Chase 03 - 起動された朱雀

 
 空き缶、コップ、食器、雑誌、服。
 物の数そのものは少ない割に、妙に散らかって見える部屋。脱ぎ捨てられて、てんでに転がった靴の片方を押しのけながら、ドアがゆっくりと開く。
 入ってきたのはこの部屋の主、木津仁だった。
 木津は靴を蹴飛ばすように脱ぐ。右側がぽんと飛んで、踵の金具がドアに当たり、音を立てる。だがその主は気にも留めずに、テーブルの傍らまで来ると、腰を下ろした。
 抱えていたジャケットのポケットの中に片手を突っ込む。しばらくごそごそと動いていた手が出てきて、開かれると、そこには赤い線の入った銀色の小さなカード、S−ZCのメイン・キー・カードがあった。
 何事かを決心したかのような表情で手のひらの上のキーを見つめながら、木津はひとりごちる。
 「奴へのキー、か……」
 目を上げる。乱雑なテーブルの上に、何故かきれいに片付いた一角があり、そこに写真立てが一つ置いてあった。木津の視線はしばらくそこに注がれたままになる。
 五分もそうしていてから、俄かに木津は立ちあがる。
 「やってくるか」
 キーがテーブルの上に転がされ、代わりにその辺に放り出してあった鞄がつかみ上げられると、一見手当たり次第に服やら小物やらがその中に詰め込まれ、蓋が閉じられる。さっき写真立てを眺めていたよりも短いくらいの時間で。
 再び腰を下ろした木津は、火も着けないままくわえていた煙草を灰皿でもみ潰すと、また写真立てを見つめる。だが今度は間もなく立ちあがり、カード・キーと写真の前に転がっていた小さなキーホルダーとを手に取ると、言った。
 「行ってくるよ」
 

 メインの通りからは外れた、アパートの前の路上。今や木津に預けられたS−ZCがそこにあった。
 夕暮れの太陽のオレンジ色が、真紅のボディの微妙な曲面に反射して、例えようもない色合いを醸し出している。
 木津はふと我を忘れてそれに見入る。この車で切りぬけてきた、息の詰まるようなあの追撃戦が、まるで嘘のように思える光景。
 と、それを破ってかすれた男の大声が聞こえてくる。
 「よう、仁ちゃん!」
 振り向くと、道の反対側から顔なじみの飲み友達が近付いてきた。
 「カンちゃんか」
 「おう……おっ?車変えたんか?」
 「変えたっつーかね、まぁ借り物だな。あのポンコツをぶっ潰されたんでな、修理の間の代車だよ」
 「いい加減買い替えなってばさ。中古にしたってずっとましなタマはごろごろあるぜ」
 木津は肩をすくめるだけで答えない。
 「しかし、代車にしちゃあ、すげぇ車だよなぁ。国産じゃないだろ?」
 と、彼は車体の周りを眺めて回る。
 「純国産らしいぜ」と木津。
 「エンブレムも何も無しか。カスタムボディか? いい仕上げしてあるよなぁ」
 「あんまり見るなよ。穴が開くぜ」
 そう言いながら、木津はコクピットに身を滑らせる。
 「馬鹿言え……これからお出かけかい?」
 と付け足しのように尋ねながら、彼はコクピットの中までを覗き込む。
 いいのかよ、と木津は思う。こんな機密事項の塊みたいなものを、野次馬の目があっちこっちにある環境に出してやっても。どうも久我ディレクターも考えていることってのはよく分からん。
 「ああ、しばらく留守にするわ」
 「何だぃな、また」と彼は杯を干す仕草をしながら「行こうと思ってたのにさ」
 「悪いね」と言いながら木津はドアを閉じる。「またそのうち頼むわ」
 「行き先は?」
 「な・い・しょ」
 「長いの?」
 「それもな・い・しょ」
 マスター・キー・カードを差し込むと、シート、ハンドル等が自動的に木津のポジションに復帰する。
 スタータの赤ボタンを押すと、次の瞬間コールド・モーターはほとんど音もなく目を覚ます。
 「それじゃ」
 「おう、行ってらっしゃい」
 彼は走り去る赤いテールを、じっと見つめる。
 

 「ディレクター御自らがいらっしゃるとは……」
 と言いつつ迎えに出た白衣の研究員に、久我はこう応える。
 「私がスカウトした人材ですからね。で、どうですか、状況は?」
 「まあお掛けください」
 促された久我がチャートの散らばった作業テーブルの脇に腰掛ける間に、研究員はキャビネットから薄いバインダーを取り出す。
 「コーヒーは?」
 「いただきます」
 まだ正式ドキュメントではありませんが、と断りを入れてバインダーを久我に渡し、彼女がそのページを繰っている間、研究員はコーヒーをカップに注ぎながら話し始める。
 「今日の午前中までに基礎的な体力の測定は完了しています。判定は終了した部分から順次行ってきていますが、現在のところ、全般に予測値以上の結果が出てきています」
 「予測値はどのレベルに?」
 手渡されたコーヒーに口をつけてから、久我が尋ねる。
 「平均値の十五パーセントプラスで設定しましたが、さらにプラス十五から、項目によっては三十五という値が出ました」
 研究員はちょっと言葉を切って、自分のコーヒーを一口すすると、
 「並みの人間じゃないですね」
 久我は応えずにバインダーのページを繰り続け、目を離さずに
 「これからのスケジュールはどのようになっていますか?」と問う。
 研究員は別の資料を取り上げ、数ページをめくって読み上げる。
 「ええとですね、当初の計画から繰り上げる方向で変更が入っています。今日の午後はオフにしましたが、明日からVCDVの基本について座学を交えながら、シミュレータでのトレーニングに入ります」
 「あとどのくらいの時間で即戦力になりそうですか? あなたの予測で構いませんけれど」
 「正直言って、シミュレータをやってもらうまでは分かりませんね。でも、ディレクターの推薦の場合、峰岡君みたいなすばらしいケースもありましたからね。今回の木津氏は、峰岡君を数字の上では上回っていますし、相当早いのではないかと思います」
 久我は資料から目を離し、またコーヒーを口へ運んだ。何かへの渇きを癒すように。
 資料へと戻った久我の目が、すぐに止まった。と思うと、同じ個所を何度か繰り返して読んでいるようだ。
 「何かお気付きの点が?」
 問いかける研究員に、久我は顔を上げる。
 「これは……?」
 

 ドアにある表示は「在室」を示している。
 インタホンのマイクボタンを押しながら、
 「木津さん? 峰岡です」
 返事がない。
 「木津さーん? 峰岡ですー! お寝みですかー?」
 廊下を通りすがりにそれを見て笑う人間が数人。聞きとがめて振り向く峰岡。しかしお構いなしに、向き直り、三度目の挑戦。
 「き・づ・さーん!! み・ね・お・か・でーす!! いないんですかー?!」
 「なんじゃいな?」
 背後からのその声に驚いて、峰岡は飛びあがる。
 「きっきっきっ木津さん? なんでこっちから出てくるんですか?」
 木津は右手に持ったコップを見せながら
 「飲み物ぐらい買わせておくれよ。で、何か用?」
 「あ、えーとですね、午後はお休みだって聞いたので、お部屋の不便とかがないか伺おうと思いまして」
 「あるよ」と木津。「その在室センサー、壊れてる」
 部屋に入る木津の背後で、峰岡は「在室」の表示にパンチを食らわせる真似をする。
 「何してんの?」振り向いた木津が半ば吹き出しながら言う。「入ったら?」
 赤面した峰岡が部屋に入り、ドアが閉じると、ドアの表示が「不在」に変わった。
 

 ベッドに腰掛けてカップをあおる木津に、立ったままの峰岡が、
 「こんなお部屋しかご用意出来なくて、申し訳ありません」
 「何も研究所にホテル並みの設備なんか期待しちゃいないさ。まあ、とりあえず座ったら?」
 失礼します、と頭を下げて、デスクの椅子に峰岡は座り、さらに問いかける。
 「ドアのあれ以外に、何かご不便はありませんか?」
 「ま、とりあえずはね。聞きたいことは山ほどあるけど」
 そう言って木津はコップを空にする。
 「何でしょう?」と峰岡。
 「先ずは君の歳」
 ちょっと面食らったような顔をしながら、それでもうっかりと峰岡は答える。
 「二十二歳です」
 「マース1のドライバーはどの位やってるの?」
 「半年、かな?……ですね、はい」
 「たった半年であれだけこなせちゃうんだ。
すごいね」
 峰岡の照れ笑い。
 「で、やっぱり久我さん推薦で?」
 「推薦って言うのかな……ディレクターに乗ってみないかって言われたのはそうなんですけど」
 「ふぅん……そう言えば、何で青いのにマースなんだろう?」
 「え?」
 「マースって、マルス、つまり火星のことだろ? 赤のイメージがあるんだけどさ」
 「あ、そうなんですか?」
 「違うの?」
 峰岡は満面に笑みをたたえて、
 「はい、実は、あれはあたしの名前から取ってるんです」
 「名前?」
 「そうです、あたしの名前が真寿美ですから、それでマースって」
 呆気に取られた木津。
 「それって、誰のセンス?」
 「ディレクターです」
 「ディレクターっていうと、まさか……久我さん?」
 「はい、もちろん」笑いながら峰岡は付け足す。「だから、きっと木津さんならキッズ1とかですよ」
 「おいおい……しかしなぁ、あの冗談も言わなそうなおばさんが、そーゆーことするんだ」
 「おばさんって……」
 と言いかける峰岡の声を、鋭い電子音が掻き消す。
 「何?」
 と尋ねる木津は、峰岡の顔つきが変わったのに気付く。
 峰岡はその音の出てくる腰の小さなケースに手をやり、ボタンを押して音を止めると、
 「出動です。すみません、お話はまた後でお願いします」
 そして椅子を蹴るように立ちあがると、挨拶もそこそこに部屋を飛び出して行く。
 残された木津は、空のコップを弄びながらつぶやいた。
 「出動か……」
 

 ベンチでミネラル・ウォーターのボトルをラッパ飲みしていた木津が、口からボトルを離すと、
 「これはこれは、ディレクターのお出ましですか」
 近付いてきたのは久我だった。
 相変わらず表情の一つも変えないまま頭を下げてから、久我は問いかける。
 「シミュレータでのトレーニングはいかがですか?」
 「結構進んでる。人型の基礎編はもう修了させてもらったよ。手足があるから操作が面倒なのかと思ってたけど、そうでもないんだな」
 久我は向かいの壁際に立ったままで、軽くうなずく。
 「しかし、どうやると車の操作系がああいう人型の操作系に変わるもんかね? 本体の変形と同時に自動的に変わってくれるとは聞いたけど。計器はまだしも、ハンドルなんかは」
 「まだ変形のシミュレートはされていないんですね?」
 そう尋ねる久我の顔に、珍しく何やら表情らしいものが浮かんでいる。だが木津はそれに気付かずに答える。
 「人型と中間の操作をそれぞれ一通りマスターしてからって言われた。座学では教わったがね。まあ中間ももう少しでパスしそうな雰囲気ではあるらしけど。そう言えば、何でも中間の方が人型よりも操作が難しいんだとか言ってたな」
 「確かにWフォームは両方の操作が要求されるということはありますが、操作系はそれに対応してあるはずです。それほど複雑化してはいないと思います」
 「そうそう、Wフォームと言うんだっけ、あの中間型は。で、操作機構がある程度だとしても、それを使う人間の方が付いて来られるか……」
 木津はボトルを口へ運び、二口三口と水を喉へ流し込む。
 「……が問題だと言ってたな、トレーナーは。シミュレータじゃそんな感じはあんまりなかったがね」
 久我は左手に持っていた資料を抱きかかえるように持ちなおすと言う。
 「先日実際に見て頂いた通りです。実戦の場でも峰岡、安芸の両名は問題なく使いこなしていますから」
 「俺でも問題はないだろう、か」
 木津はボトルの残りを一気に開け、そして久我に尋ねる。
 「そう言えば、この前その峰岡さんが、俺のところに来たかと思ったら、出動だって呼び出されてすっ飛んで行ったっけね。あれは何だったんだ? また暴走車?」
 「いいえ、重作業車を使った破壊行為の牽制でした」
 「重作業車?」
 「襲われたのはモーター関連の工場でしたから、企業間の対立ではないかと当局は考えています」
 「派手にまた……」
 「そんなはずはないんですけれどね」と久我が付け加える。
 「え?」
 だがそれ以上を問う隙を与えずに、トレーナーが姿を現し、木津に声を掛ける。
 「木津さん! そろそろ再開しましょう」
 「了解、すぐ行く」
 それから久我の方に向き直ると、久我が一言。
 「現場に出られる日をお待ちしています」
 木津は肩をすくめて立ちあがった。
 宙を舞った空のボトルがごみ箱の中で品のない音を立てる。
 

 起動時の軽い唸りと共に、計器盤に乳白色や淡緑色の灯が点り、センサーやら何やらの補器類が取り付けられた木津のヘルメットのバイザーに反射する。
 そのヘルメットの中で、木津はトレーナーの声を聞いている。
 「……スタンバイよろしいか?……はい、それではコース・トレース行きます……レベルは2アップです……ではスタート。グッド・ラック」
 踏み応えのあまりないペダルを、木津は一気に踏み込む。
 シミュレータの合成する加速度が体にかかり、スクリーンの映し出す風景と路面とが流れ始める。
 間もなくスクリーンの中、木津の目の前に赤い円が現れ、加速し、高速でコースを進んでいく。
 木津はそれを追う。アクセルワーク、ハンドリング。
 時々不意にスクリーンのどこかに黄色い小さな円が現れる。それを目に留めるや否や、ハンドルを握る木津の指が動く。するとスクリーンの中、その黄色の円に向かって伸ばされた「腕」が現れ、次の瞬間黄色の円が青に変わる。
 「当たり」と木津はつぶやく。
 S−RYと同様、「腕」に衝撃波銃が仕込んである、という設定だ。
 だが赤い円は止まることなく、木津もさらにそれを追ってペダルを踏む。
 スクリーンに虎縞の四角。また木津の指が動き、スクリーンの「腕」が今度はそれをつかむ。
 続いて現れる同じく虎縞の、今度は台形。「腕」がそこへ伸ばされ、速度を落とすことなく、つかんだ四角をそこへ載せる。
 赤い円を追いながら、いくつもの黄色い射撃標的を撃ち、また虎縞の作業目標を動かしていく。
 と、突然赤い円が黒に変わる。
 フルブレーキング。左「腕」が正面に伸ばされる。衝撃波銃。
 黒い円が青に変わると、トレーナーの声がヘルメットの中に入ってくる。
 「はいOKです……カプセル開けます」
 スクリーンの映像が消え、計器類の灯が全て落ち、真っ暗になったシミュレータの中で木津はヘルメットをはずす。
 重い扉の開く音と共に、蛍光灯の光が差してくる。そしてトレーナーの顔。
 「お疲れ様です」
 「結果は?」と急くように木津が問う。
 トレーナーは指で丸印を作って見せる。
 「安定してますね。レベルを2つ上げたんですが、走行と姿勢制御は前回以上でした。動態射撃も、銃の収束率は上がってるのに、命中率は前回と変わらず。集弾率はむしろ上回ってるくらいです。ただ動態作業だけ、コーナリング中のマニュピレータのグリップが強めに出てますが」
 「コーナリングスピードが上がってるからな、やっぱり反射的にハンドルは強く握ってるか」
 「この辺はコントローラ側のアシスト調整でどうとでもなるレベルでしたから、問題はないでしょう……Wフォームのシミュレートも、これでパスですかね」
 木津は歯を見せる。
 「順調順調」
 「本当に」とトレーナーも笑う。「しかし、久我ディレクターもすごい目利きだなぁ。連れて来る人みんながこのレベルなんだから」
 「みんな?」
 「と言っても、あとは安芸君と峰岡さんの二人ですけどね」
 「へぇ、あの二人ともスカウト組なんだ」
 「所内でのスカウトですけどね。外部からは木津さんが始めてです。で、次は変形プロセスのトレーニングなんですが、これは実車を使ってやります」
 

 久し振りに見るS−ZCは、見慣れたRフォーム、即ち車型の姿で、その赤いボディを地下駐車場に横たえていた。
 そこは峰岡に案内されてS−ZCを引き渡されたのと同じ駐車場だったが、あの時は閉じられていたシャッター類が開かれている今は、単なる駐車場ではなく、むしろ格納庫然とした様相を呈している。横の奥には青いS−RYが、同じくRフォームで三台並んでいる。
 こうして近くで見ると、やはりS−ZCよりは一回り以上小さく見えるが、それだけに軽快な運動性能を想像させる。だが、こっちだってそれに劣るものではあるまい。この前の久我ディレクターの言葉を信じれば、性能はニ割増だという触れ込みだ。
 木津は自分の車へ振り返り、体をコクピットに滑り込ませる。挿入口から半ば飛び出したままにしてあるキー・カードを親指で押し込み、スタータの赤いボタンを押すと、計器盤に灯が点り、モーターが静かに回転を始める。同時にシートとハンドルの位置が木津のポジションに自動的に設定され、ベルトまでが自動でセットされる。
 コンソールに埋め込まれたナヴィゲーションの画面を開き、その周辺のスイッチを入れると、
 「こちら木津。準備完了」
 トレーナーの声が応じる。
 「全システムのロック解除は確認されていますか?」
 計器盤のランプがそれを示していた。
 「OKだ」
 「では、周回テストコースから中央のフィールドへ……いや、ちょっと待ってください……はい……はい、了解……木津さん、青龍が出動します。先に出しますのでそれまで待ってください」
 「青龍?」
 窓越しに振り返ると、間もなく峰岡と安芸が向こうから駆け下りて来て、S−RYの青い車体に飛び込む。
 「マース・チームか」
 「S−RYの」とトレーナーの声。「通称が青龍です。ディレクターはこの名前は使いたがりませんけどね」
 「なるほど」木津はコンソールのスイッチを操作しながら応える。「あのおばさんのセンスじゃないよな……よし来た」
 通信の音声が、件のおばさん、いや、久我のマース・チームへの指示を伝えてくる。
 「……区にて示威行為継続中とのこと。車両数は六。内三は重武装の様子。『ホット』の直接指揮によるものと思われます」
 「……『ホット』だと?」
 「了解」と、これは峰岡。「出ます!」
 その声と同時に、峰岡と安芸の二台のS−RY「青龍」が、木津の乗るS−ZCの横を走り抜けていく。
 そして次の瞬間、木津の足はスロットル・ペダルを思い切り踏み込んでいた。
 

 安芸は後方モニターに、近付いてくる赤い車体を認める。
 「あれは……S−ZC?」
 それとほぼ同時に、いつもに比べれば多少違うものの、それでも慌てているとは到底思わせない久我の声が。
 「木津さん、戻ってください。まだトレーニングは完了していないはずです」
 この声は、マース1の車内にも伝わっていた。
 「木津さんが?」と言う峰岡もまたモニターにS−ZCの存在を見る。そして操る木津の声が。
 「トレーニングだったら、一通りマルをもらったよ。後は変形と実戦訓練だけだ。それに、マースだって一人足りてないだろ? 補欠出動だよ」
 「しかし……」
 「あたしたちがフォローします」と峰岡が声を張り上げる。
 「そうこなくっちゃ! さすがマース・リーダー」
 久我はデスクに片肘を着き、片手で頭を抱えた。
 「で、『ホット』が出て来てるって?」
 「らしい、というレベルだそうですが」と安芸が応じる。
 「行って見りゃ分かる、か」
 そう言いながら、安芸の後を追って木津はハンドルを切る。
 長い直線コースへ躍り出すと三台は揃って急加速する。
 計器の色がグリーンからオレンジに変わり、高速時の操縦安定性を警告する。
 ややもすると安芸のS−RYを追い抜きそうになるS−ZCを、木津はつま先のわずかな動きで制御する。
 「コンタクトまであと二分……木津さん、慌てて前に出ないでくださいね」
 「はいはい、飛び入り参加者は現場まではおとなしくしてますよ」
 「インサイト!」
 峰岡の声に、木津は反射的にハンドルを切る。安芸のS−RYの陰からS−ZCが横様に飛び出す。
 見えた。小さな影が。それが加速をつけて大きくなり、武装車両の姿になる。
 「マース1」も車体を少し振って、すぐに元の位置に戻る。
 「ニ、三、一。多分中心に『ホット』をおいて、取り囲む形です」
 峰岡の言葉が終わらないうちに、砲声。
 散開する三台に追い討ちを掛けて、さらに二発。
 「なるほど、統制が取れてる」と急ハンドルを切りながら木津。
 「向こう側はあたしが押さえます」峰岡が言う。「マース3、キッズ1で挟撃」
 結局予告通りの「キッズ1」か。木津の苦笑いは、しかし口元を少し緩ませるだけで、その目はほとんど怒気を帯びてさえいるかのように、前方の武装車両の一隊に向けられている。
 その視線の上から、Mフォームに変形したマース1が、左腕の衝撃波銃を連射しながら降りて来る。
 銃の衝撃波は、一隊の進む先の路面に大きな破孔をいくつも開け、その向こうに着地しながら、青龍はWフォームに変形する。
 しかし一隊は、今まで相手にしてきた暴走車連中とは違っていた。峰岡の威嚇射撃には全く動じる風も、隊伍を崩すこともない。急停止すると、中央と両翼の三台が峰岡に向けて一斉射。
 峰岡は巧みにカーブを繰り返しながら急速後進をかけて回避する。
 一方木津と安芸も、二門の重砲の狙いをRフォームのままで撹乱しながら、相手の切り崩しのタイミングを伺っている。
 後進から前進に切り替えながら、マース3がWフォームに変形、重砲を積む二台の足と攻撃能力を奪うべく、左腕を伸ばして衝撃波銃を連射する。
 一見鈍重そうな二台はいとも平然とそれをかわす。
 だがそこにわずかな乱れが生じた。
 木津はその隙と、その奥の「ホット」のものらしき車体をすべる光の反射とを見逃さなかった。
 スロットル・ペダルが床まで踏み込まれる。後衛の二台の間に躍り込む木津。すれ違うと同時に、旋回を始めていた両脇の重砲が相次いでへし折れる。
 後方モニターの中には、安芸の青龍が膝を着いた姿勢で衝撃波銃の照準を付けている。
 だが木津はそれには目もくれない。
 「ホット」はホット・ユニット特有のエンジン音を響かせ、足元からは白煙を上げながら回避行動に移る。
 「逃がすか!」
 木津の手が変形セレクタのレバーを引いた。次の瞬間、木津を強烈なショックが襲う。
 S−ZCの赤い低い車体が、一瞬にして精悍な人型に姿を変えた。
 その姿を目にして、峰岡が声を漏らす。
 「これが……朱雀」
 「待て」と安芸。「何かおかしい」
 朱雀は赤いボディを仁王立ちにさせたまま、微動だにしようとしなかったのだ。
 武装軍団は狙いを動かない朱雀に変える。
 ニ体の青龍が走り、峰岡が叫んだ。
 「木津さん?!」
 

 

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