Chase 29 - 交えられた刃

 
 両側から同時に放たれる衝撃波。
 木津の手が、足が動く。脳の判断が介在するようには思わせない反応速度で、B−YCの車体を銃撃から回避させる。
 体勢を立て直したB−YCの前方で、「ホット」の車体は排気音も高らかに悠然と走り続けている。爆ぜるバックファイア。一際大きな火球と足まわりからの鋭い軋りを置き去りに、「ホット」は左の路地にほぼ直角に飛び込む。
 木津は狙撃を警戒してほんの一呼吸だけブレーキ・ペダルを操作すると、直ぐに足を横のスロットル・ペダルに移して踏み込んだ。
 攻撃はなかった。ただ「ホット」の影が変わらず前方にあった。
 門を形作るように左右に聳える塀とビルとの間を抜けて、再び広い通りへと「ホット」は躍り出る。
 木津はその門の脇から覗く影を見逃さなかった。
 木津の爪先がブレーキ・ペダルを踏み、左手が変型レバーに伸びる。
 左からの衝撃波、続けて右からの実体弾。時間差で繰り出された銃撃の上を、白虎が越えていく。その両腕から反撃の衝撃波を放ちながら。
 射撃のタイミングから回避がわずかに遅れた右側のMフォームが、白虎の銃撃を胸にまともに受けてのけぞり倒れる。左側はRフォームに戻すと、自分の倒した相手に一顧だに払わずに「ホット」の追跡を再開するB−YCを追い始める。
 後方モニターにその姿を認めながら、木津は前方に視線を戻す。「ホット」の進路は、最初予想されたLOVEを今は外れ、工場区域の末端に向けられているようだった。
 それを裏付けるように、「ホット」の向こう側で道路は更地に突き当たり、左右にT字に分かれた道は二回りばかり細いものだった。
 さらに「ホット」は右に舵を切った。
 木津もハンドルを切りながらナヴィゲータの画面に目を走らせる。表示範囲の隅に現れた人工海岸線が徐々に長くなっていった。
 

 S−RYが、S−ZCが、そして二両のG−MBが相次いでLOVEの半地下駐車場に飛び込んでくる。
 奇妙なほど切れのないブレーキングで止められたS−RYのドアが開き、ほとんど泣き出さんばかりの紗妃が飛び降りる。
 急報を受けて準備をしていた救護班が駆け寄って反対側のドアを開くと、ぐったりとしたままの由良の体を引き出してベッドに移した。
 近寄った医師が一目見て、信じられないといった様子をありありと見せながら呟く。
 「何て無茶を……スーツなしでなんて」
 その言葉に紗妃ははっと由良の方へと急がせていた足を止める。由良がドライビング・スーツを着ていなかったことにその時初めて気が付いた。
 「まさか……」
 振り向くと饗庭と安芸の姿。そして声を漏らしたのは饗庭の方だった。
 「……何?」と不安を隠しもせずに紗妃。「まさかって」
 「初めからその気で……いや」と言葉を切ると饗庭は医師に尋ねる。「どうです?」
 医師は応える代わりに、救護班に至急の投薬と手術室への搬送を命じた。
 運ばれるベッドと入れ替わりに、真寿美が三人の所へやって来た。
 「小松さんはどう?」と安芸が訊ねる。
 「重傷は重傷だけど、見た目が派手なだけでそれほどじゃないって」と言う真寿美の安堵の表情が、三人の顔を見て翳った。
 「由良さん……は?」
 「手術室に直行」
 「そう……」
 そこに近付いてきた駆け足の靴音が、四人の顔を一斉に振り向かせた。
 「阿久津主管……」
 阿久津は運ばれる二つのベッドにはちらりと目を走らせただけで真っ直ぐ四人に駆け寄ると、一言訊ねた。ただその声は疑問よりも確信の色の方が濃く出ていた。
 「VCDV、か?」
 「はい」
 真寿美の答えに、阿久津は天井を仰いだ。
 「……そうか、とうとう」
 その言葉に、八つの目が集まった。
 「え……?」
 だが阿久津は自分の言葉をかき消すように声を張り上げた。
 「皆の衆、機体の損傷は?」
 切り替えも素早く安芸が応じる。
 「全車両の補充電をお願いします。キッズ1、マース1、アックス1は装甲レベルでの小破。アックス4が右肩の制御不能です。アックス2及び3の回収はどうしますか?」
 「やむをえん」即答だった。「ことが済むまでは放置だ。で、向こうさんは?」
 「可動残存数は、恐らく五です」そう言うと安芸は真寿美の方に顔を向けた。「僕と峰さんで牽制に出ます。その間に……」
 それを遮るように阿久津の声。
 「大将を含めて五か?」
 「え?」
 「大将は仁ちゃんが追っとるのか?」
 「……仁さん?」
 

 いきなりだった。
 ブレーキランプが前方で横に流れた。車輪が路面を噛む甲高い音、接地面から立ち上る白煙と砂埃。百八十度ターンした「ホット」の車体は、一瞬ぐらりと横揺れと揺り戻しを見せると、完全に停止した。
 木津はブレーキ・ペダルを踏むことすら思い出せずにその様に見入ってしまっていた。
 「ホット」のドアが開き、人影が現れた。
 我に返る木津。B−YCが横滑りしながら停止する。「ホット」の車体から数十メートルの距離をとって。そして木津もB−YCのドアを跳ね開けると外へ飛び出した。
 そこは工場区域の最末端にあたり、実際に利用されることが今まで一度もなかった場所で、建物も何もない更地になっていた。そして「ホット」以外の影もなかった。
 「ホット」のエンジン音は聞こえてこない。ただその背後に程近く、死んだように鈍く光る海面が伝える波音の、枯れ葉のざわめきにも似た響きが木津の耳に届いていた。
 「ホット!」
 駆け出そうとする木津を押しとどめるように、相手は右手の掌を木津へと延ばした。
 「慌てるなよ仁ちゃん」
 木津にとって聞き慣れた声がヘルメットの中から聞こえた。そのヘルメットが外される。
 「カンちゃん……」
 「おや」相手はこれまでと変わりのない態度で木津に言った。「あんまり意外そうな顔じゃないね。この間の台詞からすると、何か気付いてるのかとは思っていたけどさ」
 また一歩を踏み出そうとした木津を、相手は再び押しとどめた。
 「おっとっと、慌てない慌てない。確かにこれは」と、傍らの車体を示しながら言う。「お察しの通り、仁ちゃんがホットホットと呼んでる由来の、あの一件の時に使われた車だがね。でも乗ってたのは俺じゃないんだな、これが」
 「それならそれで構わんさ」と、こちらもいつも通りの口調の木津。「あんたがそいつの持ち主に俺を紹介してくれるって言うんならな」
 「ああ、うちの親分もお望みだしさ」
 その言葉に続く奇妙な笑み。ぴくりと木津の眉が動く。
 「でもさ、実のところうちの親分は、仁ちゃんには大分お冠なんだな」
 「知ってる」
 「そいつぁ仁ちゃんも人が悪すぎるね」
 おどけた調子ながらも、その目は木津から離れない。そして続いた言葉は、木津の予想していたものではなかった。
 「たった二年も経たない内に乗りかえちまうとはさ」
 「何のことだ?」
 そう言う木津に、相手は再び右手を前に出すと、小指を立ててみせる。
 「あの娘、確か前に仁ちゃんが乗ってた赤い奴のドライバーだよな」
 「真寿美……のことか?」
 「へえ、真寿美ちゃんって言うんだ。ちっちゃくてかわいい娘だねぇ、確かに。それは俺も認めるけどね」
 言葉の真意がつかめないままに、それでもどこかしら嫌な雰囲気を感じ取りながら、木津は黙っていた。
 「でも仁ちゃんにとっちゃ、自分のせいで死んだ婚約者ってのを忘れられる程に魅力的だったわけだ」
 歪む木津の顔。微笑みを崩さない相手の顔。
 「俺がその真寿美ちゃんの話をうちの親分にご報告申し上げたら、そこんとこを大層憤慨なさってさ」
 「違う!」思わず木津は声を荒げて叫んだ。「忘れるだと? 俺がこれまでずっと奴を、『ホット』を追ってきたのは何のためだと思ってる?」
 「さて?」
 明らかにとぼけた顔で首を傾げる相手に、木津はさらに声を張り上げた。
 「七重の仇を討つためだ。今日まで一日だってそのことを忘れたことなんかない。惨めなざまになっても、そのためだけに俺は今日まで生きてきたんだ! それに」
 音が聞こえるほどに大きく木津は息を継ぐ。
 「俺のせいで七重が死んだ、だと? ふざけるな……」
 聞き手の表情は変わらない。全くの他人事を聞くように。
 「ふざけるな」木津は繰り返す。「手前勝手な真似をして、逆恨みをして、人一人殺そうとして、巻き添えを喰わせてそれを人のせいだと? いい年をぶっこいて、世界の中心が自分だとでも勘違いしてやがるのか?」
 それまで沈黙を守ってきた相手が、不意に口を開いた。その顔に浮かんだ笑みの濃さを一層深めて。
 「その辺は親分ご自身が直々に話してくれるかも知れないぜ」
 「……その『ホット』はどこにいる? 今日も現場は部下に任せて、てめぇは高見の見物ってわけか?」そして吐き出すように言い足した。「臆病者が」
 「そうでもないと思うけどな」と言う口許は異様なまでの笑みに歪んでいた。「何たって、今回はお宝のこの車を持ち出してまで決着を付けるつもりなんだからさ」
 木津ははっとした。ホット・ユニットのエンジンがいつの間にか唸り始めていた。
 ほとんど反射的に木津は跳び退ると、開け放たれていたB−YCのドアからコクピットに身を躍らせた。
 それとほぼ同時だった。無人のホット・ユニット車がB−YCに真っ向から突っ込んできたのは。
 シートベルトがセットされるのを待つ間もなく、木津は後進にシフトしスロットル・ペダルを力任せに踏み込み、舵をいっぱいに切った。
 無人の「ホット」車は、だがその鼻面を回避に入った木津の車体に正確に向けてくる。
 木津の左手はシフトレバーから変型レバーへと移った。手首が動く。
 B−YCは白虎に変型し、後進の加速に任せて後ろざまに跳んだ。衝撃波銃の銃口を迫る「ホット」車に向けて。
 と、コクピットの木津を真正面からの衝撃が襲った。木津の首が激しくヘッドレストに叩き付けられる。その口からは呻きが漏れた。
 胸部中央に衝撃波を喰らわされ、空中でバランスを崩した白虎は、そのまま弾き飛ばされて無様に腰から着地した。
 そこをめがけて「ホット」車が迫る。
 尻餅を撞いたまま、白虎は左腕を「ホット」車に向けた。引かれるトリガー。
 期待されたあの鈍い響きは、だが伝わってこない。代わりに計器盤で警告灯がまた一つ灯っている。
 接近する「ホット」車。
 もたげた左手を振り下ろして地面に突くと、それを支えに白虎は身を翻す。
 すれすれの位置をかすめて「ホット」車が駆け抜ける。
 体勢を立て直した白虎は片膝を付いて、今度は右腕の銃口を「ホット」車の尾部に向ける。
 が、木津がトリガーを引くよりも早く、白虎の機体の至近で「ホット」車がひしゃげ、轟爆した。化石燃料と、そして恐らくは別に積んであった実体弾用の炸薬とによって、一瞬にして車の形をしていたものが、今は焼けただれた無数の破片となって、爆風と共に白虎を襲った。
 これまでの戦闘で損傷を生じ始めている装甲に、容赦なく破片が食い込み、コクピットの中の木津を揺さぶる。振動の中で、何かが木津の脳裏をよぎった。ほとんど反射的に木津は白虎の右腕を上げ、頭をカバーする。
 直後、右腕の防衝板が震え、頭部に向けられた衝撃波を散らした。防御の姿勢を崩さず、白虎は衝撃波の来た側に目を向ける。
 相変わらず死んだような海を背にして立つ一体の人型。灰がかった緑の、白虎と同様に細い躯体。中央に見慣れたあの悪趣味な色彩の菱形を描いた胸の上には、人間の、それも女の顔を彷彿とさせる頭部。その手には銃のような長物。その銃口はまだ白虎に向けられている。
 「……お出まし、か?」
 再び発砲。銃口に火が走る。実体弾だ。
 白虎は横に跳ねて立ち上がると、右腕の衝撃波銃を放つ。緑の機体は横に滑るようにそれを避けつつ、さらに発砲を続ける。今度は衝撃波。
 左腕の防衝板でそれを受け流し、木津は吠えた。
 「ホット!」
 応える代わりにさらに銃撃が続けられる。実体弾と衝撃波とを綯い交ぜにして。
 「……野郎!」
 一閃、白虎はハーフに転じ、回避しつつ敵に迫る。と、相手もまたハーフに変形し、突っ込んできた。
 トリガーを引く木津。繰り出される衝撃波。回避する「ホット」。そして木津の耳に届く短い警告音。それは衝撃波銃のバッテリー残量が少なくなっていることを伝えるものだった。
 「こういう時に、そう来るか!」
 突き出した右腕を後ろへ振る。空を切る鋭い音と共に「仕込み杖」が伸びる。
 「ホット」はなおも発砲を続ける。「仕込み杖」に当たり、音を立てて弾ける実体弾。
 距離が詰まる。
 木津の手がレバーへ。
 立ち上がる白虎。急制動をかける足元に火花が散る。
 それとほとんど同時に、「ホット」もまた人型に転じた。
 白虎の振り下ろす「仕込み杖」が、「ホット」のかざす銃身に食い止められる。
 白虎は振り下ろした右腕に左手をあてがい、全力で押した。
 「ホット」もまた銃把を左手に、銃身を右手に握り、受け止めた刃を押し返してくる。
 木津は出力を上げた。計器盤の中で、表示は最高値の少し下のあたりで激しく痙攣している。
 にも関わらず、刃は毫も進まなかった。いや、逆に僅かずつながら押し返されている。
 声までも上げて、木津はさらに押す。
 だが姿勢を下げつつ、「ホット」は白虎の刃を徐々に押し上げていく。
 木津は気付かなかった。そうやって「ホット」が白虎の懐に入りつつあるのを。
 大きく、鈍く、そして不快な接触音。
 それと同時に白虎は後ろ向きに吹き飛ばされた。
 白虎の腹を蹴り上げた足を素早く戻すと、「ホット」は既に構え直していた銃のトリガーを引いた。
 実体弾が、辛うじて転倒を免れた白虎の左側に容赦なく集中する。爆炎の中で、左腕は四散した。
 噛み締められた木津の歯がぎりりと鳴った。
 

 饗庭機は右腕の換装を終え、他の車体も装甲の貼り替えと補充電を終えていた。
 だが四両とも、未だ動くことなくLOVEの駐車場にあった。
 「ホット」の配下のVCDVが四両、あるいはハーフで、あるいは人型で駐車場の出口を遠巻きに取り巻いていて、MISSESの車体が現れると、すかさず斉射を行ってくるのがその理由だった。
 だが、攻めに転じてくる様子はない。あくまで包囲と牽制を目的としているようだった。
 「でも、何のために足止めなんか……」紗妃が落ち付かなそうな素振りを見せながら言った。「木津さんがまだ外にいるのに」
 「駄目だ」と安芸の声。「ジャミングされてる」
 「なら無事だ」呟く饗庭。
 安芸はそれを聞いて顔を上げたが、すぐに納得して頷いた。ジャミングが続いているということは、つまり妨害するべき通信が外から来る可能性があるということだ。
 安芸は辺りを見回した。
 探していた姿は、S−ZCのコクピットの中にあった。
 そこで真寿美は目を閉じていた。少し顔を仰向けるようにして。両手は膝の上で組み合わされている。わずかに開いている唇の間からは、眠っている時のような静かな息が漏れている。
 安芸の目許に訝しさの影が差した。少し前だったら、こんな時一番大騒ぎするはずだった峰さんが、いつの間にかこんな落ち着きを見せるようになっている。しかも「ホット」が相手かも知れないという時に。
 だが真寿美は決して落ち着いていたわけではなかった。
 木津が「ホット」を追って走ったときも、それに付いていくのではなく、木津の追跡を妨げるものを排することでそれを助けようとした。そして木津がきっと「ホット」に追い付き、愛した相手と木津自身の復讐を遂げつつあるだろう今、自分のするべきことは加勢ではなく、木津の無事を祈ることだけだと真寿美は考えていた。
 そう、きっと仁さんは無事に帰ってきてくれる……
 近付き、自分の横で止まった足音に真寿美は目を開いた。
 真寿美の顔を覗き込む紗妃の目がそこにあった。
 必要以上に不安そうな紗妃の表情。真寿美はそれに微笑みで応えた。
 向こうからは阿久津の声が聞こえる。
 「動かんな、あの連中……」
 「突破しますか?」と、これは饗庭の声。
 阿久津は答えない。
 安芸も黙ったままそのやりとりを見ていたが、違和感がその心中にあった。饗庭さんはなぜこんなに積極的になったんだろう? 由良さんの突撃とも言える攻撃を見て? そう言えば、さっきの「まさか」というのは?
 阿久津が場を外した。
 上げられた安芸の視線が饗庭のそれと交錯する。
 「何か?」と饗庭が問う。
 一瞬だけ言い淀んだ安芸は、しかしそれでも再び口を開いた。
 「さっきのまさかって……」
 「安芸さんなら分かっているでしょう?」
 安芸はそれを感じ取っていながら敢えて思考の表に出そうとしていなかったのだが、饗庭の言葉は安芸に直視を迫るもののように聞こえた。
 「死ぬ覚悟で……」
 頷く饗庭。そして低く呟く。
 「それまで自分の信じていた場を失ったんです。思い詰めればそう考えるかも知れない」
 そうだった。当局からの召還命令に反してMISSESに残ることを決めた時の由良の口調は、確かに思い詰めた調子を色濃く醸していた。いや、その時だけではない。S−ZC二号機の強奪事件の時から、恐らくはずっと。
 「彼は、プロです」
 饗庭がそう言葉を継いだ。
 「勝手に線引きなどせず、与えられた職務に専念する、プロです」
 「線引き……」
 安芸は思い出した。MISSESの職域が民間研究所のそれを越えていると久我に饗庭が噛み付いたことを。由良の行動を見て、饗庭はそれを恥じているのか。
 「何ですか?」
 饗庭に問われて、安芸は自分の顔に微笑が浮かんでいるのに気付き、両手で頬を叩き、そして問い返した。
 「饗庭さんの場は?」
 表情らしい表情を見せたことのなかった饗庭が、その問いに初めて動揺の色を浮かべた。だがそれもほんの一瞬のこと、すぐに元の顔に戻ると、答えた。
 「明日からまた探します」
 思わずも再び浮かべてしまった笑みを、今度は隠さずに饗庭に向ける。
 饗庭もその目元に笑みが浮かんだように安芸には見えた。
 が、そこでくるりと安芸に背を向けると、饗庭はG−MBのドアを開き、乗り込んだ。
 その音に紗妃が振り返る。
 「兄貴……?」
 モーターの音。コクピットでヘルメットをかぶる饗庭。
 それを見た紗妃がS−RYに駆け寄り、コクピットに飛び込む。
 G−MBが急発進し、駐車場出口へと向かう。S−RYがそれを追う。
 振り返る安芸。その目がコクピットの中の真寿美の目と会う。
 横へ落とされる真寿美の視線。それが元に帰ったとき、真寿美の両手の間にはヘルメットがあった。
 銃声が聞こえてきた。
 

 「ホット」の当て身を喰らって仰向けに倒れる白虎を、衝撃波銃の連射が襲う。
 体を翻して避ける白虎。だが「ホット」は左腕を喪った白虎の回避行動を読み切っていた。
 左に滑らされる銃口が、そこから射出される衝撃波が、正確に白虎の躯体を捉えた。
 もう何度目になるか、白虎は地面に叩き付けられ、ショックはコクピットの木津を揺さぶった。
 コクピットの中にいるのも構わず、木津は唾を吐いた。
 計器盤に灯る警告灯は徐々にその数を増やしつつある。そしてそのどれよりも忌まわしい、主電圧低下を警告するランプの明滅。
 冗談じゃねえぞ……くたばるのは俺じゃない。奴だ、奴の方だ。奴じゃなきゃいけないんだ!
 変型レバー。
 ハーフに転じる白虎。スロットル・ペダルを力任せに踏み込む木津。B−YCは真っ向から「ホット」目掛けて突っ込む。
 平然と接近を待っていた「ホット」は、まるで嘲笑うかのように前にステップを踏むと、B−YCの頭を踏み台にして易々と突撃をやり過ごしたかに見えた。
 だがB−YCは残った右手で「ホット」の足首をつかんでいた。
 雄叫びを上げる木津。レバーを引く手。
 後ろに引きずられながら、白虎に変型するB−YC。「ホット」もバランスを崩し前のめりになる。その手から銃が離れた。
 膝で地面を蹴り、上腕部さえ残っていない左の肩で白虎は「ホット」に体当たりを喰らわす。
 四つん這いになったかに見えた「ホット」だったが、両手を突くと体を捻りながら宙返りし、立ち上がった。
 それよりも早く、倒れ込みながらも白虎が「ホット」の銃を右手につかみ、伏せたままトリガーを引いた。
 衝撃波も、実体弾もその銃口からは出なかった。
 女のような「ホット」の顔が冷ややかに笑ったように見えた。そして向けられる左手。その下には銃口。
 白虎は銃を「ホット」に投げ付けた。「ホット」は前に出していた左手でそれを受ける。
その隙に白虎は「仕込み杖」を伸ばし、屈んだ姿勢をとると、撓めた膝のばねを一気に弾かせて「杖」の切っ先を「ホット」の喉元に向けて躍り掛かった。
 「ホット」が銃身で「杖」を横に薙いだ。構わずに白虎は突っ込み、正面から「ホット」に突き当たる。
 白虎の右手の「杖」と「ホット」の左手の銃身が鬩ぐ。だが「ホット」は空いた右手で白虎の頭をつかんだ。
 シャフトの折れる音が木津の耳にも届く。
 まるで頭をもぎ取られつつあるのが自分自身であるかのように木津は喚いた。喚きながらも白虎の膝の力を抜いた。
 もう一度、今度は大きい破壊音。だが木津は、「杖」が「ホット」の銃をすり抜けたことしか見てはいなかった。
 叫び声を上げる木津。白虎は「杖」を全力で「ホット」の脇腹に打ち込む。
 

 跳ぶ玄武に四つの銃口が一斉に向けられる。
 空中で玄武は右腕で上体を庇い、左腕の衝撃波銃を横に払いながら放った。
 最左翼から撃たれた実体弾が、衝撃波をかいくぐって玄武の腰に命中する。
 「兄貴っ!」
 ハーフで飛び出したS−RYが正面の人型に向けて衝撃波銃を放つと、急制動をかけ青龍に変型、そのまま後ろ向きに跳ね戻ると、着地する玄武と敵機との間に立ちはだかった。
 「紗妃……」
 「兄貴! 大丈夫?」
 強力なジャミングのために、紗妃の声は兄には届かない。答える代わりに饗庭は玄武の手で右を指差した。
 「了解!」
 黒と青の機体が左右に分かれて走る。
 扉が開かれたかの如く、その間から赤と黒の光が流れ出す。
 対して展開する敵群を前に、朱雀が一際高く舞った。
 その陰から安芸の玄武が姿を現し、中央右の敵に正確に向けた銃口から衝撃波を放つ。
 回避の遅れたハーフは右腕をもぎ取られ、さらに上から朱雀の銃撃を受けて地面で跳ね返り転覆擱座した。
 朱雀が着地するよりも早く、二体の玄武と青龍は残る敵の各機に組み付いていた。
 敵のもう一両のハーフも人型に変型し、饗庭の玄武に襲いかかる。
 その横では、相手に発砲するだけの間合いを取れないよう詰め寄った紗妃の青龍が、回し蹴りを繰り出す。
 そして安芸の玄武は、敵と衝撃波銃の応酬を繰り広げている。
 真寿美は周囲を見回した。
 と、敵の布陣していた後方、LOVEの向かいの工場廃墟にほど近く、この戦況にも動こうとしない輸送車が視界に入った。
 真寿美はほとんど反射的に輸送車を照星の中央に捉え、トリガーを引いていた。
 衝撃波はコンテナ部の中央を貫いたが、爆発も何も起きはしなかった。
 何、これは?
 真寿美は朱雀の歩を進めた。
 その時だった。レシーバーから、真寿美が望んではいなかったものが聞こえてきたのは。
 「ジャミングが消えた?」
 安芸の声は、真寿美の耳には入らなかった。ただもう一度、さっき聞こえたものを聞こうと、あるいは聞こえたのではなかったことを確かめようと、耳を澄ます。
 だが事実は真寿美の期待を裏切った。
 金属の破断音。
 計器盤の発する警告音。
 そして、聞くはずではなかった、木津の言葉にならない叫び。
 ヘルメットをかなぐり捨てた真寿美の手がレバーに、スイッチに走る。
 S−ZCに変型させながら、真寿美は高速で遷移するナヴィゲータの画面を喰い入るように見つめた。その目が見開かれる。
 輝点。
 スロットル・ペダルにかけられた真寿美の小さな爪先に力が込められた。
 「仁さん!」
 

 

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