『センチメンタル・バリュー』(Sentimental Value)['25]
監督 ヨアキム・トリアー

 なかなか手の込んだ見せ方をする作品だったが、それがあざとさとして映らずに、一筋縄ではいかない拗れと愛着のまとわりつく関係性そのものを描出しているように感じられて、なかなかのものだったように思う。三年前に観たわたしは最悪。['21]のユリア(レナーテ・レインスヴェ)もかなり生き辛そうな女性だったが、本作では同じレナーテの演じたノーラに妹アグネス(インガ・イブスドッテル・リッレオース)がいて、余計にノーラの拗れようが際立つ形になっていたように思う。

 1987年12月生まれのアラフォー・シングルで女優生活を続けているノーラと、父親である映画監督からも引退を惜しまれる才を持ちながら家庭を持ち子育てに勤しんでいるアグネスの生活状況の違いということも作用しているのかもしれないが、父グスダヴ(ステラン・スカルスガルド)と二重写しになるほどに似通ったノーラには、父親同様、円満な家庭生活を続けていける才はないように感じられた。おそらくは彼女の存在が原因で結婚生活を破綻させていたと思しき劇団スタッフと、もし結婚したとしても、若かりし日に妻にぞっこんであることをTVインタビューでも語っていた父親が、夫婦喧嘩で口論し合う日々を重ねた挙句に離婚して幼い二人の娘に喪失感を与え、傷つけたのと同じ道を辿るのだろう。

 それでも、拗れと愛着の因縁そのものを両者で共有し、相手の側の思いに心寄せる時間を二人で作り上げることをこの父娘は、映画づくりを通じて叶えられたのだから、幸いだ。家族総掛かりどころか、英語だとしっくりこない作品だと自ら役を降りるハリウッド女優レイチェル(エル・ファニング)の心遣いも受けて、思い掛けないラストシーンが訪れていた。ひびの入った「家」ではなく、仮設の「セット」だったけれども、グスダヴとノーラの間に入っていたひび割れは修復されたような気がする。

 それはそれとして、映画好きも病膏肓に入っているように僕は映るらしく、映画監督になればよかったのに、と言われることもよくあるのだが、九歳の孫息子の誕生祝にギャスパー・ノエのアレックスと、ミヒャエル・ハネケのピアニストのディスクをプレゼントしていたグスダヴを観て、とても真似できない所業だと呆れるというか吃驚したから、到底グスダヴのように、現役監督にして回顧上映が特集企画されるほどの映画監督にはなれっこないことがよく判ったような気がして可笑しかった。
by ヤマ

'26. 3.20. キネマM



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