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調理実演過去ログ:ホワイトエンサイン1/350巡洋戦艦フッドを作る
その9:艦首上甲板について
1999/02/28

はじめに

 製作は3年目に入り、相変わらず泥沼の中を戦車兵ならぬカメが這い回るような作業が続いています。帆船では製作期間2,3年というのは別に珍しいことではありませんし、週末のわずかな時間しか製作に集中できない現状では当然の事ですが、後甲板の製作が終わって船体塗装までいけば、大体の形が見えてくるのではないかと考えています。
 以下、3ヶ月分の泥沼です(;_;)。

艦首上甲板について

 キットを手にしてからずっと気になっていたのがベルマウス(錨収納部)の形状で、モールドはただの円形で縁もぶ厚く、あまり印象が良くありません。キットのホースパイプはモールドのみで開口されてないので、錨甲板の製作と平行してここから手を付ける事にしました。

 まず錨甲板のホースパイプの出口のモールドを作り、ベルマウスのモールドを真鍮線で作って削り落としたキットのモールドの上に付けます。そしてドリルで穴を貫通させた後にペーパーとヤスリで形を整えてゆきました。 Anatomy....HOODの記述によれば1940年3月〜5月の改装で右舷側の副錨は揚錨装置と共に撤去されたとあり、これ自体は、
 「Warship Profile」(P169,170,171)
 「Monografie Morskie HOOD」(P54)
 艦橋及び艦首から撮影された写真で確認する事ができます。ただし(これは恐らく改装期間が短かったためではないかと思うのですが)日本の戦艦のように全てを撤去したものではなく、揚錨装置の基部やホースパイプ、錨鎖導板はそのまま残されていたようです。アンカーチェーンのストッパーの船体側の金具も写真から残っていたことがわかるので、そのまま付けています。

 ただ、副錨撤去後の右舷艦首側面を明確に撮影した写真は手元にはなく、ベルマウス付近の処理がどうなっていたのかはわかりません。図面ではベルマウスが有った(であろう)とは描かれているのですが、鉄板で封鎖されているのか素通しだったのかまではわかりません。模型で素通しとしたのは特に根拠があった訳ではありませんが、アンカーチェーンのストッパーの金具すら外す余裕がなかったのなら、ベルマウスを封鎖する余裕もなかったのではないかと考えたことに依ります。クイーンエリザベス級やキングジョージV世級戦艦の写真の中には副錨を取り外して戦闘行動を行っていたと見えるものもあり、閉鎖しなくとも支障はなかったのだろうと考えたのも理由のひとつです。
 あと、艦首のラインも若干直線的で気になったので、艦首にプラ板を埋め込んでパテ盛り整形しています(WLの艦首整形の要領と同じです)。

艦首のベルマウス。
左側がキットのモールドです。
艦首のラインにも注意(修正前)。

 甲板はシェルター甲板と同じくSTウッドの細切りを貼ったもので、張り詰めた後に各モールドを付けてゆく形を取っています。モールドは吸気口と波切りが自作、リールは以前にも触れたピットロードのパーツに手を加えたもの、ボラードやケーブルホルダー、ウインチはキットのモールドやパーツ、フェアリードは田宮1/350プリンス・オブ・ウェールズの部品、ハッチはキットのエッチングパーツに多少手を加えて使っています。

 1番目の波切板の直前、左側にある細長いハッチは竣工時の図面では魚雷搬入口と説明されているものです。固定式の水中魚雷発射管は1937年11〜12月の改装で撤去されたのですが、その後もこのハッチは残っていたようです。キットはハッチのエッチングパーツを2枚使うように指示されていますが、長さが合わないので切り詰めて使っています。

 手持ちの資料の図面には、1番目の波切板の内側にパラベーン用のデリックが装備され未使用時には甲板上にブームが収納されていたとあり、キットにもそれらしいモールドはあったのですが、製作では省略しました。
 「Warship Profile」(P171)
 ここには1941年3月25日、最後の改装が終わったあとの全力公試中の艦首を艦橋から撮影した写真が載っているのですが、これにはデリックらしきものは何も写っていません。小さい金具らしきものは右舷側の波よけの直後に見えますが、これがデリックの支柱の取り付け部になるとは考えにくかったことに寄ります(ただし、艦橋基部に装備されたパラベーンは最後まで残されていたと考えています)。

 もう一つ気になったのが艦橋基部の角形吸気口の「向き」で、キットも図面も司令塔基部に接した形で描かれているのですが、例えば
 「Monografie Morskie HOOD」(P64)
 この1939年撮影の写真を見ても、少なくとも右舷側の艦首寄りの吸気口は司令塔に接した方向には向いていないように見えます。それでこの吸気口に関しては船体中心線と垂直の方向に向けています。角形吸気口は上で述べたように全て自作したのですが、全体的に多少誇張気味に作っています。

艦橋基部の角形吸気口。右舷側の向きに注意。
 

再度、シェルター甲板後端について

 キットにはこの部分にそっくりエッチングパーツが用意されていることは、その8:で述べました。当初はこのまま通そうと考えていたのですが、どうにもモールドのバランスが合わないこと、モールドの一部に疑問が出てきたこと、船体側面と寸法が合わずエッチングパーツの処理が上手くゆかなかった事などから、剥がしてこれも自作する事にしました。

 ホワイトエンサインのWebページに掲載されているDave Weldon氏の完成作例写真を見ると、
http://whiteensignmodels.simplenet.com/wemhood/pic2.jpg
http://whiteensignmodels.simplenet.com/wemhood/pic13.jpg
 シェルター甲板後端の船室の上端の処理が右舷側と左舷側で異なっている事に気が付かれると思います。
これはエッチングパーツの高さが船体のそれより短い事に依るもの(*注)で、この問題を解決するには全自作以外に私には選択肢がありませんでした。まず船体に合わせて0.3mmプラ板を切り出し、これをベースに伸ばしランナーとエッチングパーツでモールドを作ってゆきます。

 キットのエッチングパーツは2ヶ所の入り口が両開きの水密戸という表現になっていました。ここのモールドが他と違った点も引っかかったのですが、
「Monografie Morskie HOOD」(P16下段)
この艤装中の写真を見る限り下段の扉は通常の水密戸にしか見えませんし、
「Warship Profile」(P148最上段、P149)
この1931年の一般公開中の写真や1935年2月のドック入りの写真を見ても、下段の扉は1枚物の右開きの水密戸であるように見えます。

 上段の扉はどれも開状態(というより扉そのものを取り外した状態)で写っていて、閉じた状態の写真は手元にはありませんでした。
 「Warship Profile」(P153)
 ここに1940年8月に地中海でイタリア軍の爆撃を受けるフッドという説明の付いた写真(同じものは「世界の艦船増刊イギリス戦艦史」(P158)にもありますが、ここではアルジェリアのオラン港に停泊中のフランス海軍を攻撃する英国艦隊となっています)がありますが、戦闘行動中であるにもかかわらず扉の部分が黒く写っています。これはいったいどういう事なのだろうと。

 結局、停泊中もしくは平時の航海中の写真には扉が見られない事から、上段の入り口には扉を付けず素通しという事にしました(完成後でも扉を作って付ける事ができますし)。幸い、キットはこの部分の内側も図面通り通路になっているので、ドリルで穴を開けて処理しています。同時に艦首寄りの一部ブルワーク状になっている部分の入り口も右舷側のみ開けた状態とする事にしました。
 また、上段の入り口の艦首側の脇にあるモールドは通風口で、実艦写真を見る限りでは上の甲板の端にあるハンドルでシャッターが開閉できるような仕組みになっていたようです。

再製作のシェルター甲板後端。
その8:の写真と比べたし。
 それと、その8:で書き落とした事ですが、シェルター甲板の艦尾側の端にある連装高角砲の半円形の台座のサポート部分の形状がはっきりしません。
側面に半円形状のサポートが付いていた事は、
 「Warship Profile」(P156上段)
 この1940年11月撮影の外舷塗装中の写真からわかるのですが、このラインがシェルター甲板後端の船室の端の部分にどうつながるのか、手持ちの写真や図面からはよくわかりません。キットは半ば強引にラインをつないでいて、海外の作例もその解釈で通しているようですが、私にはちょっと信じられません。英国の他の主力艦に同様の例が無いか手持ちの資料をひっくり返して調べてみたのですが、このような台座の付いた例は他に見つけ出すことができませんでした。そもそも連装高角砲の台座と船室の位置関係も図面では微妙な感じで、キットは艦尾側に若干張り出した形になっています。
 ここからは私の推測になりますが、
 この部分の改装は元々台形の甲板から円形の張り出しを3方向に出して半円形の台座を形作るようにしたのではないか。そのおのおのの張り出しにサポートが付いていたと考えるのが一番合理的な形ではないかという結論になりました。もちろん、何の根拠もありません。
 
 この部分の改装は元々台形の甲板から円形の張り出しを3方向に出して半円形の台座を形作るようにしたのではないか。そのおのおのの張り出しにサポートが付いていたと考えるのが一番合理的な形ではないかという結論になりました。もちろん、何の根拠もありません。

 図面に従えばシェルター甲板の台座そのものを艦首方向に下げなければいけないようですが、ここまで製作が進んだ状態ではもはや修正は不可能なので、船室の端の部分に1.2mmプラ板を貼った上で台座のサポート部分をパテ盛りで作る事にしました。

連装高角砲の台座部分。
重ねて書いておきますが、
艦尾側背面の形状には何の根拠もありません。


*注:
船室側面のエッチングパーツはシェルター甲板の厚みだけ高さが足りない事から、恐らく甲板の端が船体からはみ出す事を前提に設計されていたのではないかと思います。ところが、キットのシェルター甲板で連装高角砲の台座の中心を船体に合わせると、右舷側が船体とほぼ面一になってしまいます。そのため、左舷側は甲板との間をパテ埋めで処理する事ができても、右舷側はエッチングパーツの端の部分が浮き上がったように仕上がってしまいます。Dave Weldon氏の作例で右舷側の船室の上方に凸モールドのラインのように見えるのが、その跡です(私も最初はこれと同じように仕上がってしまいました。実艦にはもちろんこのようなモールドはありません)。最初からシェルター甲板の分も含んだ高さで設計されていれば甲板と船体の合いの悪さもカバーできたはずで、せっかくの「売り」なのに少し残念でした。

 以降、次の項にて。