Chase 02 - 襲われた仁

 
 「この車です」
 薄暗い地下駐車場の中で、そう言って峰岡真寿美が指し示した先には、真紅の大柄な車体が静かに乗り手を待っていた。
 木津仁は高く口笛を鳴らした。その音が、コンクリートに囲まれた駐車場の空間に奇妙に反響する。
 「まっさら同然じゃないか、こりゃ。本当に、こんな結構な代物を貸してもらえるのかい?」
 「はい。お気に召しますかどうか、先ずは見てみてください」
 峰岡の勧めに従って、木津は車体の周りをぐるりと回って見る。
 「デザインは悪くないやね」
 「ありがとうございます」と峰岡。
 「この辺の色っぽいラインなんか、結構そそられるし」
 峰岡の口が少しへの字に曲がる。どうやら今の木津の台詞の助平っぽさが気に障ったらしい。その様子を見て木津はにやっと笑うと、ドアノブに手を掛ける。車体の割に小さ過ぎる位のドアが開き、木津は体をコクピットに滑り込ませる。
 「タイトだな。レーサー並みじゃないか」
 と、シートの調節をしながら木津が言う。ポジションを決めると次は計器周りへと眼をやる。
 「スタータは?」
 「キー・カードはここです。あ、もう入ってますね。スタートはこっちの赤いボタン」
 と指し示す峰岡の指の上から、木津はスタータのボタンを押す。
 「きゃ! 何するんですかぁ!」
 と峰岡は跳び退る。
 木津はその大袈裟な反応に笑いながら計器に視線を戻す。始動されたコールド・モーターのごくごく軽い唸りを伴って、計器類はそれぞれに機敏な反応を返す。スロットル・ペダルを軽くニ、三度あおり、その反応に木津は満足そうな表情を浮かべる。
 「どうですか?」
 戻って来た峰岡が、次の攻撃を警戒して、一歩距離をおいて尋ねる。
 「あとは実際に走ってみて、だな」
 「気に入って頂けるとうれしいです」
 「ほぉ?」
 「だって……」
 言いさして、峰岡はさっきされたいたずらを忘れたかのように微笑む。そして
 「それじゃ、早速走ってみてください」
 「はいよ」
 「よいお返事をお待ちしてます。もちろん一週間以内でも」
 ドアが閉じられる。窓の中から軽く敬礼をする木津に、峰岡は姿勢を正して答礼する。
 コールド・モーターの唸りがわずかに高くなったかと思うと、もう赤いボディは出口に向かって飛び出していた。
 

 ドアが開く。その向こうのデスクから久我涼子が顔を向けた。
 「木津さんをお見送りして来ました」
 「ご苦労様。木津さんは何かおっしゃっていた?」
 と、腰掛けるように促しながら久我はデスクから立つと、ソファの方へやって来た。
 「車の第一印象は、かなりよかったみたいです。デザインなんかは誉めてもらえましたし。表現がちょっといやらしかったけど」
 久我の口元がわずかに緩む。
 「コクピットがタイトだとかも言ってました。レーサーみたいだって。きっと乗ってたことがあるんですね」
 久我はそれには答えずに、自らも腰を下ろすと、
 「好印象を抱いてもらえただけでも、先ずは十分と言えるでしょう。走らせてみれば、彼の想像を遥かに超える性能にすぐに気付くはずです」
 峰岡が頷く。が、次には顔を真っ直ぐ久我の方に上げて問う。
 「でも、メンバーに入るかどうか、まだはっきりした返事ももらってないのに、どうしていきなりS−ZCを貸しちゃったりしたんですか? S−ZCはまだあの一台しかないんですよね?」
 久我の答えは、峰岡が思わずはっとするほどに確信に満ちた口調で言われた。
 「彼は来ます。必ず」
 

 ハンドルを握りながら、自分の顔が緩んでくるのが、木津にはどうしても止められなかった。
 時に緩く時に急激なコーナリングも、つま先の微妙な動きに反応するスロットルワークも、思った通りに、いやそれ以上に爽快に決まるのだ。さっき潰されたポンコツには望むべくもなかった走り、彼がやむを得ず遠ざかっていた走りが手中に戻ったのだ。
 「しかし」ふと木津は一人ごちる。「まさか、こいつをくれるってことはあるまいな。返事するまでの一週間もあれば、あのポンコツだって修理できるだろうし、それに今日の話を蹴っちまえば……」
 そこでやっと木津は、今日の本題だった話を、久我涼子の言葉を、峰岡真寿美の働きぶりを思い出した。久我涼子、あの女、俺を半分死んでるみたいに言ってやがったな。本当の命を生きていない、か。だがそれもあながち間違いとも言えない。「あのこと」以来レーサーを干され、果たせるとも思えない望みひとつだけを何となく持ち続け、それでいて何をするでもなく漫然と生きてきて……
 顔に浮かんでいた笑みは、いつしか消えていた。
 振り払うような急激なコーナリングにも正確について来た車体は、ルートC553へと躍り出す。
 両脇を流れる風景は、いつしか峰岡の「マース1」が武装暴走車の最初の二台を潰した場所のそれになっていた。大破した車両の残骸はあの時ここに残った「マース3」が片付けたのだろう、あの大捕物を思い出させるようなものとしては、わずかな破片と液体の染みが残るだけだった。
 しかし木津の脳裏には、そのシーンが異様なほど鮮明に蘇っていた。自分が今乗っているこれに比べて、幾分コンパクトな青いボディが、生き物のごとくなめらかに、すうっと連中の前に伸びていったのだった。そう、まるで龍か何かのように。単に車の性能が卓越しているだけじゃない。それを十二分に引き出し、使いこなせる乗り手なのだ、あのお茶くみ娘は。それを的確に見出したのだとしたら、あの久我涼子という女、なかなかの眼の持ち主だ。
 が、だとしたら、同じ女に招かれたこの俺は……?
 いつの間にか速度が落ちているのに気付いて、木津はスロットル・ペダルを踏み込みながら声を上げた。
 「さあて、どうしますかね仁ちゃん!」
 と、それに合わせるかのように、異常な、そして不快な騒音が轟いた。木津ははっとして反射的にペダルから足を浮かせ、計器に眼をやる。が、すぐに自分の車からではないことは分かった。
 横道から飛び出して来たのか、後方モニターに、さっきのような武装暴走車の集団が、数にしてさっきの倍以上捉えられていた。
 どうやら暴走車は、武装以外にもモーターやらボディやらに妙な細工をしてあって、そこからこんな馬鹿な音をさせるようにしているらしい。バリバリという金属を打ち合わせるような音、嵐の時に聞こえるような甲高い風切り音。
 木津は舌打ちする。あの連中のことだ、絡む相手は選ばないだろう。だがこっちの車は借り物だ。下手に傷でも付けられたらたまらない。いや、傷程度で済めばまだしも、スクラップにさえされかねない。
 スロットルがさらに開かれる。一気に速度計の表示が跳ね上がり、赤い車体が弾かれたように走り出す。
 それを追い抜いて、頭上から前方に飛んでいく、オレンジ色や黄色の切れ切れの光がフロントウィンドウから見える。
 「曳光弾?!」
 久我の言葉が脳裏に蘇る。
 「今のは威嚇です……しばらくはこの調子で遊んでくるでしょうね」
 木津のつま先はさらにペダルを踏み込み、真紅のボディはまるで膨張するかのように加速する。計器の表示が一斉に動き出す。
 一方それを追う暴走車は、エンジンの回転数を上げ速度を上げるにつれて一層騒音を高く轟かせ、さらに、追いたてるように、木津の車の頭越しに浴びせ掛ける曳光弾の数を増やしてくる。
 「よせっつーのに」
 木津はペダルを踏み込む。次の瞬間、木津の胃を強烈な加速度が襲う。
 「うぷっ」
 ウルトラ・エスプレッソが喉元にこみ上げてくるのを押さえながら、木津は後方モニターに眼をやる。
 長い直線の道路である。速度ののった木津と団子状態で走る暴走車群との距離は見る間に開いていく。やがて届く曳光弾もまばらになり、ついには後方モニターの中でぱらぱらと消えていくだけになった。
 表示の色がグリーンからオレンジに変わった計器と後方モニターとに交互に視線を走らせながら、木津はつぶやく。
 「何てぇ加速だ……このパワーの出方、フルチューンのレーサー以上じゃないか」
 また木津の頬が緩みかけるが、しかし酔ってにやけているだけの余裕はなかった。速度にのせて、今度は正面に、別働隊らしき武装暴走車の群がぐんぐんと迫ってきたからだ。
 再び曳光弾が、ただし今度は前から、さっきとは比較にならない勢いで頭上をかすめていく。
 「このっ!」
 木津の左足が、左手が、右手が、右足が、人間技とは思えない程の速度と正確さをもって操縦装置を操作し、車を脇の路地へ跳び込ませようとする。
 その時、木津の脳裏を峰岡真寿美の顔がかすめる。
 ブレーキを踏む足の動作がほんの一瞬だけ遅れた。
 横様にスライドしつつ、だが路地の入口をわずかに通り越して車は止まる。その直後、路地の奥から三つの火の玉が飛んで来て、路面で弾け、穴を空けた。
 重砲だ。
 さっきの「マース2」の時と同じやり口。
 また久我の声が蘇る。
 「今度は本気です」
 今度は本気だ、前にいる奴らも、後ろから来る連中も。
 木津のこめかみを冷たい汗が伝った。だが気を抜いている余裕はない。
 横からの砲撃の結果を期待してか、前の連中からの銃撃は止んでいる。
 急加速。九〇度転舵。元のコースを引き返す。
  思い出したかのように、後方からの銃撃が再び盛んになる。今度は車体を狙って。
 しかし幸いにも速度を見誤ってくれているらしい、銃弾はみな後ろの路面でばらばらと弾けていく。
 「抜け道はないか……ったく、あのお茶くみも、ナヴィゲーションのスイッチぐらい入れてよこしゃいいものを」
 と言いかけて、木津の視線が鋭くなる。かつてレースの場でそうしていたであろう風に。
 木津はまた峰岡の走りを思い出していた。
 「……これだけの車を貸してよこしたんだ。だったらやらせてもらおうじゃないか」
 後方モニター。道の真中に横に五台並んで追ってくる狂暴な面構えの暴走車ども。その後ろに少なくとも四台。建物との間は、車一台は通れないが少し空いている。
 木津の両手がそれぞれにすばやく動く。
 赤いボディが速度はそのままに、だがいきなり後進し、大きく蛇行する。
 追おうとする銃撃はたちまち乱れる。その中で木津は撃ってくる銃の数を見切る。
 一、二、二、一、一。
 彼我の距離は急速に縮まる。
 「おりゃあっ!」
 ハンドルを大きく切る木津。ボディの左半分が持ち上がり、車輪が建物の壁を捕える。
 さらにフルスロットル。斜めになったまま木津は暴走車の群とすれ違う。
 慌てふためいた暴走車どもは、動作だけは一斉に、だが照準はてんでばらばらに、銃口を木津に向けてぶっ放す。
 狙いのでたらめさのせいで、木津に近い側の二台は、向こう側の三台の放つ五門の銃撃をまともに食らって火を吹き、相次いで壁に激突する。後続の一台がそれを避けきれず、まともに突っ込んで擱坐する。
 その間に二列目の車の数と配置とを見て取りながら群の後ろへ抜けた木津は、車を壁から降ろすと前進に切り替え、間髪を入れずに二列目の前に躍り出し、目の前を横切って見せる。避けようとした一台の横っ腹に別の一台が突っ込む。巻き込まれるのを辛うじて避けた、重砲を積む一台の後ろに木津はぴたりと着ける。
 残り、四台。
 
 

 コーヒーのカップをデスクに置き、久我は手にしていた資料のバインダーを閉じた。その表紙には、丸秘のマークを伴い、「開発仕様・経過 S−ZC」のタイトルが読めた。
 そのバインダーをカップの脇に置き、もう一つの資料を久我は取り上げた。最初のページには、木津仁の写真とプロフィール。
 いや、残りは四台ではなかった。最初に振り切った十数台が、向こうから固まって、再び迫ってくる。
 「ちっ……そう言えばいたんだった」
 このままUターンすれば、難なく振り切ってしまえるだけの性能差なのは、さっきのことからも明らかだ。だが今は、木津の方にも火が着いてしまっていた。
 こっちの四台がこのまま回頭するとは、この速度ののり方ではまず考えられない、と木津は読む。とすれば、向こうの群れが隙間を空けて、四台を取り込むような形をとるつもりだろう。先ずはその位置とタイミングだ。
 距離が詰まる。木津はプレッシャーをかけるかのように車を左右に振りながら、前方の群れを伺う。
 向こうの群れは最前列に四台、その次が多分五台、さらにもう一列、少なくとも三台はいる。
 それが動きを見せる。二列目の中央の一台が後ろへ退がった。
 真ん中か。
 こっちの四台はダイヤモンド型の隊形をとってきた。
 向こうの四列は二列ずつ、わずかに左右に開き始める。間違いない。
 距離はあと数百メートル。
 向こうの中央が完全に開いた。
 木津はダイヤモンドの左へ飛び出し、一気に加速、ダイヤモンドの頭を抑え、斜めに向こうの列の隙間へ飛び込んでいく。
 群れは発砲してこない。行ける。
 先頭の列とすれ違うまで残りあと数十メートル。
 その時、三列目の中央二台がいきなり寄り、隙間を詰めた。
 見はられる木津の目。
 はめられた?!
 ブレーキ。
 後進へシフト。
 ハンドル。
 間に合うか?
 強烈な横Gが襲う。
 そしてすれ違う十数台の暴走車の上げる喧しく激しい轟音。
 その狭間で、それでも閉じられることのなかった木津の目には、自分の車体の流れていく先々で、武装暴走車の車体が次々に、まるで自分の通り道を空けるように弾け飛んでいくのが見えていた。
 さらに、群れが混乱するのを後方モニターに捉えると、木津は車を停め、そしてあらためて前方を見渡す。
 数百メートル先に、再びあの青い人型のメカが、左腕をこちらに伸ばして立っていた。
 「お茶くみ……か?」
 いや、その脚には小さく「B」のナンバリングが施されている。さっきお茶くみと一緒に出て行った、何とか言う男の方だ。
 と、後方でまた激突音が始まった。
 木津はモニターを覗き込む代わりに、車体ごと回頭させた。
 と、いきなり目の前に重砲の砲身が吹っ飛んでくる。
 「くっ!」
 急回避。砲身は車体からすれすれのところをかすめて後方に落ちる。
 木津が砲身の飛んで来た方へ目をやると、そこではもう一台の青が、こちらは例の半人半車の形で、暴走車どもを翻弄するように走りまた飛びまわっていた。
 「あのお茶くみ……またか!」
 飛び出そうとする木津のS−ZCの前に、「手」が現れる。いつの間にか、人型をした「マース3」が木津の横に出て来ていた。
 思わずそちらへ振り返る木津。その視線はそのまま釘付けになった。
 人型が、目にも止まらぬ速度で、車の姿に変化したのだ。
 目の前で見るその変形の様に、木津は言葉を失う。
 「な……?」
 と、横に並んだ青い車体のドライバーズ・シートから、ヘルメットの中の若い男の目がこちらに向く。そのヘルメットが軽く頷いて見せると、次の瞬間にはもう青い車体は猛然と暴走車の群れへと飛び込んでいく。
 武装暴走車どもは、あるものは壁にぶつかり、あるものは別の車と衝突して、もはやその半数以上が行動不能状態に陥っていた。
 それでもまだ、リーダー級か、腕のいい奴だろうか、二人の撹乱を巧みにすり抜け、機銃の弾丸をばらまいてくるのもいる。
 「マース3」が再び人型に変形。ジャンプ一番、正確な狙いで一台の銃身を撃ち、弾き飛ばすと、別の一台の上に馬乗りのように降り、「手」で銃身を捻じ曲げた。
 人型になっている時は「マース3」の方が使い手だな。エンジンは切らずに車を止めたまま、木津はそう思う。俺がもしここのメンバーになったら、この人型も動かすことになるんだろうか? 車ならまだしも、手足のある、ずっと操作のややこしいだろう人型を。そしてこんな派手な立ち回りをやらされるのか? 久我涼子、俺にそこまで出来るとでも踏んだのか?
 また衝突音。暴走車の残りはとうとう二台にまでなった。だがそのうち一台は重砲を担いでいる。
 と、重砲を積んだ方が、木津めがけて急加速してくる。
 しまった!
 ブレーキを解除。が、次の瞬間、木津の目は、砲口から自分へと吐き出される火の玉を見ていた。
 叫ぶ木津。
 後進シフト、スロットル、ハンドル。
 火の玉は、しかし追って来ない。
 代わりに木津が見たのは、吹き飛ばされ舞い上がる「マース1」の右手だった。
 「お茶くみ?!」
 「マース1」は、残った左手で暴走車にしがみつくと、馬乗りになり、左腕に仕込んだ銃を至近距離で重砲の砲身に叩き込んだ。
 さらに、向こうで残る別の一台を足止めした「マース3」が、今度もまた正確な狙いで、こちらの後輪を左右とも弾き飛ばして擱坐させた。
 その時、木津は背後に、かすかにエンジン音を聞いた。聞き覚えのあるホット・モーターの爆音を。
 木津は振り返った。しかし既に何の姿形も認めることは出来なかった。
 その代わり、人型の「マース1」が擱坐した暴走車から飛び降り、半人半車に変形して木津の横へ付けた。
 窓が開き、ヘルメットをかなぐり捨てた峰岡真寿美があの弾けた声で呼びかける。
 「木津さん! 大丈夫ですか?!」
 

 木津は、数時間前に後にしたばかりのLOVEのディレクター・ルームのソファに、久我涼子の前に戻っていた。
 久我の横には、また峰岡真寿美が、今は事務服に着替えて座っている。
 出されたミネラル・ウォーターを一息に呷り、木津は言葉を待った。
 久我が口を切る。
 「車両を無傷のまま守ってくださって、本当にありがとうございます」
 「車を守ったわけじゃない」
 素っ気無く木津は答える。
 「存じ上げています。ただ結果的には守ってくださったのと同じことです」
 木津は肩をすくめて尋ねる。
 「それじゃ、えっと……何だっけ」と、峰岡の胸を覗き込み、「そう、峰岡さんか、峰岡さんともう一人が出て来たのも、車を守るためか?」
 「そんな……」
 と言いかけた峰岡を制して、久我が答える。
 「それは正確ではありません」
 「ほう?」
 「私たちの今回の出動は、前回同様に当局からの要請を受けてのものです。ただ今回は要請自体が相当遅れて発せられました。その原因の半ばは、実は私たち、いえ、私にありました。あなたにS−ZCをお貸ししたことがそれです。S−ZCをあなたが使いこなして、暴走車両群を翻弄していたのを、私たちのスタッフが出ていたものと当局が勘違いしたらしいのです。それ故にあなたを危険な状況に置く結果となってしまった、それについては深くお詫び申し上げます。しかし、私たちが要請とは別に目的としていたのは、木津さん、あなたの救出でした。S−ZCを乗りこなせる、あなたの」
 「何故、乗りこなせると断言できる?」
 「あなた自身が先程の追撃でそれを証明してくださっています」
 「俺が乗ったのは、車の状態だけだ。人型とか、半分だけ人型だったりするのまでは分からないだろう」
 久我の口調が少し遅くなった。
 「それは、これからです。あなたがスタッフに加わって頂けてからのことです。その折には……」
 そこへインタホンから男の声が割り込む。
 「安芸です。遅くなりました」
 ドアが開き、これも事務服姿の、やはり二十代前半と見える若い男が、バインダーを片手に入って来た。そして腰掛けている木津に気付くと、ふかぶかと頭を下げた。
 木津はその目に見覚えがあった。さっき、「マース3」で、ヘルメットの中から自分を見た目だ。
 「こちらは」と久我。「安芸進士です。峰岡と同じマース・チームのドライバーです」
 「よろしくお願いします」
 と言う安芸の口調は、もう木津がチームに加わったかのようだった。
 久我に促され、安芸は横の椅子に腰掛けると、バインダーを開いて久我の前に差し出して、言った。
 「今の出動の報告と、S−ZCの走行記録です。どちらから?」
 「記録を取ってたのか?」
 木津の問いに、簡単に肯定の答えをしたのは久我だった。そして安芸には報告を先にと指示する。
 安芸の報告は、木津自身のくぐり抜けてきたあの場の再現だった。ただ、木津はそこで初めて自分が相手をした暴走車の正確な数を知って、あらためて冷や汗のにじむ思いをした。安芸は続けて彼我の被害状況を告げる。
 「二十一台の内、『マース1』の撹乱による衝突あるいは激突大破六、同じく『マース1』の銃撃による擱坐一、『マース3』の撹乱による大破五、狙撃擱坐四、木津さんの撹乱による誤撃炎上二、衝突大破三。乗員は全員拘束し、当局へ引き渡し済みです。こちらの損害は『マース1』が重砲により右手部を破損の小破ですが、変形機能に支障を来しています。以上です。今回も『ホット』の介在は……」
 「あった」
 木津の声に、三人が三人とも顔を上げる。
 「聞こえたんだ。あの排気音が」
 久我が珍しく返事をしなかった。
 「あんたたちは、『ホット』を追ってるんだな。そうだろう?」
 「厳密に言うと少し違います。それだけが任務ではありませんから。ただ」
 そこで久我は言葉を切った。
 「あなたが『ホット』を追うために私たちのチームに参加してくださるとおっしゃるのであれば、それでも結構です。出動の全てが全て『ホット』に関係するものではないでしょうけれど。それに、そのための道具を、私たちから提供することが出来ます」
 「道具……あの車か?」
 久我はそれには応えずに、もう一部の資料、S−ZCの走行記録を開いた。三人が一斉に覗き込んだが、木津にはわけが分からないチャートが並んでいるだけだった。しかし峰岡も安芸も、チャートを一目見ただけで感嘆の声を上げた。
 「先程お乗り頂いたS−ZCの走行記録です」と、これは淡々と久我。「マースで使用しているS−RYに対して、全般的に約二十パーセントの性能向上を施しています。が、あなたはそれをほぼ使いこなしてしまっている。それどころか、なお改修の余地があることさえ明らかにされました。データにはそう出ています」
 「と言ったって」木津が口を挟む。「さっきも言ったけど、車として扱う時だろ? あれだって実は変形するんじゃないのか?」
 「その通りです。先程も申し上げました通り、これからトレーニングは必要ですが、あなたならきっと使いこなせるでしょう。今回の件で、S−ZCはあなたによって最初の生命を吹き込まれたに等しいのです」
 木津は少し照れ臭そうに肩をすくめる。この女からこんな台詞を聞くとは思わなかったのだ。
 久我は言葉を続けた。
 「そして木津さん、私たちに協力してくださることは、あなたご自身にとっても、一種のカンフルとなるでしょう」
 「あんたの言う、生きてない命への、か?」
 「そうです」
 木津はまた肩をすくめる。ただしさっきとは別の理由で。
 「能書きは抜きにしよう。もっとシビアな話でも俺は構わんぜ。あんたは車を提供して俺の腕を買う、俺は俺であんたたちの片棒担ぎながら『ホット』を追わせてもらう。そういうことだろう? 俺にも出来ると言うお墨付きも貰えるようだしな」
 峰岡の視線が木津の顔へと移される。心持ち不安そうな表情を浮かべて。
 それとは対照的に、微笑らしきものさえ浮かべて久我は応える。
 「それで結構です」
 この部屋に入って来て初めて、木津は頬を緩めた。
 「決まりだな。実を言うと、俺もあの車を今回限りで手放すのは、どうにも惜しかったもんで……」
 「やったぁ!」
 峰岡の弾けた声が一層弾け、それを聞いた木津と安芸が顔を見合わせて笑う。制するような口調で久我が、
 「峰岡、あなたには木津さんの参加の準備をお願いします。今日は残業になるけど、いいわね?」
 返事もそこそこに、峰岡は部屋を飛び出して行く。出掛けにまた首の抜けそうなお辞儀をして。
 それを見ながら久我はつと立ち上がると、デスクへ戻り、引き出しから小さなケースを持って来る。ケースから取り出されたのは、銀色の地に赤い線の入ったキー・カードだった。一目見て安芸がつぶやく。
 「メイン・キー・カードか……」
 久我はカードを木津の前に差し出して、言った。その語調は、木津にとっては今までに聞き覚えのない強さを帯びていた。
 「木津さん、S−ZCは、あなたにお預けします」
 

 

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