Chase 15 - 放たれた白虎

 
 「地下駐車場です。結城さんがS−ZC二号機を出しましたが、指示か許可は出されていますか?」
 「何だと?」
 問いに久我が答えるより先に、木津は叫んでいた。
 「指示は一切出していません。どういうことですか?」
 久我への返事を聞くのも待たず、木津は部屋を飛び出していた。
 当局の役付きが何事かと訊ねたのに、安芸は淡々と応えた。
 「当局から派遣された結城氏が、試作車を無断で持ち出したようです」
 役付きの額に青筋が浮いた。だがそれには完全に背を向けて、久我はさらに相手に詳細を訊ねた。応えて曰く、逃走者捕縛の報が流されると間もなく、駐車場に詰めていた結城が奥の一隅に停めてあったS−ZCのカバーを剥がし、これに搭乗、発進させた。阿久津主管からこの件についての指示はなく、MISSES側からの命か否か確認したいとのこと。
 眉間に縦皺を寄せた久我の口からは、次の指示が出てこない。
 が、それに続いて聞こえてきた鈍い音が、久我の眉を動かした。
 「どうしましたか?」
 「砲撃です!」
 由良と安芸が表情を変えた。
 「衝撃波銃です! この振動は衝撃波銃です! ああっ、ゲートが!」
 走る足音、大声。
 「潰された! ゲートが潰されました!」
 「負傷者と車両への被害は?」
 「ありません! でもこれじゃ車両が外に出せません!」
 壁に拳をたたき付け、顔をまた真っ赤に上気させて由良が怒鳴る。
 「それじゃあ、あいつは囮だったのか? 結城さんも、当局の人間なのになんてことを……『ホット』の息が掛かっていたのか?」
 「駐車場からVCDVは出せないんですね? 追うことも出来ないのか……」と安芸。
 久我はインタホンに向けて了解の一語と、速やかに施設復旧するようにとの指示だけを告げると、スイッチを切った。
 「事態は悪化しとるのか」と語気だけは荒く、だが隠しきれない当惑が感じ取れる口調で当局の役付きが唸った。「困る。それでは困る。何とか出来んのか?」
 その醜い相貌を久我が真っ向から見返す。役付きの頬が一瞬ぴくりと痙攣する程の鋭さで。そしてあくまでも冷静な声で告げた。
 「確かに被疑者の身柄はお引き渡しいたしました。どうぞお引き取りください」
 役付きの大きな顎が動きかける。が、一言も言わせずに久我が続けた。
 「護送中に奪還されないよう、くれぐれもお気を付けください」
 そこで言葉を一旦切ると、一層冷ややかな口調で付け加える。
 「もちろん、到着後も」
 噛み付かんばかりの形相で、ソファを蹴るように役付きが立ち上がる。それを見て、久我は安芸に出口までの案内を、そして由良には駐車場への急行を命じた。
 

 「な、何だこりゃ?」
 駐車場に飛び込んだ木津は、そこでの騒ぎに呆然と足を止めた。
 「何があったんだ? 朱雀はどうした? 二号機は?」
 「盗まれました。ゲートを撃って潰して行きました」と、しどろもどろの答えが返る。
 「一号機は?」
 「無事です!」と奥の方からの声。
 「よし!」木津はそちらに駆け出す。「あの野郎……俺の朱雀を!」
 S−ZCのドアを開いた木津は、シートに置かれたヘルメットを被りもせずに脇へ押しやり、代わりにそこへ身を滑り込ませると、挿入されたキーに計器盤が反応を返すのももどかしく、スタータ・ボタンを力任せに押し込んだ。
 スタッフの言葉通り、S−ZCは何の支障もなく起動する。
 「どけえぇっ!」
 大声と共に、決して広くはない駐車場でS−ZCは急発進すると同時に、Wフォームに変形、衝撃波銃の仕込まれた左腕を瓦礫に閉ざされたゲートに向けた。
 ブレーキ、同時にトリガー。
 瓦礫が震える。が、手応えはない。
 「仁さん、だめです! ぐずぐずになってて、波が吸収されてます」
 当局の役付きを送り出してから駆け付けてきた安芸の声が聞こえる。
 それに応えることなく、もう一度木津はトリガーを引く。安芸の言葉通り、崩された建材はその隙間に衝撃波のほとんどを吸収し、網状になった瓦礫が少しく揺らされただけだった。
 「くそっ!」
 と、その脇をG−MBが後進で抜ける。そして荷室状の大きな尾部を瓦礫に突っ込み、力任せに押しのけようとする。
 「なっ……由良?」
 木津の耳に聞こえてきたのは確かに由良の、食いしばった歯の奥から絞り出されるような怒号だった。
 「畜生……畜生……許せない、畜生!」
 G−MBのモーター音が高くなる。車体の後部に皺が寄り始めた。
 「無茶だ、由良さん!」
 安芸もG−MBに乗り込み、スタータ・ボタンを押す。その時鈍いショックと共に、由良のG−MBがこちらに押し戻されてきた。
 「まだいやがるのか!」
 朱雀が衝撃波銃を連射する。手応えは感じられない。
 木津はコクピットで滲む汗を拭わない。
 

 LOVEの玄関口を出て、来客用駐車場に続く角を曲がった時、引き渡された被疑者を背負った当局の若手は、足元に伸びている長い影に気付いてふと足を止め顔を上げ、そして凍り付いた。
 「何をしとる?」
 不機嫌の極みにいた上長の詰問も、部下の指差す先を見て、その先が続かなかった。
 緋色の痩躯が車に片足を掛け、悪魔を思わせる頭部と、不気味に開かれた左腕の銃口とを自分たちへと向けている。
 その眼が光ったように見えた。
 

 駐車場を呼び出したインタホンの向こうに久我が聞いたのは、相変わらずの混乱と喧噪だった。状況が好転していないことは明らかだが、それでも久我は詳細を訊ねる。
 予測通りの回答。それに加えて、インタホンの向こうの声は、由良のG−MBが変形機構に障害を来したことを告げた。
 「早急には問題はありません、G−MBは一両残っています。それよりも出口の確保です。爆破も許可します、急いでください」
 そこへ通話の割り込みを示すブザーが。駐車場からそちらへ、久我は通話を切り替える。
 向こう側の声は、駐車場からのそれ以上に混乱を来しつつ、来客用駐車場で男が三人瀕死の状態で倒れていると告げてきた。素性は問わずとも明らかだった。久我は簡単に収容と手当を命じ、インタホンのスイッチを切った。
 そのまま久我は動かない。ただ何事かをつぶやくその唇以外は。
 「……動き始めた……」
 

 事務所にいた阿久津の耳に事の次第を伝えたのは、インタホンからの久我の声だった。
 S−ZC二号機強奪の報は、さすがに阿久津をも狼狽させた。
 「二号機に使っているキーは何ですか?」との久我の問いに、阿久津は言いづらそうにぼそぼそと答える。
 「開発用の全機能キーですわい」
 この答えは、奪われた二号機が火器管制から内部機構の開放までを含む全ての機能を開かれていることを意味していた。
 久我からの応答はない。
 代わりに阿久津が問うた。
 「どうなさる? 捕獲するおつもりか?」
 これに久我は現在の駐車場の状況と、ゲートの異物排除が完了し次第VCDVを差し向けるとの意図を告げた。
 「ご協力を願います」と言う久我の言葉で通話が切れる。阿久津はそのまま片手で顎をしゃくっていたが、その手が引き出しに伸ばされた。
 「おい!」と手近な部下を呼ぶと、引き出しから取り出した鍵とキー・カードを放り投げて言った。
 「用意しとけ」
 キー・カードを受け取った部下は、それを改めて見て、驚愕の表情を隠さなかった。
 「で、でも、これはまだB試作の……」
 「構わん」
 阿久津ははっきりとそう言い、まだためらっている部下を一喝した。
 「急げ!」
 そして走る部下の背中を見ながら、低く、一人言の様に付け加えた。
 「……実戦にゃあ十二分に堪えられる。B試てのは型番上だけのことだ。それに、口頭とは言え正式に協力要請をよこしおったんだ。文句は言えまいて」
 

 駐車場では、大声での指示が飛ぶ中、ゲート爆破の準備が着々と進められている。
 防護壁の設置状況を確認させる声、爆破剤の扱いに注意を促す声、起爆装置の設置を指示する声。
 その中で、言葉にはしないものの、木津は立ったままその様子を見ながら、いらだちを隠そうとしなかった。
 こんなちんたらやってたら、逃げられちまうじゃないか。そもそも二号機の位置は把握できてんのか? あれをみすみす「ホット」の手に渡したら、そして「ホット」の工場であれを作り出しでもしたら……
 火の付けられない煙草が、木津の歯の間で小刻みに振れる。
 やがて待ちかねていた指示が駐車場内の全員に下された。
 「準備完了です! 全員待避!」
 「おぉっしゃあ!」
 木津は再びS−ZCへと走った。ゲートの瓦礫が見事吹き飛んだら、すぐに食いついてやる……
 が、急に腕を掴まれて、木津は足を止め振り返った。
 阿久津の顔、日頃VCDVの話をする時以上にぴりぴりとしたものを感じさせる阿久津の顔をそこに見て、木津は思わずたじろいだ。
 「阿久っつぁん……」
 「来いや」
 有無を言わせぬその口調。木津は気を殺がれたような顔で、足早に歩き出す阿久津の後に従った。
 背後で爆破の秒読みが始まった。
 

 そろそろ引き上げ時かな。
 外の状況を見て、結城は思う。あとはこの機体を献上しに戻らなければならない。閉じ込められた連中ももう穴を開けるなり何なり始めるだろう。
 その時、結城の耳に高い爆発音が届いた。
 来たか。潮時だな。
 もう一撃が駐車場のゲートにたたき込まれ、開けられた穴がもう一度塞がれた。
 変形レバーに伸ばされた手がすばやく引かれる。朱雀の痩躯が地を這うかのように低くなったかと思うと、それは車輪を備えたRフォームと化す。
 結城はスロットル・ペダルを踏み込む。何の躊躇も見せることなく、S−ZCは結城の体に加速の強力なGを返してきた。反応は玄武よりも速い。
 数秒とかからずに全速に達すると、LOVEの正面玄関から堂々と走り去るS−ZC。
 そのハンドルを握りながら、結城は驚愕と喜色とを顔に浮かべていた。
 性能特化のテスト機とはいえ、これほどのものだとは……木津の機よりも総合的に性能向上していると言っていたな。なら奴が追ってきたとしても相手にはなるまい。偶然とは言え、これは大収穫だ。こいつが「ホット」の許で量産されれば……
 結城は計器盤に手を伸ばし、ナヴィゲーションのスイッチを入れた。表示された画面に合流地点を見出す。そこはほんの数日前、木津と安芸がもう一人の「ホット」の部下、うまくいけば自身もS−ZCかそれに関する資料を奪取するはずだった男を捕らえた廃棄物積み出し場だった。ここからならあと二十分前後というところか。
 計器の表示する速度が少し落ちてきているのに気付き、結城はペダルに乗せた足に再び力を込めると、後方モニターに視線を走らせる。
 と、そこには一点、灰白色の影。
 結城は不審そうに片目を細める。ここまで何者をも抜き去っては来なかったはずだ。であれば、追い着いてきた? 馬鹿な。この速度で食いついて来られる車体はLOVEにだってない。結城は視線を前に戻した。
 が、それから数分と走らないうちに後方モニターに投げ付けられた強力な光条に、結城は再度後方を見ざるを得なくなった。
 結城の顔に驚愕が走る。
 一点の影でしかなかったものが、今ははっきりと車両の鼻面となって迫っている。
 追っ手か? もう?
 結城の手がレバーに触れた。
 ピークに達した速度の中で、機体のぶれも微塵も見せず、S−ZCが朱雀に変形し、追ってきた白色の車両に対峙する。
 相手は速度を落とさない。
 朱雀が両腕を相手に向けた。コクピットの中で結城の指が動く。
 二つの衝撃波が白い車体を襲う。が、それは相手がいたはずの路面で重なって二重の円を穿っただけだった。
 「消えた?」
 朱雀が前に飛び出し、射撃姿勢をとったまま振り向く。その目の前の路面に、同じく穴を穿つ衝撃波。
 「……やはり、VCDVか」
 同じように射撃姿勢をとって、朱雀の正面に、朱雀に似た痩躯、だがその赤とは対照的に、クリスタル・ホワイトとクローム・シルバーに彩られた痩躯が立ちはだかった。
 そのコクピットで、モニター越しに、奪われた朱雀を木津の両眼がにらみ据えている。
 

 「ご説明いただけますね?」
 珍しく久我が詰問調で切り出す。
 その正面には、上体を反らし気味に腰掛け、心持ち微笑を浮かべている阿久津。
 「何からご説明申し上げればよろしいですかな? いくつかありそうですが」
 表情を変えない阿久津の顔を見据えた目をすぐに伏せた久我は、だが口をすぐには開こうとしない。質問の順序を整理してでもいるかのようだった。
 ややあってやっと久我が口を切ったが、発せられた問は阿久津を思わずにやりとさせるものだった。
 「まず、あの車体で、逃亡したS−ZCを捕獲することは可能ですか?」
 「捕獲、ですかな?」と鸚鵡返しに阿久津。「正直に申し上げて、そいつは保証いたしかねますな」
 そこで久我の反応を見るかのように阿久津は言葉を切ったが、久我は淡々と先を促すだけだった。
 「……車両の性能だけを言えば、S−ZCよりは勝っていると言えましょう。ただし、数値化したデータ上のトータルとして、というレベルでですがな。それを活かすか殺すかは、ドライバーの質に左右されるところですな。結城氏の腕前は存じませんが。それに」
 もう一度阿久津は言葉を切って、言った。
 「捕獲が無理ならば、破壊も構わんと木津君には伝えてあります」
 久我の眉がいつになく大きく動いた。
 「それは……」
 微笑を崩さずに阿久津は続けた。
 「こちらとしても、丹精込めて作ってきた車両を、日の目を見せんままに破壊するのは心苦しい限りですがな、だがおめおめ持ち去られて、あいつを拵える以上の時間を掛けて得てきたものをただ奪われるのはそれ以上に我慢ならんのですわ」
 「分かりました」と久我は静かに答え、さらに問う。「あの白い車両のことは、こちらでは把握していませんでしたが?」
 「でしょうな」悠然と阿久津。「あいつはB試ですからな」
 「B試作?」言いながら、久我は再び眉を上げた。
 「左様。しかし、基礎はS−RYとS−ZCですからな。その上に、まだそのどちらにも盛り込んでいない技術も組んどります。B試という意味では作りかけの車体と言えるかも知れませんが、実用レベルにまでは上がっとりますし、内容を考えれば、少なくとも現行のS−ZCで追いかけさせるよりは有効と思うとります。ご不安ですかな?」
 久我は真正面から阿久津を見た。阿久津の微笑がそこでやっと消える。それを認めて久我は言った。
 「ご判断を信じましょう。あの車両の型式記号をお教え願えますか?」
 「B−YC、と付けとります」
 

 合流時刻まで、残り十五分を切っていた。
 結城は朱雀の機体に傷一つ付けることなく相手の攻撃をかわしていたが、しかし相手に傷を負わせることも出来ていなかった。
 こんな機体がどこにあったんだ? こいつもなかなかのものらしいな。こいつを捕獲して帰れれば…… 乗っているのは誰だ?
 白い機体がまた撃ってきた。
 赤い機体が横にステップを踏んで回避。
 どうやら、と結城は思う、向こうもこちらを無傷で捕獲しようと言う魂胆らしいな。銃撃の照準がどうも甘い。
 わざと外して撃つなどという芸当が出来るのは、安芸か? それにしては無駄弾が多い気がする。あの調子でばらまいていて、バッテリーがどこまで持つのか。
 結城は計器盤に目を遣る。こちらのまだまだバッテリーは問題ない。だが調子に乗ってあいつも連れて帰ろうというのは難しいかも知れない。それにこれ以上時間を食えば、増援の来る危険性もある。そうなれば……
 結城の指が操作盤で踊る。衝撃波銃の出力が上げられた。
 「終わりだ!」
 二条の衝撃波。
 一つは路面に食いついて表面を剥ぎ取り、飛礫を巻き上げた。
 そしてもう一つは真っ直ぐに白い機体へと向かった。
 眼潰しの如くに舞い上がる飛礫に紛れて朱雀の位置を変える結城の耳に、何かが裂け、弾け飛ぶ音が聞こえた。
 手応えはあった。
 結城は変形レバーをWフォームの位置にたたき込み、全速で後進をかける。その鼻面をかすめて、朱雀の下膊程の大きさの、牙のように尖った破片が路面に突き刺さる。
 鎮まる飛礫の向こうに結城は、両腕を十字に組み、腰をわずかに撓めて防御の姿勢をとっている相手の姿を認める。
 前に出された左腕は、外装が吹き飛ばされて、骨格が露わになっている。が、その腕も、機体のどこも、動く気配を見せない。
 「擱坐したか……」
 結城は言いながら、相手の機体から目を離さない。あの衝撃波を食らって、明白なのは腕の外鈑だけの損傷というのがその理由だった。躊躇なく結城はトリガーを引いた。
 が、その時結城は、相手が顔の前に組んだ腕の左右を入れ替えたのを見た。
 何?
 衝撃波は吸い込まれるように相手の右腕に突き刺さる。右腕を包む白い外鈑に鈍い振動が走り、しかし今度は弾け飛ぶことなく衝撃波を受け流した。
 組まれた左腕が解かれ、「ハーフ」の朱雀へと伸ばされる。
 結城の回避行動はわずかに遅れる。
 朱雀のそれとは異なる響きを帯びた衝撃波が、朱雀の左肩を捉えた。
 衝撃がコクピットの結城にも伝わる。その中で見る計器盤は、左腕が動作不能になったことを示している。
 結城は舌打ちをすると、変形レバーをRフォームの位置にたたき込む。信じたくはなかった予想通り、計器盤の返した反応は、R−W間の変形に支障を来していることへの警告であった。
 ハーフで走っても合流時刻にはまだ間に合う。が、それはこの白い奴がいなければの話だ。なら、こいつを仕留めるのが先だ。
 変形レバーに乗せられた結城の手が、再び動かされる。
 立ち上がる朱雀。その左腕は肩からだらりと垂れたままだ。
 「結城!」
 朱雀の頭部に右腕の銃口を真っ返ぐに向け、木津はついに叫んだ。
 「貴様、何のつもりで……」
 相手の誰かを知っても、結城は答えない。朱雀を軽く屈ませ、斜め後方にステップを踏ませると、生きている右腕の銃を放つ。
 回避する木津ももう口を開かなかった。ただこうつぶやいて。
 「阿久っつぁん、悪いが朱雀は連れて帰れないかも知れないぜ。その代わり」
 トリガーが引かれる。
 「この『白虎』を仕上げてくれ!」
 

 他に誰もいない執務室で、何の情報をも映し出せないディスプレイ・スクリーンを前に、久我は机に両肘を突き、頭を抱えていた。
 もしS−ZCがあの人の手に渡ったら、きっとあの人は……
 肩がびくりと震えた。
 そこにインタホンの呼び出し音。
 顔を上げた久我は、小さく咳払いをしてから名乗る。その声はいつもと変わらない平静なものだった。
 一方インタホンの向こうの声は、いつもの落ち着きをやや失っているようだった。
 「安芸です。準備が出来ました。アックス三両、いつでも出られます」
 しかし久我はスクリーンのスイッチを入れなかった。
 「S−ZCは単独での逃走とは考えられません。どこかに収容を担当する部隊が展開しているはずです。それが把握できるまで、そのまま待機願います……」
 「しかし……」
 

 計器盤のランプがバッテリーの容量を警告してきた。木津は右腕の銃への電圧を切る。
 さすがにロールアウト直前のフルチャージした奴とは勝手が違うか。目の前に立ちはだかる朱雀を見ながら木津は思う。だが向こうだって左は使えない。この点で言えば条件は同じだ。
 対する結城は少しずつ焦りを感じ始めていた。このままでは合流時刻に間に合わない。朱雀を奪取するという当初の目的さえ達し得なくなる。そうなれば、俺は……
 白虎が右腕を前に突っ込んでくる。
 朱雀が体をかわす。動かせなくなった左腕が反動で振られ、白虎へ向けた衝撃波銃の照準を狂わせる。
 朱雀を後ろざまに跳ね退かせながら、結城は舌打ちした。
 朱雀の右腕が左の脇に向けられる。
 それを見た木津は反射的に身構える。
 衝撃波の振動。朱雀の左腕が肩から吹き飛ばされ、絡み付くような鈍い音を立てて朱雀の足の後ろに落ちた。朱雀が右脚を下げ、それを蹴り上げた。腕は真っ直ぐに白虎の首に向かって飛ぶ。木津は白虎を屈ませる。が、次の瞬間、朱雀が残った右腕の銃口をこちらに向けているのを見る。
 撓めた腰をばねのように伸ばし、白虎は跳び上がる。その爪先を朱雀の衝撃波が捉えた。
 左の爪先が吹き飛ばされ、バランスを崩した白虎が空中で前のめりになる。
 その姿勢から放たれた、狙いのないと同然の衝撃波を難なく避け、朱雀はもう一度銃口を白虎に向ける。
 白虎が片足で着地した。
 結城の指がトリガーを引く。
 と同時に結城は叫んだ。
 着地した白虎は、片脚とは思えない跳躍力で再び舞い上がった。
 朱雀が追うように腕を振り上げる。そこに、白虎の手首から伸ばされた、VCDVの腕程の長さのある棒が、落下の勢いを乗せて打ち降ろされた。
 朱雀の腕の外鈑が割れた。いや、それだけではない。白虎の一撃は外鈑を抜き、上腕にまで達してこれをくの字に折っていた。
 白虎が再び片脚で着地する。その時木津は後頭部に、思い出したくない、強烈なしびれを感じた。
 白虎は今度はバランスを崩し、朱雀に倒れかかったかのように見えた。
 木津は襲ってくる吐き気に半ば痙攣しながら、操縦桿を動かした。
 着地した脚は白虎の痩躯を押し返した。その力を受けた右腕の棒は、朱雀の首を真っ向から捉え、あの悪魔じみた頭部を胴体からもぎ取った。
 コクピットの結城を衝撃がもう一度襲った。今度こそ平衡を失った白虎にのしかかられ、傷付いた朱雀の躯が倒れたのだった。
 木津の声を、いや苦悶のうめきを聞きながら、結城は操縦桿を動かし、計器盤のスイッチに指を走らせた。
 モーターの回転が上がり、へし折れた右腕を地に突いて、ゆっくりと白虎の機体の下から逃れ出ると、朱雀は立ち上がった。
 白虎は仰向けに転がされる。聞こえてくる木津のうめきが強くなった。
 結城は変形レバーに手を伸ばし、引いた。軽いショックの後、計器盤がWフォームへの変形に成功したことを示す。結城の口の端がにやりとひきつった。
 合流時刻まであと五分を残すのみ。
 結城はスロットル・ペダルを踏み込んだ。
 加速度が結城の体をシートに押し付ける。
 が、すぐにそれとは逆の力が、ベルトに固定されている結城の体をシートから浮かせ、コクピットの中で前後に、そして上下に揺すぶった。
 結城は顔をひきつらせる。力任せに動かす操縦桿は、もう反応を返さない。車体は自ら撃ち落とした左腕の残骸に乗り上げ、跳ね上がり、そして止めを刺すような衝撃が結城を襲った。
 転覆し沈黙するS−ZCを、そして衝撃波銃のバッテリーが完全に底を尽いたことを示す警告灯の明滅をももはや見ることはなく、木津はコクピットで突っ伏していた。その両の手はそれぞれトリガーと、そして衝撃波銃に最大出力を指示した操作盤の上で、小刻みに震えている。
 

 「発見です」との小松のゆっくりとした声に、久我ははっとしたように顔を上げた。
 「S−ZC大破、木津機小破なるも動きなしです」
 久我はスクリーンのスイッチを入れない。
 「アックス2は現在位置にて保持し警戒。アックス1及びアックス3は合流を急いでください。こちらも回収班を急行させます」
 「了解」
 「アックス2は可能ならば……可能な限り乗員の安否を確認し連絡してください」
 「了解」
 さらに久我は回収班に指示を出すと、机に片肘を突くと、手に顔を埋めた。
 やがて小松の声が聞こえた。
 「アックス2です。乗員の状況報告です。結城氏は死亡。舌を噛んでいます。遺体は残骸中に放置」
 「木津さんは?」
 「負傷ではないようですが、頭を押さえて痙攣しています。発作か何かでしょうか?」
 久我の頬がぴりりと震えた。
 

 

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