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22:岩村田



岩村田宿は、江戸時代は、内藤氏1万5千石の城下町でしたが、旅人は、規制が厳しくて堅苦しい城下町での宿泊を嫌ったので、旅籠は少なく、また、大名も遠慮し、城下町を避けたので、本陣、脇本陣すらなかったそうです。

でも、
岩村田宿は、江戸時代には、佐久地方の経済の中心として栄え、現在も、佐久市の繁華街として栄えています。






岩村田宿に入ると、最初に、街道の歩道に、下の写真の善光寺道の道標(復元)があります。



道標には、「善光寺道 小諸二里」と刻まれていますが、これは、ここから2里(8キロ)で小諸に出ると、そこで善光寺道(北国街道)へ合流するからだそうです。


道標の少し先の街道沿いの左手に、
龍雲寺があります。



龍雲寺は、
武田信玄のゆかりの寺です。

武田信玄は、天下統一のための上洛途中で、病死してしまいます。

そして、その遺言により、1年間は、その死が敵に知られない様に、
影武者が使われます。

武田信玄の遺骨は、生前に親しかったこの寺に埋葬された、と伝えられていました。

そして、
昭和になってから、この寺の修理の際に、偶然、骨つぼが見つかり、詳細調査の結果、武田信玄の遺骨であることが確認されたそうです。




の写真は、”昭和になってから発見された武田信玄の遺骨” を納めた霊廟です。

下の写真は、武田信玄の遺骨が納めてある信玄霊廟の五輪塔です。




街道沿いの佐久市の繁華街が、岩村田宿と重なるので、宿場町の名残りはありませんが、お店の名前を見てゆくと、江戸時代の屋号らしき店名が多いのに気付きます。





繁華街を右手に入ると、武田信玄が開いたといわれる写真の西念寺があります。




山門の天井には、写真の天女の絵が見えます。





浅田次郎著「一路」では、一路の参勤交代の行列が、ここ岩村田のお殿様の城下町を通過する際の、両家の確執が描かれいています。

一路(下)
浅田 次郎
中央公論新社

ここ岩村田のお殿様・内藤正誠は、17歳の若さでありながら、大名の将軍への謁見の取次役という大役を務めていました。

この大役を果たしたので、幕府から、ここ岩村田に築城することを許されます。

岩村田のお殿様は、若さのせいもあり、このことで有頂天で、鼻高々だったそうです。

(小説の設定された一路の参勤交代の時期に、実際の歴史上も、岩村田の殿様は、 ちょうど築城中だったそうです。)

その様な折に、岩村田宿を通りかかった一路の主君・蒔坂(まきさか)左京太夫が、岩村田の殿様に会いたい、と言いだします。

というのは、蒔坂左京太夫は、内藤正誠が幼い頃に、面倒を見てあげた、という経緯があったからです。

ところが、岩村田の殿様・内藤正誠は、この頃、手のつけられない天狗になっており、蒔坂左京太夫を迎えるための座布団を放り投げてしまします。

蒔坂家の家来達はいきり立ち、一触即発!

このまま、刃傷沙汰になるのか!



中山道は、岩村田の繁華街のメインストリートを進み、相生町交差点を右折して、「相生(あいおい)の松」へ向かいます。








英泉の浮世絵は、高利貸しの座頭(ざとう)同士の喧嘩という珍しいテーマです。

岩村田宿は、善光寺道、下仁田道、甲州街道が分岐する交通の要所であったため、物資運送や金銭を巡るトラブル・喧嘩が絶えなかったそうです。

英泉は、この様な背景を念頭に、描いたのではないか、と言われているそうです。



街道は、左手の巨大な浅間病院を過ぎると、大きくカーブし、その突き当たりに
「相生の松」があります。





皇女和宮の行列は、非常に縁起を担いでいましたが、ここ相生は縁起の良い地名ということで、一行は、ここでわざわざ野点(のだて)を楽しんだそうです。

当時の松は枯れてしまい、写真の松は新しく植え直された松です。

相生の松を過ぎて、更に進むと、街道の両側は、リンゴ園に変わります。




途中の集落には、下の写真の様な、古くて立派な造りの民家が点在します。







そののどかな田園風景の中を歩いてゆくと、やがて街道は、山の中に入ってゆき、右手に川の流れる谷沿いの道になります。

その川の反対側に、重要文化財の
駒形神社がありました。







重要文化財の神社ですが、下の写真の様に意外と質素です。




境内には、下の写真の不思議な形のご神岩?もあります。



駒形神社を過ぎると、下り坂になり、浅科(あさしな)村
に入ります。






岩村田宿から塩名田宿までは、約5キロです。


今日は、早めに、いったんバスで、塩名田宿から岩村田宿へ戻り、岩村田宿の1キロ北にある長野新幹線・JR小海線の佐久平駅へ向かいます。

佐久平駅から、旅費節約のために新幹線ではなく、各駅停車のJR小海線で帰ります。

高原列車で宣伝しているだけのことはあって、信濃川をジギザグに渡りながら進む小海線の車窓の景色はすばらしく、山野辺、清里などの車窓の風景を楽しむことが出来ました。


JR佐久平(3:10)→(小海線)→(5:30)小淵沢(5:34)→
(中央線)→(6:23)甲府(6:36)→(8:07)高尾(8:12)
→(8:32)八王子(8:37)→(横浜線)→(9:20)新横浜

21:小田井へ

23:塩名田へ

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