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ドラマ「百合子さんの絵本」感想


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 「北欧文学の訳者10選 4 小野寺信・百合子」でも紹介した小野寺夫妻のスウェーデンでの諜報活動がNHKの終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本 〜陸軍武官・小野寺夫婦の戦争〜」として放送されました。

 初回放送:2016年7月30日(土) 夜9時  総合
 出演:薬師丸ひろ子(小野寺百合子)、香川照之(小野寺信)
 作:池端俊策  原案:岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電』 音楽:千住 明
 公式サイト http://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=3711
 スタッフブログ(こぼれ話や後日譚) http://www.nhk.or.jp/drama-blog/5000/

役者の演技や時代考証、話の構成がしっかりしたすばらしいドラマでした。「中立国=諜報活動の場」というスウェーデンの側面に光を当てていただいたことも嬉しかったです。以下、スウェーデン文学者として同作を鑑賞した感想です。

<良かった点1と残念だった点1 スウェーデン語>
 ストックホルムでの使用人との会話、電話に出るとき、ドイツ敗戦を知る新聞の文字などがすべてスウェーデン語だったのはすばらしい。戦後に訳した『ムーミンパパの思い出』がスウェーデン語版で、百合子がまだスウェーデン語ができない戦前に読んでた『ニルスのふしぎな旅』が英語なのも◎。『ニルス』が出てきて単純にうれしかった。
 ただし、『ニルス』を子どもに読んでやるシーンが二度あり、一度目は信が「年明けにスウェーデンに発つ」といっているので年末、二度目は百合子が夏至のころにスウェーデンに行く直前と、半年近く間が空いている設定なのに、どちらも第1章の話をしているのはおかしい。
 それから、冒頭で『ムーミンパパの思い出』のスウェーデン語版として持っていた本は、1950年に出た『ムーミンパパの偉業 自身による執筆』。この本は、1968年に大幅改定され、『ムーミンパパの思い出』となる。百合子が訳したのは改訂版の方なので、眺めている本が1950年版なのは残念。

<良かった点2 スウェーデン・ロケ>
 とりあえずストックホルムがたくさん出てきて懐かしさ満開。建物や調度品もスウェーデン風で、階段を上から写すアングルはおしゃれだった。
 何度か鐘が聞こえてくるシーンがあるが、有名な教会がたくさんある周囲の状況をよく反映していた。ザリガニ(8月に3週間だけ解禁)のすぐ後で、公園で人が撃たれる場面がある。その時期に紅葉が一枚もないのは残念だが、これはロケのスケジュールの都合で仕方がなく、そのなかで、道行く人や坊やがちゃんと長袖を着ていたのはむしろ季節に忠実であろうとした結果だと思う。

<残念だった点2 スパイ活動>
 スパイ・ドラマとしては、小野寺百合子『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』の方が数段面白かった。ドラマでは、諜報活動の最初から最後まで百合子はあまり緊張感がない。和服の帯に暗号の乱数表を隠す場面があるが、あれは、家を長時間開けなければならない時の苦肉の策なので、郊外にのんびり釣りに行ったりしない方がよかった。そこで百合子が信に戦局のことをずけずけと聞き、信がペラペラしゃべるのもNGで、知らなくて済む情報は知らない方がお互いのために良いに決まっている。それから、百合子が暗号文を書いているときに子どもが勝手に戸をあけて入ってくるのも違和感があった。身辺にもスパイがおり、いつ敵になるかわからないロシアのスパイは子どもの信頼も得ている。子どもがうっかり話したことが一家の身の破滅を招くというのは、情報管理社会を描く文学ではよくあるシーンで、このシチュエーションでは子どもが入ってこられないように鍵をかけておくのが自然だと思う。子どもに関しては、5年ぶりに帰国して上の子どもたちに会うシーンで、子役が変わってなかったのも残念。
 細かいこととしては、信はロシア語とドイツ語はできるが英語ができず、百合子は英語ができたという話題は欲しかった。

<良かった点3 「女性の自立」と香川照之の演技>
 上記のように、百合子のスパイ活動の描き方には不満が残るが、戦後に「以前と比べ、自分の世界が持てるようになった」という描写があったのはとても良かった。
 冒頭で『ムーミンパパの思い出』の「何かを成し遂げた者が自伝を書く」という文章の引用があるが、ムーミン一家は、ムーミンパパは自伝を書けても、ムーミンママは書けなかった。恋愛結婚をしたムーミンママと違い、百合子は信と結婚することも、諜報活動をすることも自分で選べなかったが、与えられた環境できちんと仕事をこなしたことで、「自分の本」を書けるようになった。これは女性の描き方としてとても良いし、『ムーミンパパの思い出』との対比も生きている。
 その背景に、信の敗北感がある。同じ「夫を支える」という役割をこなしていても、戦前は信に従い、家族関係でしか逆らわなかった百合子が、戦後、諜報活動に関しても信とは違う自分の見解を述べているのは◎。そこに説得力を与えていたのが、巣鴨プリズンの取り調べで「全部話してしまった」という香川照之の圧巻の演技だった。

<残念だった点3 「武官の妻の大東亜戦争」>
 「良かった点3」があるからこそ、全体として「戦争を止めようとした」というトーンになっていたのはすごく残念。信が日米開戦に反対したのは、独ソ不可侵条約が破られることや、独ソ戦になればドイツが負けることを予測したからであって、戦争に反対していたからではない。むしろ、陸軍の軍人として、日本軍に有利な(あるいは不利を避けるような)情報をもたらそうとしたはず。百合子はそれを「戦争に加担した」という「反省の対象」ではなく、「自己実現」としてとらえたからこそ、80年代になってなお「大東亜戦争」というタイトルの本を書くし、そもそも「自分たちは頑張りました」という内容の自伝が書ける。
 わたしは、暴力批判を研究の柱とする知識人として、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼ぶ立場は支持できない。しかし、百合子が「自分の世界を手に入れた」のは、まさしく「大東亜戦争」を「武官の妻」として生きることを通じてであったはずなので、そこは尊重するべきだし、そこを曲げるなら百合子をドラマ化してはいけない。

<良かった点4と残念だった点4 エレン・ケイ>
 戦後、公職を追放され、信は貿易商、百合子は翻訳の仕事をするが、その二人が一緒にやったのがエレン・ケイの主著『児童の世紀』の翻訳。ケイは、欧米の児童教育運動を喚起したほか、大正期の日本においても、平塚らいてうや山田わかの女性解放運動・児童教育運動に多大な影響を与え、「母子保護法」成立の思想的根拠となった。ドラマの中で、何度もエルサ・ベスコフの絵本(戦後に百合子が訳している)が登場したが、ケイはベスコフとも交流があった。「子どもは愛で結ばれた夫婦のもと、良い環境で育てられるべき」「女性の家庭における妻・母という役割が尊重されるべき」という主張で知られる。
 その女性観は現在では否定されている。ケイは優生学の支持者としても知られ、「良い環境で子どもを育てるべき」は、ケイにとって「病気や障碍を持つ人は親として不適切なので子どもを持つべきではない」と同義だった。そのような背景もあり、ケイへの言及は期待していなかったが、台詞だけでも出てきたので良かった。
 残念だったのは、優生思想に触れなかった点ではなく、百合子と信が一緒にケイを訳すシーンがなかったこと。90分のドラマで第九を聞きながらのこれまでを回想するシーンは不要。短くてもいいので、回想を削って翻訳のシーンを入れてほしかった。翻訳に悩む場面が全くない『花子とアン』もそうだが、翻訳業は冷遇されすぎだし、「自分の世界」を得た百合子や戦争の愚かさを書くなら、実際には百合子の単著として刊行されることになる『バルト海のほとりにて 武官の妻の大東亜戦争』を一緒に書こうと決意して終わるのではなく、諜報活動とは違う、平和な時代だからこそできる共同作業としての共訳をして終わったほうが良かった。ケイの思想は、今日的な目から見た際の差別性は無視できないものの、「愛のある結婚生活」の重要性を説いたものでもあるので、二人で信頼し合って一緒にこなした諜報活動を振り返るという意味でも最適だったはずだ。

<まとめ>
 「残念だった点」は、説明が必要なのでそちらに紙幅を割いているが、全体としては、期待以上に面白かったし、きちんと調べてあったし、見ごたえがあった。
 また再放送されると思うので、まだの方は是非ご覧になってみてください。