ぶらりすすき野


散策のつれづれ、買い物の途中などに出会った、
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牛込の獅子舞
萬葉の小径
バラがむすぶ小径
保木薬師の縁起を探る
世界の名画がやってきた!
ヒマラヤの青いケシ


牛込の獅子舞
 もう数年前のことになる。あざみ野1丁目の神明社の秋の例祭で,悪疫災禍を払い五穀成就を祈念する獅子舞が奉納されるというニュースをタウン紙の片隅の記事で知って,夕方,行ってみた。約200年の伝統をもち,横浜市の無形文化財に指定されているものという。一人立ち三頭獅子舞のめずらしい形をもつ「牛込獅子舞」。獅子と幣(はい)負いはかならず氏子中の長男がつとめる習わしとか。毎年,10月10日おこなわれている祭礼。
 花笠をかぶりあでやかに女装している大万灯持ちが一人,小万灯持ちが二人。それにササラ摺りの二人も小学4,5年生くらいの男の子。獅子頭は,おのおの剣角と巻角をもつ二体の雄獅子と宝珠を戴く雌獅子の三体。裁着(たつき),白足袋,わらじ履きのいでたちで,胸に抱えた締め太鼓をばちで打ちながらゆったりと舞う。赤い布が獅子の顎の両側から垂れて舞人の顔を隠しているが,動きのなかでその布はひらりと揺れ,ときどきまだ幼さを残す子どもの横顔がのぞく。獅子頭につけられた髪は東天紅の羽毛とか。豪華だ。

 彼らのほかはおとなたちで,ホラ貝ふきの3人,笛役が10人前後,歌上げ役が7〜8人。最後に「わが国で,わが国で,雨が降るげで,雲が立つ,おいとま申して,いざ帰られる」と歌いあげて,祭神への舞いの奉納を終わる。きわめてていねいに挨拶の礼を重ね,あとはホラ貝ふきを先頭に,行列をつくって町へくりだす。
 舞いそのものはごくシンプルなもの。土の上のものを拾うかのように,ほとんどは,下に身をかがめては上に跳ねあがるという動きの繰り返し。率直に云うなら,締め太鼓の音にはキレがないし,舞いの流れも生気に乏しい。モダンな家屋にはさまれた,ふだんは顧みられることもない,小さい貧相しい神社。例祭といっても見にくる人は多くなく,血の沸き立つあの祭り特有の雰囲気はない。わたしの目にどうにも見栄えのしないものに見えたのは,花巻の賢治祭で数回見た鹿踊(ししおどり)や,阿蘇山麓,久住の菅原部落に伝わる勇壮な暴れ獅子の舞いの印象がわたしの中に焼き付いていたからかもしれない。
 
 しかし,考えてみれば,舞いを演じている子どもたちにしてみれば,五穀豊穣祈願といっても,稲の穂など見たこともない,ましてや粟や稗なんて想像することもできないというに近いだろう。また,厄病払いといっても,医療技術が飛躍的に向上したこのごろ,チフスやコレラといった恐ろしい悪疫の実感はないにちがいない。飢饉の心配も洪水の恐ろしさも知らない。至便なマンションでの生活に慣れ,それ以外の暮らしなど知るよしもないこの世代の子どもたちに,おとながいくらこの神事のわけを説いて聞かせても,一定の理解に導くまでには絶望的に長い時間と辛抱が必要なのかも知れない。事実,舞いを終えて赤い布を払ったときにあらわれた子どもらの顔は,汗のつぶをいっぱいに浮かべながら,ほっそりと蒼白く,いかにも都会っ子のもの。人びとに代わって神と対座し,住民みんなの安寧を祈願した誇りも自覚もなく,むしろ時代錯誤の異様ないでたちを人前に恥じているかのようにさえ見えた。
 
 都会の祭礼は人びとの心から離れ,年々衰微の道を降りていくのだろう。何のための祭り,何のための獅子舞かが,もう少しすると,だれにもわからなくなっていくのだろう。それを惜しむのは,勝手な,ただの感傷か。
  
 ものずきというか,前日につづいてもう一度,新石川1丁目の驚神社に牛込獅子舞を見に行った。あざみ野駅のむこうだ。こちらは旧元石川の鎮守で,神社のまわりには木々も深く,ちょっと神域の雰囲気も漂う。狭い参道の両脇に各種の出店がぎっしり起ち並び,たいへんな賑わいを見せて祭り気分がギンギンにみなぎっている。獅子舞には幾重もの人垣ができ,舞いも笛も歌上げのほうも格段に気合いが入って盛り上がりを見せていた。
 そこは,百段を越す石段を登り詰めた本殿前の広場。獅子三体と幣(はい)負いが長い時間にわたって舞いつづける。どういうことを意味する舞いなのかと,保存会の人に訊いてみた。それによると,雌獅子をめぐって2ひきの雄獅子が争う。争いはいつまでもつづいて止まない。それを幣負いがあいだに入って宥めたり導いたり,あるいは「もどき」(日本の芸能において,主役を揶揄したり模倣したりして滑稽を演じる役のこと。道化役の一種)となっていっしょに舞うという展開なのだそうだ。ただし,わたしの見たのは後半の一部にすぎず,前半ではもっと宗教色が濃く出ていて,神への奉納の舞いを印象づけるものだったらしい。
 
 獅子舞では幣負いの誘導がたいへん重要とされているとか。この幣負い,本来なら,天狗の面に似たかぶりものをつけて舞うところなのだが,いまはそのかぶりものが壊れてしまって,つけないまま踊っているのだという。相撲の軍配に似た小さめの四角いもの(御幣)を手にして,それをひらひらさせながら獅子たちのあいだを立ちまわって,怒りを宥めたり説得したりする役まわりといったところ。
 ついでに,ひとつ。風儀ただしい,どこか気韻のある白髪の老人がわたしに語ってくれたところによると,この神社の名に冠せられている「驚」は,もともとは「馬」と「敬」のふたつの漢字を合成したものとか。なるほど,わたしたちがいま住んでいる横浜・青葉区は,遠い奈良時代,平安時代は「武蔵国都筑郡」の一部で,“石川の牧”と呼ぶ広大な御料牧場があったところ。朝廷に献上する馬をつくっていて,馬が大事にされていた人びとの習わしが偲ばれる。
 
 前日と同様,ホラ貝の音を合図に舞いは止む。祭神に向かって礼を繰り返したあと,ホラ貝に導かれながら,大万灯持ち,小万灯持ち,ササラ子,笛方,獅子たち,といった順で列をなし,ゆったりと参道を降っていく。この日,改めてこの牛込の獅子舞を見たわけだが,前日とはかなり違う印象を受けた。どうしてどうして,なかなか華美だし,動きにも優雅さがにじみ出ていることを知った。神域をひとつ出れば,そこはもう新建材の家がぎっしり建ちならぶ新興の田園都市。そんなところにこういうゆかしい風趣が残っていることにホッとする。いつまでこの神事がつづいていくのか,それはわからないが,この時代に,身近にこうした民俗芸能に出会えたことの幸せを思った。
sugano


萬葉の小径

 たまプラーザ駅での友人との待ち合わせは、互いの迂闊さから行き違いになってしまった。腹を立てても仕様がない。わが身の愚かさ、軽率さを自嘲するのみ。こんなときばかりは、嫌って持たない携帯電話があったらなぁ、という思いがチラリ頭のすみをかすめる。

 思いがけず時間ができた。どうするか。デパートへ行って不要なものを買う無駄は避けたい、しかしこのまま帰宅するのも芸のないはなし。

 そんなときのためにはきわめつけ、格好のお散歩スポットがある。とっておきのところを紹介しよう。草花や庭木に興味のある方なら、腹立ちやイライラの解消、まちがいなし!

          ◇

  もののふの八十をとめらが汲みまがふ

     寺井のうへのかたかごの花    ――大伴家持

  道の辺の尾花がしたの思草

     いまさらになど物が思はむ    ――山上憶良

  春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ

     野をなつかしみ一夜寝にける   ――山部赤人

  夏の野の茂みに咲ける姫百合の

     知らえぬ恋は苦しきものぞ    ――坂上郎女

  石(いわ)はしる垂水(たるみ)の上のさ蕨の

     萌え出ずる春になりにけるかも  ――志貴皇子

          ◇

 唐突ながら、ご存知、萬葉集の秀歌である。最初の歌の「かたかご」はカタクリ(ユリ科)のことであり、二番めの歌の「思草」はナンバンギセル(ウリ科)のこと。このように、萬葉集にあらわれた花や草や木(萬葉植物)は160種ほどだということだが、そのうちの150種を植栽しているところが近くにあるのをご存知でしょうか。國學院大学たまプラーザキャンパスの「萬葉の小径」である。この時節はまだ緑が萌えず、常緑樹以外は色を失って殺風景だが、さくらの花が散り落ちたころからは、萬葉植物の多彩な息吹きにふれることができる。一つひとつに丁寧な表示板があり、それぞれの植物を詠んだ歌がみごとな筆文字でしるされて建ててある。一度でも萬葉集をかじったことのある人なら、たまらないところのはず。

 國學院大學たまプラーザキャンパスは東急田園都市線たまプラーザ駅南口から徒歩で約5分。正門を入るとすぐ正面に雙林(サラソウジュ)が目に飛び込んでくる。その左手が「萬葉の小径@」で、ここには主として小型の植物が集められている。まゆみ、はじ、思草(ナンバンギセル)、ねぶ、すすき(尾花)、をみなへし(女郎花)、つる日日草、ぎぼうし、野いちご、わすれな草(ノカンゾウ)、蓮、あやめぐさ、よもぎ、芹子(せり)、かきつばた、なでしこ、ぬばたま、鶏冠草(ケイトウ)、蕨、蒜(ノビル)、葵、くしみち(ニラ)、…などなど。

          ◇

  わが園に梅の花散る ひさかたの

      天より雪の流れ来るかも    ――大伴旅人

  引馬野(ひくまの)ににほふ榛原(はりはら)入り乱れ

      衣にほはせ旅のしるしに    ――長奥麻呂

  磯のうえに生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど

      見すべき君がありと言はなくに ――大伯皇女

          ◇

 つぎに、もう一度正門を出て左、キャンパスの周縁道路へ。ここが「萬葉の小径A」で、歩道に沿って左右に中型、大型の萬葉植物が見られる。ざっと挙げると、せんだん、ひさき、あおぎり(梧桐)、あじさい、ふじばかま、キンモクセイ、柘(つみ、つげ)、チサ(エゴノキ)、萩、柳、柏、ユズリハ、カラタチ、うのはな、春蘭、芙蓉、つまま(タブノキ)、楓、櫻、れんぎょう、なつめ、山茶花、ざくろ、…などなど。四季折々の楽しみと魅力がある。千数百年前の日本を生きた萬葉びとの思いと生活を偲びつつ小径をみやびな気分でゆっくり歩けば、心のふるさとに安らぐような心地がしてこようというもの。

 キャンパスの外縁づたいの萬葉植物を楽しんだら、さらにもうちょっと先まで行ってみたい。南門をすぎた左手に緑地地域の入り口がある。駐車場かなと思いそうだが、右に樒(しきみ)、左に月桂樹を見ての入り口で、ふだんは金網の扉が半開きになっていて、市民に開放している。ここは、桜並木のむこうに広いグラウンドを見下ろす傾斜地で、ここでも覚えようとしても覚えきれないさまざまな植物が表情ゆたかに、心疲れ心汚れたわたしたちを迎えてくれる。

                        ――SUGANO