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調理実演過去ログ:今井1/100初代海王丸を作る
その2:船体について
2005/03/07

はじめに

 商船や現代の護衛艦は大きく外観が変わってしまう事が比較的少ないため、「時期の特定」は模型を作る上で旧日本海軍艦艇ほど厳密には考えられていないようですが、実際は入渠毎に装備品や塗装が船主や本船側の要求によって変更されたり不都合な部分を改修していると聞きます。初代海王丸や日本丸の場合も例外ではなく、年2回の入渠毎に改修工事を繰り返していました。特に備考の「外観の移り変わり」で述べたように、海王丸は各吸気口の位置や形状が時期によって異なり、また1/100というスケールでは無視できない外観上の変更点も多々あったために、今回の製作では時期を厳密に特定する必要がありました。

 設定時期を1985年春としたのは、この当時NHKが乗船取材した放送番組の録画テープ(※注)が手元にあって外観の細部の多くが特定できる事と、その前後の83年と86年に個人的に撮影した写真で外観上の変化を追ってゆくのが容易である事に依ります。また85年は二代目日本丸が最初の遠洋実習航海に就いた年で、初代海王丸にとっても大きな節目の時期に当たったというのも理由の一つになっています。

 前作のフッドもそうでしたが、今回の製作も一筋縄ではゆきそうになく、いきなり船体で難航して長い時間が掛かっています。実船は非常に良いコンディションで残存してはいるのですが、有ったら有ったで個々の構造物や装備品が現役当時とどこまでが同じでどこが異なるのか、見極めるのが厄介な作業になっています。製作の根拠はできる限り述べるつもりですが、キットが元々誤っている場合はもちろん、キットの設定時期(1975-77年頃)と本製作の設定時期が異なる事による修正、1/100の表現方法の違いによるものなど、手を加える理由は様々です。そのため、製作記はかなり読みにくいものになるかもしれませんが、御了承願います。

 なお、ブログや調理実演のバックナンバーでも製作過程を示していますので、興味がある方はそちらも参照してみて下さい。

船体について(その1)


 船体は90cm近くのものを一体で抜いていて、私の記憶に間違いがなければ、一体整形された船体としては日模1/200戦艦大和に次ぐ大きさです。モールドは外板表現の他に舷窓周辺のリベットが再現されています。フィギュアヘッド(船首像)は船体と一体モールドですが、船尾装飾は別部品になっています。

 この船体の、といいますかこのキット最大の問題点ですが、右舷側のモールドがなぜか左舷側のパターンをそのまま反転コピーしたものであるという事で、舷窓の配置と数が実船とは少し異なる上に、本来左舷側にしか無い調理室の汚水捨管が右舷側にもモールドされています。小スケールの模型であれば無視したり、あるいはモールドを埋めてピンパイスで開け直すだけでも良いのですが、1/100では無視する訳にはゆかない上に、舷窓の周囲にリベットがあるため自作するとモールドの差が目立ってしまいます。そのため、右舷の舷窓に関しては位置のズレが目立つものについて、一旦周囲の外板ごと切り取って位置を修正した上で再接着して整形すると共に、不足するものについては前回製作を中止した船体から切り取って移植するという方法を取りました。

 なお、厳密に言えばこの舷窓は上甲板・中甲板共に若干サイズがオーバーで、そのため配列にも多少無理があります。全て埋めた上で開け直す事も考えてみたのですが、私の現在の技術ではモールドの完全な再現は困難である上に、実船のバランスに近い展示模型からは返って舷窓が貧弱な印象しか受けなかったため、キットのままとしています。

 右舷側の舷窓の修正は上甲板が位置修正10個・追加3個、中甲板は位置修正13個・追加2個、そして中央部の汚水捨管のモールドを削除しています。
 左舷側は船名とのバランスの関係で船首楼の舷窓2個の位置を若干修正して1個追加した他、船首中甲板の1個を位置修正して1個削除すると共に、船尾上甲板の舷窓2個が省略されているので追加しています。
 この中で、船首楼の最も船首寄りの舷窓は、日本丸に関してはキットの設定時期では完全に撤去されていましたが、海王丸では少なくとも1983年頃迄は両舷共に閉鎖状態で残存していました。そして左舷側のものは後に完全に撤去されるのですが、製作の設定時期の1985年春に残存していたのかどうか、NHKの映像からは(閉鎖状態である事もあり)今一つ判断が付きません。周辺の外板の状況から残存と判断してモールドを追加していますが、完全に撤去されていた可能性もあります。
 また、キットの舷窓のモールドはガラス部分がプラのままで、これも1/100では表現が辛いので2mm径のドリルで穴を開けると共に、裏側は5mm径のドリルで穴を広げて外板一杯まで削り込んでいます。ここは後の工程で裏側から透明材を貼る予定です。

 舷窓の構造は旧海軍艦艇のそれと同じで、ガラス付きの舷窓フレームと舷窓ふたをはめ込んでネジで締められていました。そのため同じ時期に撮影されたと思われる写真でも外から見て舷窓の開き方が違って見える場合があります(部署によっては舷窓ふたの無い窓もあります)。ただし、現役当時の写真や現在の保存船を見る限り、船首及び船尾両端の舷窓の閉鎖部は内側から直接鉄板で閉鎖されているように見えるのですが、ここも時期によって開閉状況が異なって見えるため、何か別の形式が取られていたのかもしれません(現在の保存船は舷窓閉鎖部の区画には入る事ができません。模型を作る上では閉鎖の有無だけを判断できれば良いので、それ以上の事は検討していません)。


 船体には外板のモールドがあります。しかし、モールドされているのは水平の貼り合わせ面だけで、垂直面のモールドは船首先端を除いてありません。また、水平面の外板は水線上に関しては大体キットの通りですが、水線下は「帆船図説」(橋本進編/海文堂刊1979)に掲載されている外板展開図や、富山県が公開している1994年定期検査時の写真(http://www.pref.toyama.jp/sections/1014/kaiwodock2.htm、現在は削除)、「帆船日本丸と海王丸五十年のロマン」(中村庸夫写真・千葉宗雄編/立風書房刊1978)のp63に掲載されている日本丸入渠中の写真など見る限り、かなり異なっているように見えます。そこで、水線下の外板モールドに関しては、上述の資料などを基に修正すると共に、垂直面の貼り合わせの段差のモールドも追加しています。なお、垂直面の段差は実船では間際まで接近しかつ斜め側から見ない限り意識できない程度なので、モールドも極く浅めに留めています。

 またこの外板モールドは船尾の部分のエッジが若干甘いのでモールドを立て、船尾装飾の下側の矢印付きモールとの位置関係も違っているので修正すると共に、前述の外板展開図に依れば片舷当たり7ヶ所にクランク状の部分があるように読み取れるので、それらしく修正しています(実船では船尾の1ヶ所しか確認できません。残りは全て水線下です)。
 それと、船体のビルジキールは前述の外板展開図を見る限り、船首側で約6.5cm、船尾側で約6cm長さが足りません。船体側の接着面のくぼみを彫ると共に、ビルジキールの部品(39,51)は中央部で12.5cm延長して船体に取り付けています。
 他に大きな問題点として、船首のフィギュアヘッド(船首像)のバランスにも問題があり、直後の錨鎖収納部のベルマウスがそれに合わせた形でモールドされているため、結果として船首回りの印象があまり良くありません。

 まず唐草模様のフィギュアヘッドは実船と比較すると船尾側が大きく広がっている上に船首側の厚みも不足しており、先端のコンパスマークの彫刻付近のバランスも合いません。またキットの唐草模様のモールドも彫りが浅い上にパターンも実船とは少し異なっています。そのため、削り込んだりプラ板を貼ったりして土台を整形し直した上で唐草模様のモールドをそっくり作り替えました。模様は田宮のプラ板よりやや柔らかいエバーグリーンのプラ材を少しずつ削って作ったのですが、どうも私はこの種の彫刻が苦手で、キットのオリジナルのモールドよりはましという程度にしかなりませんでした。
 また、フィギュアヘッド付近の三角形になった船首材の内側の構造は、実船ではキットよりもう少し複雑な構造になっています。ここは自作する上甲板の船首側先端とも関係してくるので、とりあえず不要なモールドを削っています(構造の詳細は船首楼内部の製作の際にまとめて述べることにします)。

 錨鎖収納部のベルマウスは大き過ぎる船尾側のフィギュアヘッドに合わせてモールドされているため実船よりも大きい上に、上甲板に位置しなければならない錨鎖通過穴の中心が、中甲板の舷窓のライン上に来ています。そのため、ベルマウスを二回り小さいものに自作し改めて錨鎖通過穴を開け直しています。

船首のフィギュアヘッドと
ベルマウス及び中甲板舷窓の位置関係
左が実船・右上キット・右下修正後


 船体の左舷中央部にモールドされている調理室の汚水捨管は旧海軍艦艇のそれと同じ構造のようで、角筒の両脇に木製の波除けカバーが付けられています。現在の保存船にも残存していますが、左舷側にあるため接近して見学することは残念ながらできません。なお、管の船内側の投入口及び排水口の構造は調理室の見学路から見ることができます(これは日本丸には残存していません)。

 船体のウェルデッキ露天部のブルワーク外側にモールドされている係船桁は、キットの設定時期には確かに装備されていたものですが、1981年〜82年頃に撤去されたようで、83年春に私が撮影した写真には既に見当たりません。そのため、このモールドは削り落としています。また、この周辺にはウェルデッキに流れ込んだ海水を船外に排出する蓋(Lid)や舷門が凸モールドで表現されていますが、全て削り落としています(実際の製作はブルワーク内側の処理と合わせて行う予定です)。他にも細々とした船体装備品がありますが、それらは後の製作の各段階で付ける事にします。

 この船のエディ・プレートは船尾管を完全に覆ったものではなく、裁ち落とした先端から船尾管が突き出したような形状になっています。キットの部品もそれらしい形にはなっているのですが、金型の都合で完全な形にはなっていないので、プラ棒を削って船尾管を作り替えています。また、エディ・プレートの形状も一部修正しています。
 シャフトブラケットは「帆船図説」に掲載されている図面ではキットの通りですが、実船の入渠時の写真を見る限りでは軸受け部(ボス)の船首側に整流板があることが確認できます。そのため、これもプラ棒を削って追加しています。またプロペラは金属部品で、シャフトが気持ち細いような印象も受けますが、これはこのまま使う事にします。
 また船尾両舷のシャフトブラケットと舵の間の外板に付けられている、スクリューの腐食防止用の保護亜鉛板のモールドが省略されているので、プラ板の細切りを貼って再現しています。保護亜鉛の原理は軍艦メカ図鑑「日本の戦艦」上巻p207に詳しい解説がありますが、旧海軍艦艇の建造中の写真でも同様の装備が見られます。

 実船の船体にはリベットが打ち込まれており、それは1/100の軍艦模型では省略の対象とは必ずしもなっていません。学研の一連の太平洋戦史シリーズに掲載されている大型模型がそうであるように、リベット打ちの再現は実感がまるで違ってくるため、この製作で再現するかどうか最後まで迷ったのですが、1/100の航空機でリベットは現実的な表現方法ではない事と、実船は船体以外にも上部構造物からマストまで全てリベットが打たれているため船体だけ施してもあまり効果はなく、そうでなくても製作ペースが遅いのにこの上リベットまで打っていたらそれこそ何十年経っても完成しそうにない(^^;)ので、省略ということにしました。


初代海王丸/日本丸の水線下の構造は
私も直接見た事はありませんが、
今井はキット化に当たって
実船がドック入りした状態に於ける
取材は行っていなかったのではないかと
個人的には推察しています。

これに限らず、船の水線下の部分は
進水式に招待されて実物を見る機会でもない限り
洋上を航行する写真や映像だけでは
なかなかイメージすることができません。
今後フルハルの大型模型を作ることが
あと何隻あるかわかりませんが、もし機会があれば
そういった部分にも気をつけてゆきたいと
個人的には考えています。

 以降、次の項にて。
 
※注
「ETV8・現代のロマン帆船紀行(1)海王丸」
1985年6月3日、NHK教育テレビ放映(45分)