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多摩川を歩く (その35) (二子玉川D:静嘉堂文庫美術館)  2022.9.26


  

(写真は、世田谷区の「静嘉堂文庫美術館」)


前回は、玉電砧線の廃線跡を散策しました。


今回は、「静嘉堂(せいかどう)文庫 美術館」を散策します。

 

「静嘉堂文庫美術館」は、三菱財閥創始者の「岩崎弥太郎」、そしてその弟の岩崎弥之助(2代目社長)の息子の「岩ア小弥太」(4代目社長)の2人による
コレクションを収蔵する美術館です。


(NHK大河ドラマ「龍馬伝」での香川照之(岩崎弥太郎)の個性豊かな表情?を思い出すと思わず笑いだしそうになりますが、三菱グループの人達は、実像と違う!
と怒っているらしいです・・・)


国宝7件、重要文化財84件、約6,500点の東洋古美術品、約20万冊の古典籍を収蔵しています。

一説によると50億円とも噂された「国宝・曜変天目(ようへんてんもく)(稲葉天目)」の保有展示で、静嘉堂文庫美術館は全国的に有名になりました。



(国宝・曜変天目(稲葉天目):静嘉堂文庫美術館の公式ホームページから)

「稲葉天目」は、3代将軍・徳川家光の乳母の春日局が病に伏した際に、家光から春日局に下賜されました。

そして、春日局の死後は、美濃の戦国武将だった淀藩主の稲葉家に代々伝わりました。

これは、春日局が稲葉正成の後妻だったからです。

大正時代に入り、稲葉天目は、稲葉家から、稲葉子爵の令嬢と結婚した三井財閥の小野哲郎へと所有が移ります。

そして、更に、小野哲郎から「岩ア小弥太」が購入し、静嘉堂文庫美術館で展示されることになったのです。

「岩ア小弥太」の三回忌には、小弥太夫人の願いで、曜変天目を使って献茶がなされたそうです。

 



「静嘉堂文庫美術館」の正門から入り、標識に従って進んで行きます。














   

(せたがや百景に選出された岡本のもみじヶ丘の岡本静嘉堂文庫) 





こんな急な階段は記憶にないけど、順路が変更になったのかな〜?









急な階段を上り切ると、大きな石碑や灯籠が何基もあります。





「静嘉堂文庫美術館」は、元々、三菱財閥の岩崎家が所有するこの広大な敷地の「岡本静嘉堂緑地」の中にあります。



写真は、その「岡本静嘉堂緑地」の中にある「岩崎弥之助」の墓である「岩崎家廟堂 (びょうどう)」です。







岩崎家廟堂(納骨堂)は、鹿鳴館の設計で知られるコンドルの設計で、明治43年に建てられました。





ようやく、「静嘉堂文庫美術館」の建物に到着しました。









大正13年(1924)に建てられたこの建物は、鉄筋コンクリート造2階建で、当時のイギリスの郊外住宅のスタイルのお洒落な外観です。





美術館へ入館しようとしますが、閉まっていて入れません?



でも、休館日や閉館の表示は何処にもありませんし、ここに来るまでの間、開館の案内が点々とありました・・・

近くにいた関係者と思しき人に聞きます。

「今日は休館日ですか?」

「美術館は丸の内に引っ越しましたよ。」

「え?、えぇ〜!」

(ウソだ!、何も聞いてないよ〜!)



仕方なく、美術館の庭園を散策します。



国分寺崖線の広大な斜面を利用した美しい日本庭園で、梅園などもあり、静かで落ち着いた雰囲気です。

 



















「静嘉堂文庫美術館」の正門に戻って来ました。



道路向かいには静嘉堂文庫のバス停があり、その脇に「旧小坂家住宅」の入口があったので入ってみます。

 


ps.静嘉堂文庫美術館は、2022年10月1日、東京・丸の内の「明治生命館」に移転し、愛称「静嘉堂@丸の内」で新たにスタートしています。


 以前は、二子玉川駅から徒歩20分のあまり交通が便はよくない場所だったので、正直なところ、移転先の「明治生命館」の方が、訪れやすくなって、
多くの美術ファンにとってはよいことかなと思います。