萬葉の小径
たまプラーザ駅での友人との待ち合わせは、互いの迂闊さから行き違いになってしまった。腹を立てても仕様がない。わが身の愚かさ、軽率さを自嘲するのみ。こんなときばかりは、嫌って持たない携帯電話があったらなぁ、という思いがチラリ頭のすみをかすめる。
思いがけず時間ができた。どうするか。デパートへ行って不要なものを買う無駄は避けたい、しかしこのまま帰宅するのも芸のないはなし。
そんなときのためにはきわめつけ、格好のお散歩スポットがある。とっておきのところを紹介しよう。草花や庭木に興味のある方なら、腹立ちやイライラの解消、まちがいなし!
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もののふの八十をとめらが汲みまがふ
寺井のうへのかたかごの花 ――大伴家持
道の辺の尾花がしたの思草
いまさらになど物が思はむ ――山上憶良
春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ
野をなつかしみ一夜寝にける ――山部赤人
夏の野の茂みに咲ける姫百合の
知らえぬ恋は苦しきものぞ ――坂上郎女
石(いわ)はしる垂水(たるみ)の上のさ蕨の
萌え出ずる春になりにけるかも ――志貴皇子
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唐突ながら、ご存知、萬葉集の秀歌である。最初の歌の「かたかご」はカタクリ(ユリ科)のことであり、二番めの歌の「思草」はナンバンギセル(ウリ科)のこと。このように、萬葉集にあらわれた花や草や木(萬葉植物)は160種ほどだということだが、そのうちの150種を植栽しているところが近くにあるのをご存知でしょうか。國學院大学たまプラーザキャンパスの「萬葉の小径」である。この時節はまだ緑が萌えず、常緑樹以外は色を失って殺風景だが、さくらの花が散り落ちたころからは、萬葉植物の多彩な息吹きにふれることができる。一つひとつに丁寧な表示板があり、それぞれの植物を詠んだ歌がみごとな筆文字でしるされて建ててある。一度でも萬葉集をかじったことのある人なら、たまらないところのはず。
國學院大學たまプラーザキャンパスは東急田園都市線たまプラーザ駅南口から徒歩で約5分。正門を入るとすぐ正面に雙林(サラソウジュ)が目に飛び込んでくる。その左手が「萬葉の小径@」で、ここには主として小型の植物が集められている。まゆみ、はじ、思草(ナンバンギセル)、ねぶ、すすき(尾花)、をみなへし(女郎花)、つる日日草、ぎぼうし、野いちご、わすれな草(ノカンゾウ)、蓮、あやめぐさ、よもぎ、芹子(せり)、かきつばた、なでしこ、ぬばたま、鶏冠草(ケイトウ)、蕨、蒜(ノビル)、葵、くしみち(ニラ)、…などなど。
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わが園に梅の花散る ひさかたの
天より雪の流れ来るかも ――大伴旅人
引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ
衣にほはせ旅のしるしに ――長奥麻呂
磯のうえに生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど
見すべき君がありと言はなくに ――大伯皇女
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つぎに、もう一度正門を出て左、キャンパスの周縁道路へ。ここが「萬葉の小径A」で、歩道に沿って左右に中型、大型の萬葉植物が見られる。ざっと挙げると、せんだん、ひさき、あおぎり(梧桐)、あじさい、ふじばかま、キンモクセイ、柘(つみ、つげ)、チサ(エゴノキ)、萩、柳、柏、ユズリハ、カラタチ、うのはな、春蘭、芙蓉、つまま(タブノキ)、楓、櫻、れんぎょう、なつめ、山茶花、ざくろ、…などなど。四季折々の楽しみと魅力がある。千数百年前の日本を生きた萬葉びとの思いと生活を偲びつつ小径をみやびな気分でゆっくり歩けば、心のふるさとに安らぐような心地がしてこようというもの。
キャンパスの外縁づたいの萬葉植物を楽しんだら、さらにもうちょっと先まで行ってみたい。南門をすぎた左手に緑地地域の入り口がある。駐車場かなと思いそうだが、右に樒(しきみ)、左に月桂樹を見ての入り口で、ふだんは金網の扉が半開きになっていて、市民に開放している。ここは、桜並木のむこうに広いグラウンドを見下ろす傾斜地で、ここでも覚えようとしても覚えきれないさまざまな植物が表情ゆたかに、心疲れ心汚れたわたしたちを迎えてくれる。
――SUGANO
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