アオシマ1/350の球磨/長良型キットの大きな問題点の一つとして、甲板上のレイアウトが全体的に±2〜5mmの範囲でズレていて、煙突断面の長さも合っていない点が挙げられます。ただこれは製作過程の際にも述べましたが、修正には膨大な手間がかかる割に完成後の印象はあまり変わらないように感じます。
ただし、球磨型に関しては3番煙突から後ろの配置を魚雷発射管開口部の位置も含めて修正しない限り、押し潰されたような形になっている後部艦橋の平面型を正しく表現することはできません。また、長良から防空巡洋艦改装後の五十鈴を作る場合も、各煙突と大型吸気口の間隔を調整しないと、増設機銃座との位置関係に違和感が出ます。
また、長良型は後部マストの高さが公式図と比較して明らかに高すぎます(球磨型は未検証)。これは非常に目立つので、できれば前に触れた艦橋や前部マストの高さと合わせて修正したいものです。
最初に述べたように、大和ミュージアム所蔵の昭和17年1月末現在の舷外側面及上部平面図の内容が阿武隈の現状を反映したものだとすれば、タミヤ1/700キットの艦橋から後部マストまでの甲板上のレイアウトは大幅に異なるということになります。ただし中央甲板上を明瞭に捉えた写真は手元に無く、図面の信憑性を検討できる材料はほとんどありません。本製作ではほぼその内容に従って作りました。
昭和17年1月末現在
舷外側面及上部平面図より (この画像はクリックすると別窓で拡大表示します)
前部魚雷発射管のくぼみを埋めた甲板の中央部(81番フレーム上)に、図面では横切るようにして二本の点線が引かれていますが、説明がありません。これは昭和19年9月の五十鈴の完成図の同じ位置にも実線で描かれています(説明無し)。ここを埋めてしまうと艦首からシェルターデッキの後部まで甲板が長くつながる事から、航空母艦の飛行甲板のようなエキスパンション・ジョイント(伸縮継手)があったのではないかと解釈しましたが、写真は無く確証はありません。似た表現はカタパルト支柱の直前にもありますが、それに関しては後述します。
阿武隈の1番煙突両側の連装機銃座は、タミヤ1/700ではブルワークも無く甲板上に機銃だけを取り付けるように指示されていますが、公式図ではブルワークが舷側からはみ出す形で描かれています。これは学研本球磨・長良・川内型p64右下の昭和16年10月とされる写真で、後方からの手すりが機銃座のブルワークの位置で海側にせり出している事からも裏付けられます。
艦載機予備翼格納所は図面上では2番煙突左舷側の脇に描かれています。長さは多摩のものよりやや長いのですが、幅は1/3以下とされています。これは上述の学研本収録の艦内側面図にも記述があり、第二煙突の文字の下に点線で角状の囲いと潰れて読めない説明文がありますが、原図には「飛行機予備翼格納所」と書かれています。
長良型の1・2番煙突の間の大型吸気口の天蓋の形状は、球磨型(多摩)と同じとされている資料が大半でタミヤ1/700もアオシマ1/350もそれに従っていますが、阿武隈や昭和18年10月現在の鬼怒の公式図では異なる形状に描かれています。写真での確認はできませんが、昭和16年に撮影されたとされる五十鈴の上空写真では、球磨型よりも阿武隈の公式図に近い形に見えます。根拠はそれだけですが、長良型の中には球磨型と異なった形状の艦があることは言えると思います。
2・3番煙突の間の大型吸気口の天蓋も、阿武隈や鬼怒の公式図では球磨型よりやや幅が長く描かれています。この部分は前の吸気口よりも一段高いプラットフォーム状になっていて、それは実艦写真からも確認できます。なお、多摩の公式図では昭和17年・19年共に前後の吸気口の天蓋は同じ高さに描かれていますが、北方作戦中の写真を見る限りでは2・3番煙突間のものは阿武隈と同じく一段高くなっているように見えます。
この天蓋に付く測距儀は、球磨型も長良型も写真からはシールド付きのようにしか見えません。しかしながら、大和ミュージアムで確認できた公式図−多摩17年・19年、木曽19年、阿武隈17年・18年、鬼怒18年はいずれも長さの違いこそあれシールド無しとして描かれています。特に鬼怒18年の図面(艦船模型スペシャルNo.29
5500トン型軽巡折込図の原図)は、「現状調査ノ上調製ス」と書かれているにもかかわらずシールド無しです。本製作では写真に従いシールド付きとしましたが、これが何を意味するのかは全くわかりません。
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