Chase 13 - 捕えられた男

 
 電話を切ると、久我はその手ですぐにインタホンのボタンを押した。
 二回目の呼び出し音が鳴り終わる前に、応える男の声が聞こえてきた。
 「MISSESです」
 「久我です。今から二人ほど手をお借りしたいのですが?」
 「由良ですけど、結城さんと私でいいでしょうか?」
 「お願いします。場所はこちらではなく、B棟の什器倉庫です」
 そう聞いて訝しげにながら了解の返事を返す由良に、久我は峰岡を倉庫の前で待たせておく旨を付け加え、再度お願いしますと念を押すと、インタホンのスイッチを切った。
 しかし訝しげなのは由良の答えだけではなかった。久我もまた右手にペンを弄びながら、その眉間に微かに皺を寄せている。
 

 インタホンから離れると、由良は首を傾げながら振り返った。
 「ディレクター?」
 訊ねた小松に由良は頷き、今のやりとりをかいつまんで聞かせた。
 「はぁ、什器倉庫ですか。力仕事でもしろというのかな」
 つぶやきながら結城は読んでいた新聞の画面を閉じると、立ち上がって一つ伸びをし、ついでに上体を左右に二度三度と捻った。
 「そんなに体力が有り余ってるようにでも見えるんですかね?」
 「まあ、取り敢えず行ってみましょう。峰岡さんが向こうで説明してくれるようです。それじゃ、小松さん、済みませんけど後はお願いします」
 湯気の立つ中国茶をすすりながら、いってらっしゃいという風に手を振る小松を後に、二人はMISSESの詰所の如き部屋を出た。
 ドアが背後で閉まる。歩き始めると、先に結城が口を切った。
 「昨夜は我々の代わりに、木津さんが代打で出場だったらしいですね」
 「ああ、安芸リーダーだけが残ってたんですか。あれ、出場ってことは、出動があったということですか?」
 「いえ、そこまでは聞いていませんが。ところで、昨日の反響はどうでした?」
 「反響、ですか?」
 「こっちで活動していることについて、向こうでいろいろ言われたでしょう」
 由良は照れたように頭を掻いた。
 「いろいろ言われたというよりは、あれこれ訊かれました。G−MBのこととか、出動のこととか」
 結城は微笑しながら頷く。
 「私の時もそうでしたよ。根掘り葉掘りの集中攻撃で、特にMフォームのことは興味を引いてましたね」
 「言われました。操縦が複雑じゃないかとか。でも向こうにだって導入されたわけですし、今思うとそれほど特別なことをしているような気にはなりません」
 「そうですか……確かにG−MBがそういう一般向けのような設定になっているというのはあるでしょうけれど」
 「結城さんは以前S−RYに乗ってらしたことがあるんでしたね。やっぱり違うものですか?」
 「基本的な操作系などはそれほど差のあるものではなかったですが、G−MBの方が扱いやすいような気はしますね。バックパックを背負わせた分、バランス制御を緻密にしたと阿久津主管は言っていましたし、それにS−RYはあちこち改修されているとは言え、最初の試作機だそうですからね、完成度はG−MBに大きく譲るでしょう」
 「S−ZCが最初じゃないんですか?」
 「阿久津主管によると、あれは試作機というよりは実験機に近いらしいですよ。実際の運用は念頭に置いていないとか」
 「ああ、それで木津さんが専属のテスト・ドライバーになっているんですね。車体もワンオフで。結城さんもあれには乗ったことがないんですか?」
 「ええ」
 と答えしな、廊下の角を曲がると、高く弾けた声が二人を出迎えた。
 「結城さん、由良さん、ここですぅ!」
 峰岡の片手は二人に振られ、もう一方の手は台車の上に掛けられている。
 少し足取りを速めて近付いた由良が問う。
 「台車なんか持ってきてるということは、もしかすると荷物運びですか?」
 「当たりです。この部屋の中身をA棟の倉庫の方に移して欲しいんです」
 「で、代わりに何か入れるんですか?」と結城が訊ねる。
 「さあ、そこまでは聞いてなかったです」
 「久我ディレクター直々の指示だから」結城が再び口を開く。「何か意味があるんだろうけど……しかし地味な作業だな」
 峰岡は少し困ったような顔をして見せてから、倉庫のロックを解除し、扉を開けた。
 明かりが点されると、微かに埃っぽい臭いが漂い出す。由良が中に足を踏み入れる。
 「何だ、大して物は入ってないですね。手早く片付けてしまいましょう」
 

 久我は再びインタホンに向かい、呼び出しボタンを押した。五回の呼び出し音が鳴り終えて、やっと応えが返った。
 「医務室です」
 久我は、名乗るとすぐに、昨夜拘束した武装ワーカーの乗員の様子を訊ねた。
 何ら慌てた風もなく相手は答える。
 「ご指示の通り鎮静剤の投与をしていますので、眠ってはいますが、意識が戻ったことは確認しました。外傷も大したものではなかったですし。身柄引き渡しですか?」
 「いいえ、当局にはまだ移しません。当面こちらに即席の留置場を設けて、そちらに収容することにしました。準備が出来次第そちらへ移動します。問題はないですね?」
 医務室の同意を受けた久我は、移動は追って指示する旨を伝えて通話を終えた。と、間髪を入れずにインタホンの呼び出し音が鳴り、阿久津の声がそれに続いた。
 「よろしいですかな?」
 「どうぞ」
 資料を小脇に抱えた阿久津は、部屋に入ってくるなり言った。
 「お忙しそうですな」
 こういう台詞に久我が答えを返すことはないのを承知している阿久津は、椅子を引き寄せて久我のデスクの前に座り込み、無造作に資料を机上に置いた。が、その態度とは裏腹に、どことなく浮かれたような雰囲気が表情からは感じ取れる。次に続いた言葉もまた然りだった。
 「予定通り最終チェックが完了しましたです。ディレクター殿の承認が頂けたら、後はロールアウト待ちですわ」
 置かれた資料を取り上げるだけ取り上げて、しかしページを繰ることはせずに、久我は訊ねた。
 「チェックでの不具合による最終的な修正個所はどの程度ありましたか?」
 阿久津はにやりと笑って見せると、椅子にふんぞり返る。
 「皆無、です。これまでになく万全の仕上がりと言ってもいいでしょうな」
 「一号機の実績のある設定を基に調整をされているものとうかがっています。それが仕上がりの方へも良い影響を与えているようですね」
 全く表情というものを感じさせずに言われた久我の言葉に、阿久津の顔からさっきまでのにやりが消えた。口ごもるような阿久津の返事。
 「まあ、そういう事実はありますな」
 「その状態で」と変わらぬ調子で久我がさらに問う。「一号機と比較して、最終的な向上値はどれほどになりましたか?」
 これには阿久津は準備していたかのように即答する。
 「モーターの出力、火器の威力、操縦性、バランス制御諸々含めて、トータルで二十二ポイントのアップになっとります。変形速度にあまり手を着けられなんだのが惜しいと言えば惜しいですがな」
 「結構です。資料はこれから確認させていただき、その上でロールアウトの日程もお知らせすることとします」
 この女がこう言えば、話はこれ以上続かない。承知の阿久津は腰を上げると、椅子を元の場所に戻しながら、もう一点だけ訊いた。
 「二号機も木津君が使うんですかな?」
 妙にはっきりした答えが戻った。
 「まだ決まっていません」
 鼻を鳴らしながら阿久津が出て行くと、提出された資料に目をやる間も久我に与えることなく、インタホンが呼び出し音を鳴らす。
 ボタンを押して呼び出し音を止めると、代わりに峰岡の声が飛び出してきた。
 「倉庫の引っ越しが終わりましたぁ!」
 

 「……はい、はい分かりました」
 通話を終えた峰岡は、二人に告げた。
 「お疲れさまでした。これで釈放です」
 由良が軽く吹き出した。
 「釈放って……今のは懲役ですか?」
 「いけませんよぉ〜、当局出身の人が懲役になっちゃあ」
 立てた人差し指を横に振りながら峰岡。
 由良は人懐っこそうな丸顔をふるふると横に振ってみせる。
 「なりませんなりません」
 「そう言えば、さっきの什器倉庫は留置場か独房に持ってこいだったな」と結城が何気なく言った。「もしかして、そのつもりだったんじゃないですか、久我ディレクターは」
 「だからなりませんってば」
 由良が笑いながら、しかし半ば大声になりながら言う。
 「いや、そうではなくて、LOVEの中に身柄を確保した容疑者を置いておくための場所を作るっていうことです」と結城が言う。
 「え〜、それはないんじゃないですか?」
峰岡が口を挟む。「今までだって、必ず当局に引き渡しでしたよ。ここにそんなに長い間引き留めておくことなんてなかったです」
 「そうですね。それじゃ当局の怠慢です」
 結城の言葉に由良が頷く。
 

 「当局の怠慢じゃないのか?」
 話を聞くや否や、木津は久我に食ってかかるように言ったが、次の久我の言葉を聞くとそれを忘れたかのように表情を一変させた。
 「それと同時に、車両調査の許可がありましたので、作業に着手しました。先程結果が報告されてきましたが、砲の機構部分に例のマーキングが確認されたそうです」
 「奴の絡みだったのか」
 木津が拳をもう一方の手のひらに打ち付ける音が執務室の中に響く。
 「だがそれにしちゃあ、あんまりにも間抜けだぜ、あの兄ちゃんはさ」
 「いずれにせよ、こちらは当局の指示に従う他ありません。改めての指示があるまで、身柄をこちらで預かります」
 「奴の子分をね。そりゃ嬉しいこっちゃ」
 久我の上目使いの視線を感じて、木津は話をそらすように続ける。
 「で、例の即席留置場はどうなった?」
 「既に準備済みです。あなたのお手を煩わせることはなくなりました」
 「左様でございますか」とおひゃらかすと、木津は次の煙草に火を点けた。
 「で、本題ってのは?」
 久我はテーブルの上に裏返しに伏せられていた資料を取り上げ、木津の方に差し出す。
 「S−ZCの二号機が完成しました」
 ひときわ大きな煙の塊を吐くと共に、木津は歓声を上げた。
 「それはそれは重畳至極。しかし、ここまでこぎ着けるのにずいぶんと時間がかかったみたいだな。俺がここに来た頃にはもう調整段階に入ってたはずだよな?」
 そう言いながら資料を手にする木津に、久我が答えた。
 「あなたのご協力を得られたおかげで、数多くの改修要目が新たに見付けられました。進捗の遅れはそのまま性能の向上に繋がったものととらえています」
 笑いを噛み潰すような口許を見せ、木津は資料のページを繰った。
 車体のフォルムは今木津の乗っている一号機とほとんど変化はない。だが最大出力や衝撃波銃の出力などは数値的には多少の変化が見えている。それから運転席周り。スイッチの配置が少し変更されている。
 「……それほど大きく変わってるような感じはないんだな」
 「同じS−ZCですし、性能の向上のために外見的な要素を変更する必要も特には見出されなかったようです。しかしご覧いただいている通り、数値面では性能向上されていますし、その他単純に数値化できない部分についても相当の部分に改修が施されています」
 「阿久っつぁんにもレポートを出しまくったしな。それを盛り込むのに大わらわになってたってわけか」
 「計算値では、一号機と比較して二十パーセント以上の性能向上となりました」
 「計算値では、ね」
 「そうです。そこで一号機のドライバーであるあなたにロールアウト時の試験走行をお任せし、同時に一号機との総合的な性能比較を行っていただきたいと思います。これが今日お呼び立てした本題です」
 煙草が灰皿で潰された。
 木津は頬に浮かんだ上機嫌そうな笑みをもはや押し止めようともしなかった。
 「そいつぁ願ってもないね。で、いつ?」
 一旦手にしたコーヒーのカップを口を付けずに皿に戻すと、久我は答える。
 「S−ZCは試験用車両の位置付けを変えていませんので、ごく小規模に行うつもりです。ですから、それほど準備期間も必要は無いでしょう。あなたには操作説明書をお渡ししますが、そこから今回の変更点について理解を得ていただきたいと思います。そのための時間だけを取ろうと思っています」
 「まだるっこしいな」
 「それだけですから、一日はかからないでしょう。今週末ではいかがですか?」
 木津は腕時計に目をやった。
 「……三日後か。ま、いいだろ。正直な話、今すぐにでもやっちまいたいところではあるがな。で、予習用のマニュアルってのはどこにある?」
 「お手元の資料に含まれています」
 「早く言ってくれ」
 木津の手が資料の冊子をかき回す。
 「ああ、これか。それじゃさっそく部屋で読ませてもらうとするか」
 立ち上がった木津はさっさとドアへと向かう。が、そこで足を止めると振り返った。
 「で、このじゃじゃ馬二号機は俺が飼い慣らすようになるんかね?」
 「まだ決定はしていませんが、そういう方向で運ぶことになると思います」
 「そうしたら一号機は?」
 「テスト機として動態保存することになるでしょう。もっとも、これも確定ではありませんが」
 木津はまた微笑んだ。
 「安心したよ、すぐさまスクラップにするとかじゃなくってさ。何たってあいつにはいろいろ世話になってるし」
 

 「あ、仁さんがスキップしてる」
 峰岡が指さす方向を、他の四人が一斉に見た。言葉の通りスキップというわけではないものの、足が地に着いているかどうかはいささか心許ない様子で木津が来た。
 「これはこれは皆様お揃いで」とおどけた調子の木津に、峰岡が問いかける。
 「何かいいことがあったみたいですね?」
 すると木津はまた峰岡が後ずさりしそうな笑みを満面に浮かべて答えた。
 「お・お・あ・り」
 次に興味を示したのは結城だった。
 「その資料に何か関係あるんですか?」
 木津は答えずに、脇に抱えた資料の表紙を見せた。
 覗き込む四組の目。
 「やっとロールアウトまでこぎ着けたんですね」と安芸が口を切る。「プロトタイプから半年かかりましたか。これは相当手が入っているはずですね」
 そう聞いた木津はさらににやつく。
 今度は結城が問う。
 「実際のロールアウトの日取りまで決まったんですか?」
 「おうさ。今週末だ」
 「ずいぶんと急ですね」
 「そんなことはないだろ。同じ朱雀だぜ。違いだけ把握しときゃ、転がすのに何の問題もないはずだ。本当なら今すぐにでも行きたいところだったんだがな」
 「昼食も抜きでですか?」
 この由良の問いにきょとんとする木津。
 「……あ、もしかして、お揃いだったのはこれから食堂に行くのか?」
 「そうです。よろしかったら木津さんも一緒にいかがですか?」
 「そうですよ」と峰岡が追撃。「たまにはみんなで食べるのもいいですよ」
 「そうだな。今そう言われたら急に腹が減ったよ。ご一緒致しましょうかね」
 

 食堂の一角。
 件の五人が丸テーブルを占領している。
 「それじゃあ」パスタ・ソースの付いたフォークを片手に、峰岡が話を続ける。「今乗ってる方のS−ZCは、どうなっちゃうんですか?」
 口をもぐもぐやりながら、言葉にならない言葉で答える木津に、安芸が言う。
 「だからどっちかにしませんか? 話すか飲み込むか」
 これには従わざるを得ず、木津は飲み下した後の口の中をさらに水で洗い流すしてから、久我から聞いた話をそのまま伝えた。
 「ということは、誰かが乗り換えるとか、ドライバーを補充するとかいうことはないんですね?」と結城。
 「らしいね」
 「結城さん、実はS−ZCを扱ってみたかったんですか?」安芸が問いかける。
 「正直な話、それはありますね。やはりここに派遣されてきた以上は、VCDVの全部を一度は扱ってみたいと思いました。でも性能テスト機だということでしたから。今度リリースされる機体もそうなんでしょうか?」
 「じゃないのかな」と木津。「少なくともおばさんはそう言ってたね。何かあんまりそんな感じはしなかったけどさ」
 「いずれ当局に導入されることはないんでしょうね」と大盛りのカレーライスをあらかた平らげて由良が言った。
 「そうそう」と口の中のフライを今度はちゃんと飲み下してから木津が言う。「当局と言えば、進ちゃん聞いたか? 昨夜の奴、結局引き渡しの目処が立ってないんだと」
 そうなんですか、という安芸の声に、峰岡の声がかぶさった。
 「昨夜の奴って何ですか?」
 「あれ? 知らなかったんだ」
 木津は昨夜の出動の経緯を語った。
 「……で、容疑者の身柄はまだこのLOVEにあるんですか?」由良が訊ねる。
 「らしいね」
 答えた木津に安芸が付け加える。
 「そう言えばディレクターが、倉庫を仮の留置場代わりにするとか話していました」
 「え〜、本当にそうだったんですか?」
 驚いた峰岡が、結城と顔を見合わせる。
 「本当に倉庫の片付けを?」
 「ディレクターから指示があって、さっきやりました」と由良。
 「どこの倉庫だ?」
 木津が少し低い声で訊く。
 「仁さん、お箸を持ったまますごんでも、格好が付きませんよ」
 峰岡の入れた茶々に笑いながら、答えたのは結城だった。
 「B棟の什器倉庫です。で、峰岡さん、ほっぺたにソースが撥ねてますよ」
 慌てて頬を拭く峰岡の仕草を見て、また皆が笑う。木津を除いて。
 「もうそっちに移したのか?」
 「いいえ」これには由良が答えた。「私たちがやったのは片付けだけでしたから」
 箸を置いた木津は、舌で歯の裏側を舐めながら独り言のようにつぶやいた。
 「それじゃまだ医務室か。ぶち込まれる前に、もういっぺん面を拝んでおくか」
 「こちらのメンバーが『ホット』の部下と直接接触するのは、これまでにはなかったことなんですか?」と由良が問う。
 口を拭って安芸が答える。
 「ええ、身柄を確保次第、すぐに当局へ引き渡していましたから。当局が引き取りに来なかったのは初めてですね。でも」と木津の方に向くと続ける。「こっちが勝手に接触すると、当局がいい顔をしないでしょうね」
 「知ったこっちゃねえさ」
 由良の顔が少し曇る。が、木津は気付かずに言った。
 「奴につながるものだったら、何でも利用させてもらわなきゃな」
 峰岡がむせて軽く咳き込む横で、そうでしたねと安芸が頷く。
 「何でもというのは、LOVEもS−ZCも含まれるんですか?」
 そう訊ねる結城に、木津は平然と
 「ああ、ディレクター久我大先生の承認も有り難く頂戴してる」
 「それは……まずいですよ」
 「当局の人間にしてみればそうかもな」
 結城と由良は顔を見合わせた。
 「さて」木津は立ち上がり、空になった食器の載るトレイを片手で持ち上げた。「拝みに参りますかね、話題の人物を」
 

 「あら木津さん、お見限りですね」
 出迎えたのは、木津が手術前に担ぎ込まれた時に付き添っていた看護婦だった。
 「そうそうお世話になりたくはないわな。お巡りとお医者は暇な方がいい」
 看護婦は肩をすくめる。
 「それで、どうなさいました?」
 「例の兄ちゃんは?」
 「ああ、昨夜の」と言いかけて、彼女は木津の後ろに、結局付いてきた結城と由良の姿を認めて会釈する。
 木津は一度振り返ってから言う。
 「ああ、野次馬同伴だ。『ホット』の手下の面を拝みたいってな。まだいるんだろ?」
 「ええ、薬で眠っていますけど」
 「何だ、寝てんのか」木津は舌打ちする。「それじゃ話を聞くわけにゃいかないか」
 「残念ながら無理そうですね。これまでのところ寝言も言っていませんから」
 相変わらずとぼけた口振りの看護婦。にやりとしながら木津は閉じられた白いカーテンを半分だけ引く。その脇から結城と由良がベッドの上を覗き込む。
 額にガーゼと絆創膏を貼り付けた、蒼白い顔が目を閉じている。
 結城が眉間に縦皺を寄せた。
 「まだ二十歳前じゃないですか?」
 「みたいだがね」と木津。「身元調査のインタヴューも出来ないんじゃ、確かなことは言えないが」
 「しかし、どうしてこんな若い身で犯罪者の配下に入ってしまうんでしょうね?」
 由良がいつもとは違う、ぼそぼそとした口調でそうつぶやく。
 木津がそれに応えて言った。
 「『ホット』に会ったら訊いておくよ。どうやって誑かしたのかってさ」
 カーテンの向こうで低く抑えられたインタホンの呼び出し音が鳴り、それが途切れると今度は看護婦の受け答えが聞こえる。
 「……はい医務室です。……ええ、見えてますけど……はい、承知しました、準備しておきます」
 「移送ですか?」結城が問う。
 「そうです。倉庫の方にですけど。真寿美ちゃんが鍵を持ってくるそうなので、手伝って下さいね」
 「手伝い?」
 「久我ディレクター直々のお達しです。皆さんが来てるなら、使ってやりなさい、じゃなくて、手伝ってもらいなさいって」
 「あのおばさんのやりそうなことだぁ」
 木津が両の手を挙げてぼやいた。
 結城がもう一度横たわる男に視線を落とす。
 間もなくインタホンから峰岡の声が聞こえてきた。
 

 今は即席の留置場となった倉庫の鍵を開けながら、振り返って峰岡が口を切った。
 「当局の方からさっきディレクターの所に連絡があって、明後日この人を連れに来ることになったそうです」
 「明後日ですか」と鸚鵡返しに結城。
 「朱雀二号機お披露目の前日だぁね」
 「仁さん、今週はもうそればっかりになりそうですね」と峰岡は言うと、扉を引き開け、照明のスイッチを入れた。
 窓一つない、埃臭い部屋。
 「こんな所に閉じ込めちゃったら、何だかかわいそうですね」
 そう言う峰岡を小突きながら木津は言う。
 「連中にいっぺん殺されかかったことがあるってのに、何を言ってんだか」
 驚いたような顔をして由良が問う。
 「殺人未遂罪を問われるようなことまであったんですか?」
 「ベッドは壁に寄せてしまった方がいいでしょうか?」
 最後にベッドを押して入って来た結城の声に、三人が振り返る。
 「あ、ごめんなさい、手伝います」
 由良が駆け寄り、ベッドの頭側を持つ。ベッドは横を壁にぴったりと着けられる。
 まだ目を醒まさない男に一瞥をくれると、木津は独り言のようにつぶやく。
 「これで二号機の話がなけりゃ、手持ち無沙汰ついでにこいつをたたき起こして、『ホット』の事を吐かせたところだったのにな」
 峰岡が木津の腕をつかんで引っ張り、さらに後ろに回って背中をぐいぐいと押す。
 「はい、作業終了です。撤収撤収!」
 「分かった、分かったって! しばき倒したりしないから! 背中は止めてくれ!」
 「あー、さては仁さん、背中が弱点なんですね? いいこと聞いちゃった」
 「しまった!」
 一声上げて一足飛びに部屋から飛び出すと、木津はそのまま向かいの壁に背中を着ける。
 「頼むから、背中をくすぐるのだけはやめてくれ!」
 結城と由良は顔を見合わせて笑った。
 

 常夜灯の薄暗い光だけがぼんやりと点る廊下。足音を忍ばせて歩く一つの影が、扉の前で動きを止めた。
 扉の隙間から廊下の床に、中からの灯りが僅かに漏れ出している。それを認めた影は、屈み込むとその隙間に何かを差し込んだ。
 部屋の中へとそれが引き込まれるのを見ると、影は立ち上がり、再び足音を殺して歩き始めた。
 ややあって、その影が同じような足取りで、同じ場所に現れ、同じ扉の前で屈み込んだ。
そして扉の隙間に紙片を差し込むと、それはすぐに室内に引き込まれ、合間も置かずにさっき外から差し込まれた何かが押し出されてくる。
 屈んだ影はそれを抜き取ると、立ち上がり、もと来た方へと歩き出し、今度はそれきり姿を見せなかった。
 

 その頃、木津は煙草もくわえずに自室のベッドに仰向けに寝転んで、久我から渡されたS−ZC二号機仕様書と操作説明書の五度目の通読を終えようとしていた。
 最後のページが閉じられると、冊子が枕元に放り出された。そして木津の上体がここしばらくはなかった程勢いよく跳ね起きた。その顔に野卑なほどの笑みを浮かべて。
 「……二号機か」
 顔が机の方に向けられる。笑みから野卑さが消え、代わりに意志がそれを引き締める。
 視線の先にはあの写真があった。
 

 

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