3月頃にそれを追いかける様に隅田川を遡ります。
千住まで見送りに来た門弟達を”鮎の子”に、送られる自分を”白魚”に見立てて
います。
千住宿は、下の写真の様な八百屋、割烹等の他、馬頭観音などもあり、雰囲気の
ある町です。
![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/c3/664fae154338f0ac91c573657826f961.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/be/78941dbeee9787033534bfd0635ecf27.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/bf/a32f44e6305f92b266361d395da1e5ca.jpg)
更に進むと、信号の手前の右手に「一里塚跡」碑、左手に「高札場跡」碑が建って
いますが、どちらも小さな石碑で、うっかり見落としそうです。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/b2/9610a64357e42dd36c5f5115ff151ea3.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/2d/d224108364fcbd9624c01bffcb451eb5.jpg)
この信号の先は、「千住本町」商店街の大きなアーケードがあり繁華街が続きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/13/1e196f319eb217f817f40da7c751da7b.jpg)
この繁華街の裏道の足立都税事務所の植え込みに、写真の貼紙がありました。
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/26/fe9227c6937e7d0a6efb3124b0592275.jpg)
それによると、ここにあった「森鴎外旧居橘井堂跡碑」と「千住の鴎外碑」は、
再開発に伴い撤去したとあります・・・
![](m_0211.gif)
足立都税事務所の直ぐ近くに、下の写真の「金蔵寺」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/f5/aec5ea757765d9a1a8c5e353e4d53a05.jpg)
お寺の門を入ると、左手に下の写真の「南無阿弥陀仏」と刻まれた写真の供養塔があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/78/33458d8444153443188016e4b264579d.jpg)
これは、千住宿の飯盛女を供養したもので、下の石台には、店の名前と遊女の戒名が刻まれています。
![](m_0151.gif)
![](ny_kimono_f.gif)
その横の「無縁塔」と刻まれた下の写真の供養塔は、1837年の大飢饉の犠牲者を供養したものです。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/6e/d72302f5559d1a3a94b90f7f76853a28.jpg)
北千住の町は、遊女屋が36軒もあった名残りでしょうか、表通りの繁華街の人通りも多く、裏通りに入っても、食堂、居酒屋、バー等がひしめいています。
![](m_0199.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a6/024a89c4ff2c21137640d0db6d379d55.jpg)
![](ny_kimono_f.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/40/81db514d6dae29c40658c2a82e3c9db1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/db/4883c9ef49a1ca5b821c6884458e8090.jpg)
表通りの商店街の電柱には、写真の様に、”千住宿を通った大名とその家紋”の
説明が続き、シャッターには日光街道の宿場毎の浮世絵が描かれています。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/6d/70a57a2b9188a0ab6f96383eff04412a.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/76/5911fb44910707d18fa0932e9ace91b0.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/3f/e206176761a1d300892c18f5f40efc59.jpg)
旧日光街道を少し進むと、左手に入る細い道の奥の突き当たりに朱塗りの門の寺が見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/65/cf9d08a77c8b3430d8d0708b891ffbbb.jpg)
”赤門寺”として親しまれた「勝専寺」(しょうせんじ)で、朱塗り門の扁額には
「三宮神山」と書かれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/6b/295469e2f1347d6df1e0830c03cd4ba5.jpg)
説明板によれば、勝専寺は、歴代将軍の鷹狩りの際の休息所だったそうで、
本堂の本尊の「千手」観音像が、”千住”の地名の由来らしいです。
![](m_0151.gif)
勝専寺から商店街に戻り、先に進むと、100円ショップの前に止められたたくさんの
自転車の中に、写真の小さな「本陣跡」碑がありました・・・
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/74/fe36b8cb56de62ef6c4fcd20e8394181.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/28/260f3b85193eeb1cb8c58f61109023cc.jpg)
商店街を進むと、右手に「千住ほんちょう公園」という小さな公園があり、この公園の入り口に、高札場が復元されています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/e1/4d57665e07a49d3b6768342ffe0e226f.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/65/e0ec608bc014d438b12ebbefaf00957d.jpg)
この公園の先の左手に、写真の「絵馬屋(吉田屋)」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f5/5c08f216c4fc7b643c55f8310c74253c.jpg)
吉田屋は、江戸時代からの絵馬屋で、現在、手書きの泥絵具で絵馬を作っている
のは、東京でここ1軒だけだそうです。
![](m_0151.gif)
吉田屋の向かいは、千住宿の雰囲気を残す「横山家住宅」で、紙問屋として栄えた旧家です。
![](m_0139.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/76/ecea46a2b032ad10befb788de963328e.jpg)
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![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a3/1bee77a78e82eb11ddc55c54350dcc41.jpg)
吉田屋の斜め向かいは、「槍かけだんご」で有名な上の写真の「かどや」です。
![](m_0140.gif)
お腹が空いたので、名物の「槍かけだんご」を買って、少し戻って、「千住ほんちょう公園」のベンチで食べます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/6e/726af598c57d13059440f53e66ecd695.jpg)
味がしっかりしていて凄く美味しいので、1本90円は安くてお得です。
![](face2_happy_s.gif)
「かどや」の先にある「名倉医院」は、江戸時代から続く名高い接骨院で、幕末に
建てられた下の写真の長屋門が残っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/bc/e256e576a78fa453233dff8a2a028dd1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/83/fc1af66963b47ec724b9b3423b4fc9c2.jpg)
地元では、子供の躾けに「言うことを聞かないと名倉に連れて行くよ」と言ったとか。
![](m_0199.gif)
この名倉医院が、千住宿の外れです。
千住宿の外れの名倉医院の前の道は、荒川の土手にぶつかります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/5c/3885b4ec8307092d759aedeefe967e8e.jpg)
土手に沿って左手に進み、国道4号のガードをくぐって、螺旋階段を登り、土手の
上に出て、「千住新橋」で「荒川」を渡ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/1d/b2ea51f6b705d792bfdb1fe8017d41f8.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/2b/66f998426fb3fc3271a5f9e87da35eb4.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/56/01ace0038e8e5d4b07c40f45e889b2d8.jpg)
驚くことに、江戸時代には、この「荒川」はありませんでした?
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/35/c50401cc0266f3a3bc934c5254b6f4f3.jpg)
この「荒川」は、大正になってから、洪水対策として造られた人工の川なのです!
![](face2_shock_s.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/58/ab0a9cb8c470b6bbac33620bc589e408.jpg)
その証拠に、正式名称は「荒”川”」ではなくて、「荒川”放水路”」です。
![](m_0151.gif)
![](kuri_5.gif)
しかし、この広大な荒川が、大正時代に、手掘りで造られた人工の川だとは、
俄かには信じられません・・・
![](cat_5.gif)
放水路が完成してから、本来の荒川は隅田川、放水路は荒川と呼ばれる様に
なりました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/10/1b19fff04cf46b39dc29799228d4bf8b.jpg)
従って、荒川放水路がなかった江戸時代には、 旧日光街道は、上の写真の様に、赤線の真っ直ぐな道でした。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5a/b39b6cd7762e59f241ebb354c52d6d12.jpg)
「荒川」の対岸の土手を下り、首都高・中央環状を左上に見ながら、土手の脇の道を
左手に歩いて行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/5d/93c8174bb3382e2bae96f4b8ed14754d.jpg)
少し歩くと、写真の「善立寺」があり、旧日光街道は、その角を右折、北上して
行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/25/c423c90aaabbc3a8047a060554b5b65b.jpg)
すると、左手に、上の写真の「地蔵堂」があり、その前の石柱には、「八彦尊道
是より二丁」と彫ってあります。
この「地蔵堂」を左に直進する道が「八彦尊道」で、その先に明王院があり、
その境内に「八彦尊」があるということらしいです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5a/1db826441bff22b4032b162dcc4acbdd.jpg)
更に進むと、三叉路があり、旧日光街道の道標が建っています。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/7b/43113f86c03e0f3cf7f5aef4f1a52b8f.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/ca/b59e3535386fbb3e5c619a965133b2b3.jpg)
道標に従って旧日光街道を直進すると、東武伊勢崎線・梅島駅のガードを
潜り抜けます。
暫く歩くと、右手に「ベルモント公園」という、足立区には不似合いの?(失礼
![](m_0199.gif)
お洒落で上品な雰囲気の洋風公園がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/d4/a72dada9b6e32f9886a347e282f1960e.jpg)
案内板によると、足立区とオーストラリアのベルモント市との友好親善のシンボル
として作られた公園だそうです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/b0/c22710a07f67242a2f31e675255ee174.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/81/43a210f5df24f052e5af0688fb2adbe0.jpg)
美しい花壇と噴水の前のベンチで一休みして、水分を補給します。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/drink_ramune.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ea/998e2a07ec8d517ec4ddfea646dcc772.jpg)
写真のヒツジのモニュメントなどが、異国的な雰囲気をつくり出しています。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/6b/373d57ca9678f708846690e1fec6d328.jpg)
写真の赤レンガの建物には、オーストラリアの工芸品等が展示されています。
ベルモント公園を出て暫く歩くと、左手の道の入口の両側に2本の石碑が
ありました。
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/0d/8e6486d7fd98f2def86d9064def82cf1.jpg)
「南無妙法蓮華経」の上の石碑と「将軍家 御成橋 御成り道松並木跡」の下の
石碑です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/99/4aa7a0fd5ad37131957b3251c40a3b16.jpg)
その2本の石碑の間の細い道の先に「国土安穏寺」(こくどあんのんじ)が
ありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/0b/b668a5a16bc97ce84ec82ed9e89f8145.jpg)
立派な仁王門があり、扁額には「天下長久山」とあります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/6a/77e6222cfd42d01cec348ff7a0b4ccca.jpg)
歴代将軍が、鷹狩や日光参詣の際によく立ち寄ったために、「御成門」が造られた
そうです。
![](m_0151.gif)
説明板によると、この寺は元々は、1410年、日蓮ゆかりの日通聖人が開いた古刹
だそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/5a/545cb2d7583054baf5f2c08b8854c64e.jpg)
仁王門の裏側には、写真の大きな草鞋がかかっており、門扉は徳川家の葵の紋
です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/06/aebd05e3d4e91f67cbadd81d4e8e3468.jpg)
墓地には、写真の可愛らしい「掃除小僧」と「居眠り小僧」の石像がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/6b/141f341dd0c6ac3b9ff50fe0a14ffaa1.jpg)
![](cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/f1/fff9fdf677a1951b71c35bf1438bdf46.jpg)
国土安穏寺を出て、真っ直ぐな旧日光街道をどんどん歩いて行くと、左手に、
足立清掃工場の高い煙突が見えました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/ab/989613b5b822cfc0b1bc4416a24ccb73.jpg)
旧日光街道は、その先で右にカーブして、国道4号を突き切って進みます。
![](body_walk.gif)
その突当りを左折すると、「毛長川」(けなげがわ)に出ました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/91/6cbb8b388e2cc6ec986da0b5e25ab8be.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/ca/cfedd73536296b891d62181d669a11a7.jpg)
道路標識によると、この川が東京都と埼玉県の境で、ここから草加市に入ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/8a/3e9805ceda01d3f2420a589c4146ebb4.jpg)
えぇっ〜、とっくに埼玉県を歩いていると思っていたけど、未だ東京都だったんだ!
![](m_0199.gif)
足立区は広いんだなあ〜・・・
![](cat_5.gif)
やがて、右手に「浅間神社」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/64/e21f2d0bbdf8184b026275bb62643090.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/0f/230ab750b089c3796d9701bb14aa900f.jpg)
ここでは、冨士請が開かれていたそうで、境内には写真の富士塚があります。
浅間神社の先には、下の写真の「火あぶり地蔵」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/86/e01a5e8cb91bf01b1e9fc8dd09970fe4.jpg)
病身の母を家に残し奉公に出た娘が、母の病が重くなったという知らせを聞き、
一目会いたいと思いました。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s2_sum_yukata_r.gif)
しかし、奉公の身であるために暇が貰えず、思い余った娘は、家が焼けてしまえば
母の許に帰ることが出来ると、主人の家に火をつけました。
![](face2_shock_s.gif)
娘は捕らえられ火あぶりの刑に処せられました。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif)
村人は娘を哀れに思い、この「火あぶり地蔵」を建てたそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/0e9c51a98d7b410a44898025d2b85fc4.jpg)
草加宿が近いのでしょうか、煎餅屋が目立ち始めます。
![](m_0140.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ab/c6eb4a0afde5818454ddc601b50d2391.jpg)
やがて、草加宿の入口の分岐点が見えて来ました。
千住宿から草加宿までは、約9キロです。
![](body_walk.gif)