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多摩川を歩く(その51)(大丸用水の桜並木:神奈川側) 2023.3.29



(JR南武線の南多摩駅前の「ヤッターワン」像)

 

前回は、「二ヶ領”上河原”堰(せき)」をスタートして、「稲城 北緑地公園」の前の多摩川の土手沿いの桜並木を「是政橋」まで歩きました。

そして、是政橋の脇のJR南武線の「南多摩駅」に着きました。

(南多摩駅)

南多摩駅の前には、上の写真の「稲城 なしのすけ」のオブジェが?

説明版によると、「稲城なしのすけ」は、稲城市の特産品である梨をモチーフにした稲城市のマスコットキャラクターだそうです。

そう言えば、この辺りの用水路沿いには、やたらと梨畑が多かったなあ〜。

そして、「稲城なしのすけ」の隣には、上の写真の謎のオブジェが?

説明版によると、オブジェは、「ヤッターマン」に登場する「ヤッターワン」だそうです。

ヤッターマンのメカニックデザイナーの大河原邦男氏がここ稲城市の出身だそうです。

う〜ん、ヤッターワンと言われてもヤッターマンを見ていないからなあ・・・

そして、ヤッターワンの隣には、写真の「大丸(おおまる)親水公園」がありました。

因みに、「大丸」は、稲城市にある大丸という町名です。

説明版によると、この親水公園の水は、ここ大丸親水公園の少し上流にある「大丸」で、「大丸用水」として多摩川から取水しているらしいです。

「大丸用水」は、江戸時代から農業用水として、この辺り一帯の村の水田を潤し、現在も稲城市の名産品での梨畑に水を供給しているそうです。

(大丸用水の終点である多摩川への合流地点については「多摩川を歩く・稲城北緑地公園の桜並木」の中程を見てね。)                                                           

しかし、昭和に入ってから、急激な宅地化が進んだため、大丸用水の農業用水としての役割は薄れつつあり、暗渠化が進んでいるみたいです。

取り敢えず、この大丸親水公園を流れる「大丸用水」の流れを追いかけてみます。

歩き始めると、大丸用水は意外に分岐点が多く、スタートからいきなり、写真の様に、どちらの水路を追いかけたらよいのか迷います。

この様な分岐が散見されるのが大丸用水の特徴みたいです。

   

取り敢えず、桜並木のある方の大丸用水の流れを追いかけてみます。 

ベンチや東屋なども随所にあるので、休憩しながら歩いて行きます。

大丸用水は用水というよりも、住宅街の中を流れる小川という感じです。

上の写真の様に、水路の上に水路がある水路の立体交差もあります。

水路の脇に柳があり、柳の広場とありますが、柳に近づくことは出来ません・・・?

写真は、「雁追橋(がんおいばし)」です。

この橋の名前の由来について、写真の説明石には、以下の様なエピソードが記されています。
 江戸時代、幕府の御殿女中をしていた女性がここに移り住んできました。
 村の男たちが野菜を持ってやってきましたが、その女の人は、男たちをすぐに追い返してしまうのでした。
 その頃は稲城の多摩川のほとりには、たくさんの雁(がん)が飛来していたので、次のような噂話が広まりました。
 「男たちが雁のように集まってくるが、すぐに追い返されてしまう」
 やがて、その女性も年をとり、「雁追い婆さん」と呼ばれるようになりました。

 その女性の住んでいたのがこの橋の脇だったので、この橋は「雁追橋」と呼ばれる様になったそうです。

住宅街を過ぎると、写真の様に、広々とした「梨畑」が点在していてのどかな風景になりました。

やがて、大丸用水は暗渠となり、個人の家の庭の中に消えてしまいました・・・

再び、ひょっこりと水路があらわれても、直ぐに暗渠へと姿を消してしまいます。

大丸用水沿いの桜並木を追いかけるのは、どうやら失敗したみたいです。

大丸用水の分岐が多かったので、今、何処を歩いているか分からなくなってしまいました・・・

仕方なく、磁石付きの腕時計の方向針だけを頼りに、大丸用水の多摩川への合流地点を目指します。

前回ご紹介した、上の写真の大丸用水の出口である、多摩川への合流地点にようやく着きました。

ここから、極力、多摩川の土手から離れない様に注意しながら、多摩川と並行して流れている大丸用水に沿って、出発点の南多摩駅に戻ります。

見事な桜並木に見とれながら歩いていると、やがて、この多摩川と並行して流れている大丸用水も、行き止まりになってしまいました・・・

何とか迂回しながら、出発点の南多摩駅を目指します。

何処をどう歩いたか?、よく分かりませんが、ようやく、何とかJR南武線の南多摩駅に戻って来ました。

この南多摩駅でJR南武線に乗り、武蔵小杉駅で東急東横線に乗り換えて横浜に帰りました。

 

 

ps.