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昭和18年7月下旬の軽巡阿武隈について
その3:甲板

甲板について

 アオシマ1/350の球磨/長良型キットの大きな問題点の一つとして、甲板上のレイアウトが全体的に±2〜5mmの範囲でズレていて、煙突断面の長さも合っていない点が挙げられます。ただこれは製作過程の際にも述べましたが、修正には膨大な手間がかかる割に完成後の印象はあまり変わらないように感じます。

 ただし、球磨型に関しては3番煙突から後ろの配置を魚雷発射管開口部の位置も含めて修正しない限り、押し潰されたような形になっている後部艦橋の平面型を正しく表現することはできません。また、長良から防空巡洋艦改装後の五十鈴を作る場合も、各煙突と大型吸気口の間隔を調整しないと、増設機銃座との位置関係に違和感が出ます。

 また、長良型は後部マストの高さが公式図と比較して明らかに高すぎます(球磨型は未検証)。これは非常に目立つので、できれば前に触れた艦橋や前部マストの高さと合わせて修正したいものです。



 最初に述べたように、大和ミュージアム所蔵の昭和17年1月末現在の舷外側面及上部平面図の内容が阿武隈の現状を反映したものだとすれば、タミヤ1/700キットの艦橋から後部マストまでの甲板上のレイアウトは大幅に異なるということになります。ただし中央甲板上を明瞭に捉えた写真は手元に無く、図面の信憑性を検討できる材料はほとんどありません。本製作ではほぼその内容に従って作りました。

昭和17年1月末現在 舷外側面及上部平面図より
(この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)

 前部魚雷発射管のくぼみを埋めた甲板の中央部(81番フレーム上)に、図面では横切るようにして二本の点線が引かれていますが、説明がありません。これは昭和19年9月の五十鈴の完成図の同じ位置にも実線で描かれています(説明無し)。ここを埋めてしまうと艦首からシェルターデッキの後部まで甲板が長くつながる事から、航空母艦の飛行甲板のようなエキスパンション・ジョイント(伸縮継手)があったのではないかと解釈しましたが、写真は無く確証はありません。似た表現はカタパルト支柱の直前にもありますが、それに関しては後述します。

 阿武隈の1番煙突両側の連装機銃座は、タミヤ1/700ではブルワークも無く甲板上に機銃だけを取り付けるように指示されていますが、公式図ではブルワークが舷側からはみ出す形で描かれています。これは学研本球磨・長良・川内型p64右下の昭和16年10月とされる写真で、後方からの手すりが機銃座のブルワークの位置で海側にせり出している事からも裏付けられます。

 艦載機予備翼格納所は図面上では2番煙突左舷側の脇に描かれています。長さは多摩のものよりやや長いのですが、幅は1/3以下とされています。これは上述の学研本収録の艦内側面図にも記述があり、第二煙突の文字の下に点線で角状の囲いと潰れて読めない説明文がありますが、原図には「飛行機予備翼格納所」と書かれています。

 長良型の1・2番煙突の間の大型吸気口の天蓋の形状は、球磨型(多摩)と同じとされている資料が大半でタミヤ1/700もアオシマ1/350もそれに従っていますが、阿武隈や昭和18年10月現在の鬼怒の公式図では異なる形状に描かれています。写真での確認はできませんが、昭和16年に撮影されたとされる五十鈴の上空写真では、球磨型よりも阿武隈の公式図に近い形に見えます。根拠はそれだけですが、長良型の中には球磨型と異なった形状の艦があることは言えると思います。

 2・3番煙突の間の大型吸気口の天蓋も、阿武隈や鬼怒の公式図では球磨型よりやや幅が長く描かれています。この部分は前の吸気口よりも一段高いプラットフォーム状になっていて、それは実艦写真からも確認できます。なお、多摩の公式図では昭和17年・19年共に前後の吸気口の天蓋は同じ高さに描かれていますが、北方作戦中の写真を見る限りでは2・3番煙突間のものは阿武隈と同じく一段高くなっているように見えます。

 この天蓋に付く測距儀は、球磨型も長良型も写真からはシールド付きのようにしか見えません。しかしながら、大和ミュージアムで確認できた公式図−多摩17年・19年、木曽19年、阿武隈17年・18年、鬼怒18年はいずれも長さの違いこそあれシールド無しとして描かれています。特に鬼怒18年の図面(艦船模型スペシャルNo.29 5500トン型軽巡折込図の原図)は、「現状調査ノ上調製ス」と書かれているにもかかわらずシールド無しです。本製作では写真に従いシールド付きとしましたが、これが何を意味するのかは全くわかりません。



 昭和17年1月末の艦内側面及上甲板平面図(学研本球磨・長良・川内型収録折込図)と、昭和18年5月末の同図を比較すると、後者には艦橋以外にも幾つかの改正点が描かれています。改めて述べると、
(機銃高角砲等の増設加筆無し)
・5番主砲消去、旧6・7番砲をそれぞれ5・6番砲と記述更新
・1番煙突の前と5番主砲撤去跡に兵員待機所記入更新
・25mm三連装機銃増設に伴う中央甲板右舷側後端の延伸記入更新
 このうち1番煙突前の兵員待機所に関しては、丸戦史と旅No.11掲載の昭和18年9月下旬とされる写真で該当個所に構造物らしきものが見え、また福井静夫氏作成の各種機銃、電探、哨信儀等現状調査表にも1番煙突前の構造物上に25mm単装機銃が設置されている旨描かれていることから、昭和18年5月末現在で図面通り設置されたものと思われます。

 しかしながら、5番主砲撤去跡の後部待機所に関しては前述の写真では存在が確認できません。本製作ではいずれも図面に従って加えましたが、艦内側面図のみの記載で幅がわからないため、前部は現状調査表に描かれている幅、後部もそれに合わせるしかありませんでした。ドアなどのディテールも不明のため、これは空想で加えています。

 昭和17年1月末現在の上部平面図には、シェルター甲板上のカタパルト支柱の直前に二本の実線を伴った点線が甲板を横切るように描かれています。これも説明はありませんが、多摩の公式図はカタパルトの後方に二本の線が引かれ「エキスパンションジョイント」と説明があります。そのため、阿武隈も前部と同じような継手がここにもあったものと判断しています。


 5500トン軽巡の25mm三連装機銃増設に伴う中央甲板の後端延伸に関しては、以前にブログに於いて多摩の公式図について書いた際に触れましたが、阿武隈も昭和18年5月末の上甲板平面図に記載があり、前出の戦史と旅の写真でも右舷側の魚雷発射管開口部の艦尾側側壁が長くなっていることから確認できます。

 この平面図では右舷側の魚雷積込用ダビッドも延伸に伴い移設されたように描かれています。しかしながら延伸前には魚雷発射管室との隔壁に接する形で設置されていたもので、隔壁は移動していないので形状が替わった可能性があります。図面にはダビッドの形状までは描かれていないため、甲板に接する形で張り出しを設けてその上に汎用のダビッドを付ける形としましたが、形状に関しては根拠がありません。

上甲板平面図に於ける比較

 長良型と川内型の中には、後部シェルター甲板の縁に沿ってブラストスクリーンと呼ばれる爆風除けの壁が設置されている艦があります。阿武隈はカタパルト付近の右舷側の縁に沿って丸窓が付いた壁が設けられていて、これは実艦写真からも確認できます。タミヤ1/700のキットではシェルター甲板の形状やラッタルの位置などと合わせて無視されている部分で、可能であれば修正したい所です。また、ここに付くラッタルは開戦時には艦尾から艦首方向に向かって降りるよう設置されていましたが、昭和18年5月末の上甲板平面図では逆に付け替えられています。これは中央甲板の後端延伸に伴う魚雷積込用クレーンの位置変更で、旋回範囲に接近するためかかる措置が取られたものと推測します。



 阿武隈に限らず、5500トン軽巡のデリックは公式図上では後部マスト主脚下部の支持具に組み込んであるだけで、特別な旋回装置などは見当たりません。後部マスト付近の艦尾甲板左右両舷に飛行機揚収用ウインチがあり、デリックブームを人力で回した舷のウインチにワイヤーを接続して使用していたものと思われます。なお、左舷側のウインチはシェルターデッキの下にありますが、公式図を子細に見てゆくとデッキ上にローラーが描かれており、ワイヤーをここに通してウインチに接続していたものと思われます。デリックが未使用の場合のデリックワイヤーをどう処理していたのかは不明で、本製作ではマスト基部に留める形としました。

 昭和17年1月末現在の舷外側面図には後部マストのクロスツリーの箇所に加えて、トップマストのヤードの位置にもガフが描かれています。これは真珠湾攻撃当時の写真には写っていないように見え、それ以前の写真も同様なので、過去の図面の改訂漏れではないようですが、大戦中の写真でこの部分が明確にわかるものは手元に無く真偽は不明です。本製作では一応図面の通りとし、少将旗を掲揚しています。

 後部マストにある舵柄標識板は後続艦に転舵の状況を知らせるためのものと資料にあります。しかしながら、動作の仕組みまで解説されたものは手元にありません。すなわち、操舵装置と連動しているのならば標識板のワイヤーは艦内取り込み、非連動手動操作であれば外部に留められるはずです。これは図面にも写真にも明確にわかるものはなく、他艦の航海中の標識板が作動している写真で後部マストに人影が見えない事から連動艦内引き込みと判断して表現しました。

 空中線は前述の舷外側面図にほぼ従って張りましたが、後部マスト付近にある饋電線(格子状の線)は3番煙突から上部に斜めに伸びる線からも3本描かれています。しかしながら、これに関しては線の引込口が不明だったため付けていません。

後部マスト周辺の状況

 以降、次の項にて。