彼が優れていたこと、それは現実を冷静に見て、自分が被告なのにまるで公平な裁判官のように判断を下し、行動できることだった、私はそう思います。人は自分が望む現実は受け入れるけれど、見たくない現実は見ない、という根源的な性質を持っています。家康は自分を超越したところで現実を見れる人だったのではないでしょうか。
これは、司馬遼太郎が言っている功と罪です。確かに、現代のナショナリストと言われるような人たちが言っている日本人の良さ、というのは全部ではないですが、その多くは江戸時代に形成されたもので、幕府が主として武士を統治するために普及させた思想のように思います。
戦国時代までの日本人というのは、今よりはグロバールに通用するセンスを持っていたかもしれません。もちろん、当時の世界の価値観で、という意味ですが。
私なりのまとめです。イタリアの高校の教科書に書いてあるリーダーに求められる資質を,カエサルほどではないかもしれませんが、満足していたといってよいのではないでしょうか。
5年前に書いたレポートを改めて見直してみて思ったのは、司馬遼太郎にどっぷりハマっているな、です。彼は作家であって、歴史家ではありませんが、史実をふまえてその隙間を埋めていき、素人でもわかりやすい物語に再構成してしまうのがとても上手です。同じような手法を使っているのが、「ローマ人の物語」の塩野七生さんです。彼女は随所で、「頭の固い歴史家は認めないけど、私はこうだと思う」と繰り返し、そのどれもが抵抗なくピタっとおさまるシナリオなのです。
ふたりとも、歴史事実を無視しているわけではなく、事実をふまえてその当時の人間たちが何を考え、何をしようとしたのかを組み立てているので、とても説得力があります。
歴史家がコツコツと実証的な研究をすることとともに、こうした作家の方々の著作も歴史を理解する上でとても役に立ちます。