Chase 09 - 掴まれた端緒

 
 静まり返った駐車場にヘッドライトの二条の青白い光が射し込み、それに導かれるように、ぽつりぽつりと駐められた車の間を縫って、ダークグレイの車体が猛烈な速度で飛び込んできた。
 ライトが消えるよりも早く助手席のドアが開く。そこから飛び出してくる峰岡の小柄な体。続いてすぐにエンジンが止まり、運転席から木津が降り立つと、先に走り出していた峰岡を追った。
 淡いピンクのマニュキュアに彩られた峰岡の細い指が踊るように非常ドアの暗証番号を叩き、錠の解除される硬質の金属音を聞くと即座に木津の手が厚く重いドアを押し開ける。その先には青白い常夜灯の灯る薄暗い通路。狭い壁の間を二つの背中が走り去り、早足の足音の響きが後に残される。
 枝分かれする通路へ曲がって行こうとした木津を峰岡が呼び止める。
 「仁さん、着替えは?」
 「そんな暇ないっ……ていう訳にもいかないか、その格好じゃ」峰岡のデート用装備を見て木津は言う。「いい、俺は先に出てる。追っかけて来い」
 「はい」
 再び走り出す峰岡の後姿も見ず、木津は駐車場へ急いだ。
 

 突き当たり、右に折れ、手動のドアを突き飛ばすように押し開き、薄暗く足許のはっきりしない階段を二段飛ばしに駆け下り、さらに続く廊下を走る。
 突き当たりのドアは開けられていた。
 木津が飛び込むとすぐさま声が掛かる。
 「仁ちゃん、来たか」
 「阿久っつぁん? 何でいるんだ?」
 「残業してたら駆り出されたんだ。それはどうでもいいから、急げや」と、阿久津は手ずからS−ZCのドアを開いた。
 木津の靴が床を蹴る。鈍い靴音に続いて、木津の体をシートが受け止める重い音。そこに、急かしておいた張本人の阿久津の声が、峰岡と同じ問いを投げかけて来る。
 「スーツとメットはどうした?」
 「そんな暇ねぇだろ?」
 「確かに暇はないがな、何も着けないで出ていった時、お主の体への影響が心配なんだよ。ま、いいならいいがな。それはそうと、真寿美クンはどうした?」
 「ストリップの真っ最中」
 阿久津の口許に卑猥な皺が寄る。
 「想像させるでない」
 にやけている阿久津を放っておいて、木津は上着の内ポケットからパンダのキーホルダーをつまんでメイン・キー・カードを引きずり出し、スロットに親指で押し込むと、シートや操作系のセットも待たずに同じ親指でスタータのボタンを押した。
 一呼吸と待たせることなくS−ZCの機能は覚醒する。計器盤が点灯。メーター指針の反応。モーターの最初の回転。
 ボックスから取り出した黒いグローブをはめる木津に、外からドアを閉じながら阿久津が言った。
 「先に出た二人の位置はナヴィにトレースさせておいたでな」
 「おうさ」とナヴィゲーションの画面を見ながら木津が答える。が、ドアを閉じようとした手が途中で止まった。そして阿久津がもう一言付け加える。
 「お主、夜は初めてだったな」
 「ああ」
 「気を付けろや」
 そして木津の答えを待たず、ドアは閉じられた。ドアを車体に引き込んで固定するモーターの僅かなうなりが木津の耳に届く。
 木津は横を見ると、もう脇の方に待避していた阿久津にちょいと合図を送る。
 次の瞬間、S−ZCはテールランプの残像だけを夜の闇に残して走り去っていた。
 

 ヘッドライトから放たれる二条の白い光が路面を照らし出す様は、まるで銀色に磨かれたレールが敷かれているようであった。その上をほとんど音もなく深紅のS−ZCが走り抜ける。
 木津はナヴィゲーションの画面に目を走らせる。安芸と結城の出ていった先とやらは、これまでに「ホット」の一味が騒ぎを起こしたのとは違い、工場地区の中でもLOVEのある区域からはずいぶんと離れている。そこにあるのはほとんどが放棄された工場跡だ。今回はLOVEが目標ではないのか?
 まあいい、何が目当てなんだか、ふん捕まえて締め上げりゃ吐くか。その中にご本尊様がおいでましませば手っ取り早いがな。
 木津は既に床まで踏み込んでいるスロットル・ペダルにさらに力を加えた。
 ナヴィゲーションの画面に表示されている目標地点到着までの残り秒数は、一定の、しかし猛烈な勢いで減っていく。そしてそれが三桁を割り込んだ時、木津の目に、工場跡の高い外壁の暗い谷間に乱れ飛ぶ電光と砲火とが飛び込んできた。
 あれか。
 向こうもS−ZCのヘッドライトを見逃さなかったらしい。そう思う間もなく、黄白色に跡を引く曳光弾がばらばらとこちらに向かって飛んできた。
 反射的に木津の右足はスロットル・ペダルを離れてブレーキ・ペダルに移り、急制動、急転舵。そして次の瞬間には朱雀が左腕を射撃態勢にし、両肩のライトを光らせて立ち上がっていた。
 「朱雀?」気付いた安芸が叫ぶ。「仁さんですか?」
 「待たせたな、お二人さん。道が混んでてな。塩梅はどうだ?」
 「敵は分離します! 気を付けて!」と喘ぐように叫ばれたのは初陣の結城の声。
 「分離?」
 朱雀が上体をひねって周囲を見渡す。投げられたライトの光。すかさず一連射が襲う。
 横様に跳ね飛んでかわし、射撃の姿勢を採ろうとしたところに、また一連射。再び横っ跳びに回避する朱雀をさらに銃弾が追う。
 「とっ、とっ、とっ!」
 三度目には垂直にジャンプし、自分だけ遊撃体制をとっているつもりなのか、少し距離を置いて陣取っている一台に狙いを付け、衝撃波銃を二発ぶち込む。
 朱雀の視線と同期して動く両肩のライトが浴びせる光の底で、衝撃波をまともに受けた相手の車両は鈍い音を立てて歪んだ。
 「おし!」
 「木津さん、それはさっきやった奴です」
 着地すると同時に聞こえた結城の声に、木津は標的を確認する。武装暴走車並みの重武装をしたそれは、確かに今し方擱坐したばかりという雰囲気ではなかった。
 「この暗さじゃ分からないな」木津は舌打ちする。「阿久っつぁんが気を付けろとか言ってたのはこういうことか」
 が、そう思う間もなく朱雀にまたも銃弾が襲いかかる。今度は逆に横飛びで回避。
 そこに安芸の声が。
 「仁さん! ライト消してください!」
 反射的に木津の手がスイッチに伸びた。明るさに慣れた木津の目に、前の闇は一層深くなる。また安芸の声。
 「仁さん伏せて!」
 これもまた反射的に操作系を動かす木津。
 朱雀の痩躯が地に伏せる。その上を今度は重砲弾が抜けて行き、爆発音を伴って背後の壁に穴を穿つ。破片が朱雀の背中でばらばらと音を立てた。
 そのままの姿勢で木津は尋ねる。
 「向こうはいくつだ?」
 「残り五つだと思います」
 少しうわずり気味の声で早口に答えたのは結城だった。
 「全部でいくついた?」
 攻撃を避けるための一呼吸をおいて、結城が答えを返した。
 「八です」
 「奴は?」
 「奴? あうっ!」
 叫び声に続いて、何かがぶつかる鈍い音が闇の中から聞こえる。
 左手で何かが光った。木津は銃口をそちらへ向ける。トリガーに掛かった指が、だがすんでの所で止められる。銃口の先では、何かに後ろから羽交い締めにされている青龍が、ライトに照らされている。
 朱雀の左腕が右に向けられた。木津は今度はトリガーを引く。発せられた衝撃波は結城の青龍を照らし出していたライトを粉々に吹き飛ばした。
 再び闇に沈む周囲。朱雀は弾かれるように起き直り、結城の青龍の正面に駆け寄ると、その肩越しにのぞく相手の頭部を狙って衝撃波銃を放った。
 まともに衝撃波を受け、相手は腕を緩めて後方に吹っ飛んでいき、その上半身が地面との間に火花を散らして転がった。
 上半身?
 「こいつ……!」
 結城の言っていた分離の意味が、また久我が相手の数を正確に掴めなかった理由がその時木津にもはっきりと分かった。
 確かにぱっと見には武装ワーカーだ。だが前と違うのは両肩と裾の張り出したその上体のフォルムだけではない。その裾と肩とに仕掛けがあるのだろうが、上体が台車から分離して、それぞれが別個に攻撃行動をとれるようにしてあるのだ。そのために台車の方もこれまでと違って重武装にしてあるわけだ。
 「しばらくだんまりを決め込んでたと思ったら、今度はまた随分と凝った真似をしてきたじゃないか」
 そうつぶやきながら見たさっきのワーカーの上体が、恨み骨髄に徹したと言わんばかりの結城の六連射で、ライトに照らされ地面の上を弾みながらひしゃげていく。
 「結城さん、ライトは!」
 また安芸の声がする。が、今度は少し遅かった。銃弾の何発かが青龍を捉え、右肩のライトが割られて消えた。
 結城の舌打ちに安芸の声がかぶさる。
 「そっちが撃てば……」
 そして衝撃波が車体を捉える鈍い音が。
 「こっちには砲火が見えるんだ」
 「どこから撃ってんだ進ちゃん?」
 答えるように台車の一両が回頭し、砲口を上に向けて撃ち始める。と同時に向こう側の壁を蹴って、安芸の青龍が飛び降りてきた。そして着地すると膝を着き、また一連射を相手に浴びせる。
 相手は回避すべく後退する。その先には朱雀の足。虚を突かれた木津は、思わず朱雀の脚を上げ、そのまま台車の上に膝を突き、砲身を掴むと、走り続ける台車に乗る。
 「んにゃろっ!」
 そう叫ぶなり、左腕の銃口を台車の車輪に近付けて一発見舞う。
 車輪を吹き飛ばされ、傾いて路面との間に火花を散らしながら滑っていく台車から朱雀は飛び降り、さらに一撃。衝撃波にあおられた台車は横転擱坐する。
 「残り四セットか?」
 闇の中を朱雀が見渡す。
 うっすらと見えるのは二体の青龍の影。武装ワーカーの姿も、音も消えた。
 「どうしたんだ?」と木津。「消えた?」
 「どうやら逃げたみたいですね」結城が応じる。「追いますか?」
 「逃走方向を見ていらしたんですね?」
 安芸の問いに、結城は口ごもるように否定の答えを返した。
 「それじゃ追えねぇだろ」
 木津の言葉が終わらないうちに、朱雀と青龍の姿が光に照らし出された。三本の左腕が一斉に光源に向けられる。
 「撃たないでぇ〜! あたしです!」
 「峰さんか……」最初に腕を下ろしたのは安芸の青龍だった。「遅かったじゃないか」
 「ごめん、着替えるのにちょっと手間取っちゃって。終わったの?」
 「分かりません」結城が答える。「逃げたらしいんですが」
 その声に重なるかすかなノイズを、木津は聞き逃さなかった。
 「真寿美! ライト消せ!」
 「えっ?」
 「早く!」
 言いながら木津は朱雀をWフォーム、木津の曰く「ハーフ」に変形させ、接近するS−RYに背を向けた。
 それを見た安芸は直ぐに反応し、くるりと振り返ると膝を突いた射撃姿勢を採った。それと同時にS−RYのライトが消された。
 風を切る音。そして接触音。結城の青龍が振り向きざまに、飛びかかってきた上半身に肘鉄を喰らわしたのだ。
 「来たか!」
 結城の青龍に接触した上半身は、バランスを崩したか傾いて地面に接触する。すかさず安芸が正確な狙いでその頭部を撃ち、のけぞるように上半身は地面に倒れる。
 「な、何なんですかこれ?」
 S−RYを変形させることも忘れたままの峰岡に、木津の声が飛ぶ。
 「とりあえず体勢とれやな」
 「はい」
 答えると同時に峰岡の左手が動く。S−RYがハーフに変形。
 「上だけか?」と低く結城がつぶやく。
 「来ました! 下もです」安芸が言う。そして二両のハーフに視線を走らせると、「仁さん峰さん、下は任せます」
 「だから何なんですかぁ、この上と下が別々なのって?」
 「『ホット』に訊いてくれ」
 そう言うと木津は照準器を食い入るように見つめる。その中に、上下分離して一斉に突っ込んでくる相手。
 下が撃ってきた。
 二体と二両がすかさず散開。
 壁を背に結城は飛んでくる上半身に狙いを付けようとする。が、予想より一つ多い四体の上半身がそれを攪乱するように舞う。
 一方の台車は重砲を撃ちながら突っ込んで来る。木津と峰岡が後進をかけてかわす。
 木津のハーフが左腕の照準を先頭の台車に着ける。トリガーを引く木津の指。左手首の下に据えられた砲口から放たれた衝撃波は、台車の正面をまともに捉え、弾かれる。
 「面の皮の厚い野郎だ。前のワーカーとどっこいの装甲車だな、こいつぁ。だが」
 木津の左手の動作に、ハーフは後進から一転全速前進、さらに朱雀へ変形し地を蹴る。闇に舞い上がった赤い痩躯。その左腕が装甲車の上面に向けられる。コクピットで素早く動く木津の指。そして衝撃波。
 「これでどうだ! どわっ!」
 改修され性能を上げられた衝撃波銃の最大出力を食らって台車が跳ね上がるようにひしゃげるのを見届ける間もなく、正面から銃弾を浴びせかけて来る上半身を朱雀は避けようとしてのけぞり、危うく仕留めたばかりの台車の上に仰向けに落ちかかりそうになる。
 「仁さん!」
 ハーフのまますれ違いざまに台車の足回りを撃って擱坐させた峰岡が声を上げる。その目の前を、安芸が狙撃した上半身の片腕が飛んでいく。
 朱雀は潰れた台車に後ろ手に手を突いて辛うじて上体を支えると、起き直って宙を舞う上半身に衝撃波銃を向ける。仕留めた台車は、電装系に障害を来したらしく、サーチライトの如く空に虚しく電光の帯を描いている。
 それをよぎり迫ってくる上半身に、ジャンプした結城の青龍が狙いを着ける。だが上半身の方が反応は早かった。青龍と同様腕に仕込んだ、だが実体弾を発射する銃が先に火を吹いた。朱雀と同じく、のけぞって避ける青龍。しかし木津と違って、結城は回避だけでは済ませなかった。のけぞったまま宙返りをうつと、青龍はその足で、行き過ぎようとする上半身の背中から肩口にかけて蹴りを食らわせたのだ。
 蹴られた上半身は前のめりにバランスを崩した。飛行の速度が落ちる。その隙を見落とさなかった結城は着地すると振り向きざまに衝撃波銃を撃った。収束率の上げられた衝撃波が上半身の肩を捉え、撃たれた上半身は墜ちながらもなお銃弾を巻き散らす。だがその抵抗も安芸の青龍に銃身を潰されて止んだ。
 木津は口笛を吹いた。
 「オーバーヘッドキックとはかっこいいじゃないか、結城さん」
 「まだ来ます!」安芸の声が飛ぶ。
 同時に短く砲声が響き、煌々と光っていた台車のライトが割られて消えた。
 再び、闇。
 次の瞬間、背後から炸裂音と爆風が。あおられた峰岡が声を上げる。
 「どこだ!」
 振り返る木津の目に、炎をバックにした峰岡のハーフの影がくっきりと見える。
 「峰さんまずい!」安芸が叫ぶ。「そこを離れて!」
 峰岡はスロットル・ペダルを踏み込む。それとほぼ同時に衝撃がコクピットを襲った。
 上半身が二つ、峰岡のハーフに左右から飛びかかったのだ。そして、片腕を失った上半身がハーフの右腕をつかみ、左腕はもう一体が両腕でがっしりと抱えていた。
 反射的にブレーキ・ペダルを踏む峰岡。
 右の片腕の奴がハーフの背中の方に回り込み、ハーフの右腕をねじあげる。峰岡の耳に軋みの音がわずかながら聞こえた。計器盤に警告灯の黄色い光が明滅する。戻そうとするハーフ.だが上半身は動かない。
 左に組み付いた奴が片方の腕でハーフの左腕を抱え込んだまま、もう片方の腕に仕込まれた銃の先を車輪に向けた。
 「やばい!」
 木津が衝撃波銃を左の奴に向ける。銃の仕込まれた奴の右腕は、峰岡のハーフの腕の陰になって見えない。トリガーに掛かりかけた指が一瞬躊躇する。が、次の瞬間奴の頭が衝撃波を受けて潰れた。
 「進ちゃんか!」
 撃たれたショックで上半身は抱きこんだハーフの腕を軸にぐるぐると回る。峰岡が左腕を後ろに振り、背後に回り込もうとしていたもう一つの上半身にそれをぶつけに行く。右の上半身が回避すべく前に出た。
 その時、炎に照らされて紫色に鈍く光る機体が空に躍り上がった。
 結城だった。
 その左足が正確に右の上半身の頭を蹴り飛ばした。その勢いで腕をつかんでいた手がほどけ、上半身は炎の方へ飛んでいく。青龍が出力と収束率を最大に上げて衝撃波をそこにぶち込む。上半身は胸の中央を衝撃波に射抜かれ、そのまま炎の中に転がっていった。
 着地して膝を突き、射撃体勢を取る結城の青龍を、上半身が搭載していた実体弾の炸薬が誘爆を起こす爆風が襲った。その横で峰岡のハーフが左腕の上半身を振り落とし、青龍に変形した。
 「残りは?」
 自分も朱雀に変形させながら木津が問う。上半身も装甲台車も共に姿を消していた。
 「今度こそ逃げたんでしょうか?」
 立ち上がりながら結城が言う。
 「まだ分かりませんね」と安芸。周囲に転がる残骸を数えながら、「あと二セット、ですか」
 その時、峰岡があっと声を上げた。
 「来たか?!」
 勢い込む木津が見ると、峰岡の青龍の指さす先は火勢の収まりかけた爆炎の下方、地面の所だった。そこに煙を上げながら転がっているものは、明らかに人間の姿をしていた。
 峰岡が青龍の腰から灰白色のカプセルを取り出し、炎に投げつけた。途端にカプセルは弾け、消火剤が周囲に舞った。
 峰岡と結城に警戒態勢を指示する安芸の声を聞きながら、仰向けになった体の脇で、朱雀がS−ZCに戻る。木津が降りてその体の横に屈み込む。
 「おい! 生きてるか?」
 まだかすかに煙の上がるスーツの前を開いてやる。浅い呼吸につれて動く胸から皮膚の焦げる臭いがわずかに立ちのぼり、木津は顔をしかめながらさらにヘルメットをはずしてやった。
 閉じられていた目が薄く開いた。と、その目は自分を見下ろす影に気付くと一転大きく
見開かれた。
 「気が付いたか?」
 唇が動いた。そして潰された喉から絞り出されるような、ほとんど聞き取れないような声がそこから漏れ出した。
 「き……さま……木津……」
 今度は木津の目が見開かれる番だった。両手で倒れた男の肩をつかんで揺する。
 「貴様ら、いや、『ホット』は俺と分かってて狙ったのか?! 何故?!」
 答えはない。代わりに安芸の声が無線から開け放ったドアを通って聞こえてきた。
 「仁さん! 残りが来ます!」
 「くそっ」
 立ち上がり、もう一度視線を男に投げると、木津はコクピットに飛び込んだ。ドアノブと変形レバーに同時に手をやる。
 立ち上がった朱雀は、単機で飛んでくる上半身を視界に捉えた。
 「単機?」
 が、そいつは木津たちに向かっては来ず、高度だけをひたすらに上げていく。
 三体の青龍は壁を背にした。
 男を足元に、朱雀は動かない。
 青龍の六つのライトが上空に長い光条を投げる。その果てにかすかに見える輪郭が、一転空気を切る異様な響きを伴って、急速に大きくなってくる。
 上半身が垂直降下を始めたのだ。
 青龍の三門の衝撃波銃が次々に放たれる。数発の直撃を受けても、しかし上半身は進路を変えることなく真逆様に突っ込んで来る。
 その先には朱雀が。
 仰向く朱雀の顔。目許に一瞬光が走る。左腕が真上に伸びる。
 上半身の腕はこちらを向いていない。撃たないつもりか。いや、何かを抱えている。
 左の指がスイッチに走る。右の指がトリガーを二度引いた。
 衝撃波が上半身の全体にまとわり付く。共鳴する薄い装甲。組まれた両腕がわずかに緩む。そこに突っ込んでいく最大に絞り込まれた第二波の衝撃波。
 衝撃波は上半身の頭の頂に突き刺さる。一瞬上半身は空中で止まったかに見えた。上半身は青龍の銃撃を受け、横に飛ばされて壁を越え廃工場の敷地内に墜落して行く。だが抱えられていた暗灰色の塊が両腕の間からずり落ち、そのまま真っ直ぐに落下する。
 「爆発物だ! 回避!」
 安芸の声に三体の青龍が揃って跳躍し、聳える壁の上を蹴って後退する。
 木津は朱雀の足元に横たわる男、自分の名を口走った男にもう一度視線を投げる。
 「仁さん早く!」
 木津は低くうなった。
 朱雀のボディがふっと小さく屈む。と、その姿はS−ZCの低いフォルムに変形し、後進。台車の残骸をすり抜けると、スピン・ターン。全速で離脱する。
 数秒後、後方モニターに熔けるような赤黒い炎が広がり、上半身の、台車の残骸と、そしてまだ生きていたあの男の体をも呑み込んでいった。
 

 最初に駐車場に滑り込んで来たS−RYのコクピットで、安芸がおやと声を上げた。
 「ディレクター、お帰りだったんですか」
 木津もウィンドウ越しに外へ視線を走らせる。駐車場の一番奥に穿たれた窓越しに、久我の姿が見えた。
 「夜更かしはお肌に毒よ」
 木津の軽口には返事をせず、久我は帰還する四台をじっと見つめている。
 木津は口を尖らせた。
 「ちょっとぐらい反応してくれたっていいのにさ、真寿美程とは言わんけど」
 レシーバーからは峰岡のけたたましい笑い声が聞こえてくる。
 三台のS−RYが、続いてS−ZCが駐車場の定位置に入って来、エンジンが次々に回転を止める。
 ドアが開き四人のドライバーが降り立つ。外されるヘルメット、現れる汗の流れる顔。中に一つだけヘルメットのない顔が。それを見た久我の目がわずかに見開かれる。が、それには何も触れず、久我はまず全員に労いの言葉をかけたが、いつもながらあまり実感のこもった声には聞こえなかった。
 整備士たちがVCDVに駆け寄り、走行記録ユニットを外しにかかる。一方久我は二〇分後に全員自分の執務室に集合するようにと命じて、足早にその場を後にする。
 

 午前一時三十五分、久我執務室に続く会議室。久我と阿久津、そして着替える必要の無かった木津がもう席に着いている所に、後の三人が連れ立って入ってきた。
 「遅くなりました」と結城。それを受けて久我が開始を宣する。
 「今回、私が直接指揮を取れない状況ではありましたが、何らの問題なく対応を完了できたことは喜ばしく思います」と、これもまたあまり実感のこもった表情をせずに久我。「それから今回結城さんが初めての出動でしたが、無事任務を完了された旨、当局に報告致します。このことは可変刑事捜索車両の当局導入にとって強い推進力となるでしょう」
 結城が照れたような微笑を浮かべる。その横で、久我にしては珍しくつまらないことを喋るな、と木津は思う。「そういう話ばっかり続くようなら、ぼちぼち寝かせてもらいたいんだがね。お肌が荒れちゃうからさ」
 表情のない一瞥を木津に投げると、久我は「それでは本題のディブリーフィングに入ります」と言った。
 走行記録の情報、各員の戦果が報告された後、話が相手の機体へと及んだが、ここからは阿久津の独壇場だった。
 「あの上半身だけってのは、例のホヴァ・クラフトの応用だろう。肩と裾のところに揚力装置と姿勢制御装置が入っとるんだろうな。だが、実体弾と発射装置を積んどるんじゃさぞかし重たかったろうて」
 「撹乱用って訳かい」と木津。
 「まあ役に立ってもそんなとこだろう。もっとも残骸がまともに改修できない状況だっちゅうんじゃ確かめようもないがな」
 話を引き取ったのは木津だった。
 「まさか残骸を焼却するとはな」口を切りながら、木津はあの地面をなめ回す真っ赤な舌のような炎を思い出していた。「今度の機体はそうまでしなきゃいけないような代物だったんかね?」
 「むしろ」久我が言う。「機体と言うよりは乗員の処理だったかも知れません」
 「つーことは、『ホット』はあの中にはいなかったってことだな。大将を焼き払うとは思えないしな」
 「そう言えば、木津さんが接触できた乗員がいましたね?」と結城が口を挟む。
 「別に忘れてた訳じゃないんだ。それどころか気持ち悪くてさ」
 「焼け焦げていたんですか?」
 結城の言葉に峰岡が思わず手で口許を覆う。
 「それもあったが、それだけじゃない」
 先を促すような久我の視線をちらりと見返すと、木津は続ける。「俺が朱雀に乗ってるのを知ってたような口振りだったんだ。知ってて俺を狙ってきたような」
 「『ホット』の目標が仁さん個人だと?」
 「そんな気がしてこないでもないぜ」
 「甲種手配対象者がですか?」怪訝そうな結城の声。「そのクラスの犯罪者が、個人レベルを動機に動くものでしょうか?」
 そこに聞こえたのは久我の言葉だった。
 「何が動機なのかは、まだつかめていません。個人的なものなのか、そうでないのか」
 「個人的なものかも知れないっていう可能性も否定しないんですね?」峰岡が言う。
 峰岡に顔を向けると、久我は言った。
 「予断は出来ません」
 「それでも気分悪いよな」腕を組み椅子に反り返って「名指しされるってのは」
 「木津さんはS−ZCでの出動も一再ならずありますね」と久我。「それに一度はS−ZCで自宅に戻られてもいます。その折りにマークされていても不思議はないでしょう」
 「それにレースに出てた時にも有名だったんでしょ?」峰岡が尋ねる。
 「んにゃ、じぇんじぇん」首を横に振る木津。「レースじゃ地味なもんだったぜ」
 と、木津の目元に少し影が落ちた。
 まさか……?
 

 

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