![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/3c/8cbbe5aeebe7ae21d1fff666f1f2a1c2.jpg)
(写真は、江戸時代の日本橋の様子を描いた「熈代勝覧」絵巻 )
東海道、中山道のスタート時に続き、三度目の日本橋です。
![](hiyo_do.gif)
このところ猛暑日がずっと続いていますので、少し暑さが和らぎそうな日の
午前中を選んで、日本橋からの日光街道歩きを、細々とスタートしました。
![](m_0199.gif)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/96/ad65bce81a47f2c3daf1183e74ce9103.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a5/d39adc72793b01ec53bf86f8e1ba803b.jpg)
日本橋界隈は、江戸で一番人出の多い盛り場だったので、日本橋の袂
には、「高札場」と、罪人の「さらし場」がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a5/1e565db357a0c61b10a3c7d167b4ef41.jpg)
(高札場跡)
「さらし場」は、現在の交番の辺りにあり、主殺しや心中者のかたわれ等、
処刑3日前の罪人が首かせを掛けられてさらされていました。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/63/652e05d559e10631369efb392d7a4d3e.jpg)
(さらし場があった辺り)
ちなみに、下の広重の「東海道五十三次」では、橋の右の袂は、犯罪者を
さらしの刑にした晒し場だったので、木戸で覆い隠して、2匹の犬で暗示
しています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/78/e3447b31f41e5728405b21817bfd3b89.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/4f/fb2b8b9ec1fb09ac2c62b318788b6975.jpg)
「日本橋」の橋柱には、五街道の起点の象徴として「一里塚の松と榎」が
デザインされています。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/57/f5191207afd4127d120e22f08afc2a2a.jpg)
(松と榎のデザイン)
日本橋の橋の上の国道を品川方面へ向かうと東海道です。
![](body_walk.gif)
東海道と反対方向の神田方面へ歩きだせば中山道ですが、少しの間、
中山道と日光街道は共通の道です。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/72/05841af987b6a1cb61170029fa96407b.jpg)
下の浮世絵は、名所江戸百景の「する賀てふ」(駿河町)で左手が呉服商の「三井越後屋」、右手が両替商の「三井」です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/11/2ebb6f0688632d2f9c67c58007aeae8a.jpg)
下は、浮世絵と同じ位置からの現在の写真で、左手が「三越」で右手が
「三井本店」です。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/02/566a7df64d0fc2cadac977aab573e903.jpg)
地下鉄・三越前駅の地下コンコース壁面には、写真の様に17メートルに
わたる「熈代勝覧(きだいしょうらん)」絵巻が設置されています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/6b/b8905709417f8d11c94dd2f5cbd35032.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/ad/f12a5a2368e01aba1e991ed8551437d6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_4.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/5f/1c81caf23919343bf78dd67d438324fe.jpg)
この絵巻には、江戸で一番賑やかだった頃の日本橋の町人の様子が、
生き生きと描かれており、当時の日本橋の息づかいが伝わってくるようです。
また、日光街道の右手には、鰹節の「にんべん」や、海苔の「山本山」等の
江戸時代からの日本橋の老舗が並んでいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/64/ffb648b52d21345162d30ce073dda972.jpg)
これらの老舗の並びには、新たに「COREDO室町」ビルが完成し、最近、
この辺りの街が、更に活気を帯びてきました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/5f/ca1983a2dca90610badb31b0ab2f62cf.jpg)
(COREDO室町)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6f/4ac1a32aede2fab58e7237436afa8c2b.jpg)
(COREDO室町)
中山道と日光街道は、日本橋の先の千疋屋と新生銀行の角(室町三丁目
信号)までの約400メートルが共通の道です。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d1/485f2584dc76e0283f322c54ba01b7b2.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/40/3fcddd85fb80c75da3ac440880f6b60a.jpg)
中山道は、この信号を直進しますが、日光街道はここを右折して、本町通りに入ります。
本町通りを直進すると、日光街道は直ぐに昭和通りに当たるので、地下道を利用して反対側に出ます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/74/50909b7e016f04ceb422d5291ce65333.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c7/232f0f5d656c1f8918cf49110d4e3222.jpg)
更に直進すると、右側の有料駐車場の隅に、うっかり見落としてしまい
そうな、写真の「旧日光街道 本通り」の石碑が建っていました。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/ce/35ed328ab76dc70e104666b35b9c73af.jpg)
やった!、この通りが日光街道で間違いありません!
![](m_0087.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d3/2bc01cc57f0b52021e8c81b50e4b2b1e.jpg)
側面には、「江戸名所図絵や 広重の錦絵に画かれて著名なこの地は
将軍御成道として繁華な本街道であり 木綿問屋が軒を連ねて殷賑を
極めた。」と彫られています。
そのまま直進すると、日光街道は大伝馬本通りとなり、地下鉄
「馬喰横山駅」を右手に見ながら信号を渡ります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/60/d73e4a0aa2575d784312c3651bc81c38.jpg)
次の通りの入口には「横山町問屋街」の大きな看板が建っており、衣料品の卸問屋が軒を連ねています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/47/47f586a13d4cf113bd0d05d2814305fc.jpg)
江戸時代には、この辺りには、木綿問屋が軒を連ねていました。
下の浮世絵は、名所江戸百景の「大伝馬町 木綿店」です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/5e/b48877bde00b8c8aa61645331de03537.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/4f/c8ff233072544c5d2f9f487b4aad9a09.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/97/fd85f07d9ea6440acd17166746e55990.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/74/7fdfab3083993d7d3141f54e4a2b37f0.jpg)
殆んどのお店には、写真の様に「小売 お断り」の張り紙がしてあります。
![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/12/c93df66eee23187abb6138f76e310a0e.jpg)
この横山町の問屋街を直進して、突当りの大通りを左折すると、浅草橋の
交差点に出ます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/94/c6e9c361114d90bbfff4a9db6854a4f4.jpg)
浅草橋の交差点を直進すると浅草橋です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/46/0487a8b3120f8f036ed7e615a153c1a6.jpg)
浅草橋の左手前の小さな公園に、写真の「関東郡代の屋敷」跡の説明版が立っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/38/20e96a8bfb24153ffb792621b2023ac6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/50/6329aa9a4f25cf0aacb352bb30672770.jpg)
説明版によると、明暦の大火以降は、関東郡代がここに屋敷を構えて、
幕府直轄地の年貢徴収、紛争処理などを行ったそうです。
浅草橋の橋の上からは、屋形船がたくさん見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/60/7ab6c8b429340e8aae1d8bf446497c1f.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c1/63c210f482020887a2c4e7392e894e4d.jpg)
浅草橋を渡った左手の植え込みの中に「浅草見附」跡の石碑がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/5e/d1926b9eea1df0e792f306cdaa8efd06.jpg)
「浅草見附」は、最も東の端に位置する江戸城の外堀の城門です。
「見附」とは、城門の外側に置かれた番所のことで、江戸城には、この
浅草見附の他にも、赤坂見附、四谷見附など、36カ所の見附が置かれて
いました。
![](m_0151.gif)
浅草橋を渡ると、その先は、有名な”人形の街”です。
久月、善徳などの大手がビルを連ねます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/3a/a4c798c95066dc357cd4a1bb35267836.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/3b/ffd38e62cb93ddeae621ecab4db42eaf.jpg)
やがて日光街道は、江戸通りとなって、蔵前橋通りと交差します。
蔵前は、江戸時代、幕府の米蔵が軒を連ねていた所です。
![](m_0151.gif)
日光街道(江戸通り)沿いに歩いて行くと、左手に”ポケモンGO”の任天堂
ビルがあり、その右隣に、江戸時代から続く「駒形どぜう」が見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d3/d0bfbbcfc9867c820539078830186477.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b0/e100960026b42e41ede14f3858fa443c.jpg)
(「駒形どぜう」については、2011/8の「散歩の寄り道:どじょう鍋」を見てね。)
更に進むと、駒形橋交差点で、江戸通りと雷門へ向かう道との分岐点です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/75/0f9a1e8df31f73629b12e83c187c2225.jpg)
この交差点の右手に、馬頭観音を本尊とする写真の「駒形堂」があります。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/04/b8af4cd5ef93a001ab076a42e527eeb6.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/43/71f861c16177283e8cd2dd7ff53beed6.jpg)
江戸時代、舟で浅草寺に参詣に来た人達は、先ず、隅田川沿いの駒形堂で船を降りて、駒形堂にお参りしてから浅草寺へと向ったそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
駒形堂の脇には、写真の「浅草観音 戒殺(かいさつ)碑」が建っています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f3/4fe393b868d3c1121335bfdf0bfb7bd1.jpg)
その説明版によると、「浅草寺の霊地である当地では、魚鳥の殺生を
禁ずる」旨が碑に彫られているそうです。
駒形堂を見てから、江戸通りを外れて、駒形橋交差点を左斜め前に進んで、浅草雷門へ向かいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a2/78a70f8bcbc19789841af3ad5c291cab.jpg)
有名な「浅草雷門」の前は、大勢の外国人の観光客と、日本人の
”お上りさん”でごった返しています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/2b/b1f1bf70e0c7ebb2542a52ef57a76a2a.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d7/5a04604f68d5814434b5ebc0677d1100.jpg)
ちなみに、門の脇に立つ雷神像が雷門の由来だそうです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/00/49f5732502ce59c52d97922fd9d3c273.jpg)
江戸時代の旅人は、旅の安全を祈願して、浅草寺に寄ってから、日光街道を進んだのでしょう。
![](m_0151.gif)
日光街道は、雷門に突き当たると右折し、東武浅草駅の右側の道を進んで行きます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a4/8cbcd252e8235e2a3c3628b54982a9a0.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/40/d47169df9919a6fe028064b620f2dace.jpg)
日光街道は、隅田川に並行しているので、ビルの切れ目からは、
スカイツリーと隅田川が見えます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/92/40d0116352bfe4044c291e308185fbed.jpg)
間もなく、言問橋西の五差路の信号がありますが、この信号の左斜めの
道が日光街道(吉野通り)です。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/8c/1c8cc080f183ac134b7b126b2e4fd1e8.jpg)
日光街道(吉野通り)を少し進むと、右手に、写真の「待乳山聖天」
(まつちやま しょうてん)があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/76/bce5892f992cba4b90bdc551de7aa8ac.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/05/2ccd0e6a383cb183655e0977ff215860.jpg)
昔は、この聖天のある隅田川沿いの小高い丘から周囲が見渡せたので、
江戸名所として浮世絵にも描かれ、近隣の吉原などの花街からの参拝で
賑わったそうです。
以前は、この吉野通りは山谷通りと呼ばれていましたが、「山谷」は”ドヤ街”として有名になってしまったので、「吉野」に変更したらしいです。
![](m_0151.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/59/18dd64f71daa8e5bd96b50039b491668.jpg)
吉野通りは、吉野橋で、写真の「山谷掘公園」の遊歩道と交差します。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/8f/4a8e4ba275c6df1ef5f6e99b9add98ba.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/02/07d19c90e0718226874b9bbc7ae82838.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ff/b727bd31b44679cc7bb4debe63ce3ce3.jpg)
案内板によると、江戸時代、山谷掘は隅田川へ注いでおり、吉原へ向かう
猪牙舟(ちょきぶね)が堀を上っていたそうです。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ship.gif)
”ドヤ街”の名残りでしょうか、吉野通りには、2,000円〜2,500円くらいの安い旅館やビジネスホテルが軒を連ねています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/3e/96ebc592d616f7b924d0361aca956cbf.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/50/2c64303d359819f4b7ab3a923ebb93d2.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/25/cadc17b0f3570332b613a24e768c0e3d.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/72/ab1b2dac4e6b5b3b55b2ed4031fc3951.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/cb/43e973e63640a2aab62589c91a062149.jpg)
この低料金が受けて、最近は、外国人のバックパック旅行者に人気だと
聞いたことがあります。
![](m_0151.gif)
やがて、吉野通りは「泪橋」交差点に出ます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/bc/37a1f4043a9431f95ae8f72090347e19.jpg)
昔は明治通りは川だったので、日光街道は、ここに架かっていた「泪橋」を
渡りました。
江戸時代、この先の小塚原刑場で処刑される罪人が、ここで家族と別れを
したのが「泪橋」の由来だそうです。
![](m_0151.gif)
また、泪橋は「あしたのジョー」の舞台でもあります。
(「あしたのジョー」のフィギアについては、2014/8の「吉原界隈散策」を
見てね。)
「泪橋」の交差点を渡ると、日光街道は、間もなくJR常磐線・地下鉄の
「南千住駅」の左脇に出ます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ae/208e333bfdcac2be8d608f650bcc8202.jpg)
![](body_walk.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/57/260b1a974a26010fb36ce803255a92a1.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/95/6141175c58c972caf196cd4199d8d5b8.jpg)
歩道橋で線路を越えて、南千住駅を右手に見ながら、左手のJR常磐線の
線路脇の「小塚原回向院」へ向かいます。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/42/61dec30a448d3636ee4e4ba96bb64576.jpg)
回向院(えこういん)のお寺を探しますが見当たりません?
![](kuri_3.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/8f/a80f4dcf1633bb0303501e4cd6f287a7.jpg)
よくよく見回すと、何と!ビルの1階が回向院でした!
![](cat_5.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/bb/be22d3bc6f81279208fa359679de1c8f.jpg)
小塚原の回向院は、両国の回向院が手狭になったため、両国の別院として創建されました。
ビルの入口には、吉展ちゃん誘拐事件の地蔵尊があります。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b0/c1f259a0291d23e438698f6edbbf9003.jpg)
ビルの1階の入口の壁には、写真の「観臓記念碑」がはめ込まれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/17/2ae382ade5eec9a95972684e26ab98e3.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/67/2519052ac9c2314650464f1ef0fc62ba.jpg)
これは、杉田玄白、前野良沢らが、ここで刑死者の解剖を見学して、
「解体新書」を翻訳出版したのを記念して作られたものです。
![](m_0151.gif)
寺の右奥の小さなお堂は、安政の大獄で捕らえられ処刑された橋本左内の墓です。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6b/d8a3afa0bb43d0467f97979b22017a87.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/4e/0130bb7a2cc840839e370743b6eeece7.jpg)
また、寺の一番奥の大きな墓は吉田松陰で、”松陰二十一回猛士墓”と
彫られています。
![](m_0211.gif)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/c7/71ec84b61770d2bf90a31647bc592289.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/fa/03796dd33b1893065c2297634123ec6e.jpg)
他にも、安政の大獄で処刑された大勢の志士達や、ねずみ小僧次郎吉らの墓もあります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/dd/2d8a65c9c55ba6cbe8445bbba8b48eac.jpg)
「小塚原回向院」を出て、すぐ左にあるJR常磐線のガードをくぐると、
「小塚原刑場」跡の「延命寺」があります。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/7d/f4edda5fc1ae0968b15dc0b781ad2436.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ef/586a08dbcfcf73e1ac80502570261223.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ec/3863984d6cfc50305670b907b5f1818d.jpg)
江戸時代、ここ「小塚原刑場」は、品川の「鈴が森」刑場と共に、二大刑場といわれました。
![](face2_shock_s.gif)
(「鈴が森刑場」については、2011/9の「東海道を歩・品川宿」と、2012/3の「バスで行く東海道・第一回」を見てね。)
明治になっても斬首が行われ、明治12年には”明治の毒婦”と呼ばれた
「高橋お伝」がここで斬首されました。
刑場の一角には、刑死者の菩提を弔うための写真の「首切り地蔵」が
建てられています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/da/79770955b643b1d1cddcbf8ac5479fce.jpg)
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/da/1cadea8468af0a364f4e739d37b7008e.jpg)
また、首切り地蔵の手前には、下の写真の大きな「題目石」があり、
”南無妙法蓮華経”と刻まれています。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ba/e3b8f63b8baa375b386d536addc56ccb.jpg)
小塚原刑場が開創されてから220年の間、埋葬された遺体は、何と!、
20万人余だそうです!
![](cat_5.gif)
実は、”埋葬”とは名ばかりで、浅く穴を掘りその上に薄く土を掛けただけ
だったので、雨水に洗われて手足が土中から現れ出ることがよくあった
そうです。
怖っ!ぞ、ぞ〜・・・
![](face2_shock_s.gif)
「小塚原回向院」の前の国道4号(日光街道)を横切って、JR常磐線の
「南千住駅」前に戻ると、写真の芭蕉像がありました。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/02/cefeae38b7591edf8879a860c7715d8e.jpg)
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その横の地図によると、旧日光街道は、南千住駅前から少しだけ国道4号
(日光街道)と並行した後に、国道4号に合流しています。
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旧日光街道を少し歩いて国道4号に合流した地点の向い側に、写真の
「素盞雄(すさのお)神社」がありました。
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上の写真は、赤ちゃんの初宮詣の際に奉納する「子育ての祈願絵馬」です。
下の写真は、昔、母乳の出ない婦人が、皮を煎じて飲んだという
「子育てのイチョウ」です。
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「子育ての祈願絵馬」を奉納して、このイチョウの木に掛けて祈願する
のだそうです。
素盞雄神社から少し進むと、間もなく、千住大橋を渡ります。
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千住大橋を渡ると、左手の脇に小さな公園があり、そこに写真の
「奥の細道 矢立初めの地」の石碑がありました。
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石碑には、
「千住という所にて舟を上がれば、(みちのくの)前途三千里の想い胸に
塞がりて、幻の(様にはかない)巷に離別の泪を注ぐ。
”行く春や 鳥啼き 魚の目は泪”
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是を矢立の初めとして、行道なお進まず。 人々(弟子たち)は、途中に
立ち並びて、(芭蕉の)跡影の見ゆる迄はと見送るなるべし。」
と、奥の細道の一節が刻まれています。
芭蕉は、住んでいた深川の庵から、小名木川を舟で千住まで来て、千住から「奥の細道」の歩きをスタートしました。
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矢立初めの石碑の横には、写真の葛飾北斎の富嶽三十六景「千住花街より眺望の富士」の浮世絵とその説明板が建てられていました。
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更にその小さな公園から、川沿いの遊歩道に下りて行くと、護岸の壁には、写真の絵がペンキで描かれていました。
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それは、芭蕉とその弟子の曾良の「奥の細道 旅立ちの地」の旅姿でした。
川沿いの遊歩道から国道4号に上がります。
国道4号は、千住大橋を渡った最初の信号を直進ですが、千住宿は、
右手の「千住宿 奥の細道」と、茶色の上に黒色で大きく書かれた巨大な
横看板のある狭い道に入って行きます。
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日本橋から千住宿までは、約9キロです。
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