『すぎ去りし日の…』(Les Choses De La Vie)['70]
『夕なぎ』(César et Rosalie)['72]
監督 クロード・ソーテ

 先に観た『すぎ去りし日の…』は、交通事故現場を映し出すアバンタイトルの後、ベッドに全裸で俯せているエレーヌ(ロミー・シュナイダー)の、サイダーハウス・ルール['99]でのシャーリーズ・セロンを想起させるようなバックヌード・ショットから始まり、前年の太陽が知っているばりのシーンが出てくるのかと思いきや、そうはならなかった。それでも只管ロミーを見せる作品だったような気がする。

 冒頭の交通事故の顛末は、こういうことだったのかと明かされる運びの本作を観ながら、'70年当時にこの事故シーンを捉えた撮影技術の高さに驚いた。原題は、この自損事故に見舞われる建築家ピエール・ベラール(ミッシェル・ピコリ)が、そのさなかにも思いを巡らせる「(過ぎ去りし日の)人生における出来事の断片」といった意味合いのようだ。設えとしては、建築家繫がりで言えば、昨年末に観たばかりの見はらし世代['25]を思わせるところもあるような話だった気がする。

 ピエールの仕事のパートナーで妻のカトリーヌ(レア・マッサリ)が、駈けつけたエレーヌの姿を見留めて、遺品とも言えるエレーヌ宛ての手紙を破り捨てるシーンが印象深かった。その思うところは何だったのだろう。もはやプライヴェートでのパートナーは、彼女のほうもポールに心移しているなかでの振舞いなのだから、殊更に興味深い。


 翌々日に観た同監督の二年後の作品『夕なぎ』では、ラストを観ながら、これはまるでプカプカのような映画だったなと思った。

 男も女もやたらプカプカ煙草を吸っていたということ以上に、あんたがあたいの寝た男達と 夜が明けるまで お酒のめるまで あたい 男やめないわとの歌詞が浮かんでくるようなセザール(イヴ・モンタン)とダヴィッド(サミー・フレー)の様子に、仄かに微笑みつつ帰還したロザリー(ロミー・シュナイダー)を観たからだった。

 本作が '72年で離愁が '73年、『追想』が '75年か。三十路半ばの時分のロミーは本当に好いなと改めて思った。最初に観惚れた『追想』は公開時に観たっきりなので、是非とも再見したい気になった。

 離れてるといい人に思えるわと言っていたのはロザリーで、離れていると君のことを想うと言っていたのはセザールだった。ロザリーの帰還もその果てのことで、二人を想って戻ったら、二人が揃っていてニンマリしたような気がした。

 青いモノクロ画面の陰画による小舟の航行で始まったのは何だったのだろうと思っていたら、セザールとダヴィッドが一緒に魚を捕りに出ている場面のことだった。身柄を捕まえずに心を捕らえる要点は「離れる」ことにあるというアンビバレントに耐えられるだけの思いというものをシンボリックに描いていたような気がする。


 いずれにしても、両作とも恋愛至上主義が世界を席巻していた'70年代らしい作品で、生活の中心に恋愛を置くことの危うさ、脆さ、心許なさ、そして、その困難とリスクと甘美がフランス映画らしいニュアンスの豊かさで描き出されていたように思う。エレーヌにしてもロザリーにしても、ロミー・シュナイダーが演じているからこそ、その存在が了解できるのであって、そうでなければ何だか訳の分からない気の知れない話のように映ってくる気もした。
by ヤマ

'26. 3.25,27. スターチャンネル2録画



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