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『金子差入店』
『花まんま』
監督・脚本 古川豪
監督 前田哲

 作品に描かれたヒューマニズムが沁みてくる日本映画を続けて観た。午前中に観たのは『金子差入店』で、自分の人生を終わらせてしまいたい思いを自殺願望とは異なる形で持っている二人の男すなわち、まだ若い小島高史(北村匠海)による幼女殺人と、老いた横川哲(岸谷五朗)による自宅売春婦殺人との対照を観ながら、ディーテイルについての数々の疑問はさておいて、犯罪者に臨む第三者のまなざしというものに真摯に取り組んでいる良作だと感じた。

 差入屋なる業態を観たのは初めてのように思うが、伯父(寺尾聰)の営む星田差入店を継いで金子差入店とした金子真司(丸山隆平)の妻美和子(真木よう子)が、息子の遭ったいじめに挫けて店を止めようかと零した夫に告げた激励の言葉が素敵だった。それまで、真木よう子もこういう風采の役柄を演じるようになったのかなどと思いながら観ていたのだが、まさに本領発揮という気がした。他方、北村匠海のほうは、こういう役柄も演じるようになったのかと些か驚いた。クズとワルしか出てこない!との惹句の悪い夏においてすら、クズでもワルでもなかった佐々木守を演じていた彼が、心を病んだ幼女殺人犯を演じていたからだ。また、当地出身のまひろ玲希が出演していることをエンドロールで知って、誰を演じていたのか調べてみたら、横川哲が収監された事件で殺された鬼母役だった。彼女と真司の母(名取裕子)が、横川と高史の対照とも通じる配置だったような気がする。真司が不心得弁護士の久保木(甲本雅裕)に向って問うていた他人の人生を面白がるという言葉の底にあったものが重要な作品だと思った。

 エンドロールの後に敢えて再登場していた心ない鉢植の破壊を片付けていたのは、声からしておそらく既に小学校も卒業した和真だったのだろう。真司の愚挙にもなりかねない学校への抗議が奏功して、小学校での和真へのいじめはなくなっていたようだが、差入屋への嫌がらせは何年経っても繰り返されているのが社会の御粗末な現況を示していたような気がする。なかなかの作品だったように思う。


 レイトで観たのは、上映最終日となっていた『花まんま』だ。親であれ子であれ、天寿を全うできない死に、不慮の形で見舞われた遺族の心中に残り続ける傷みと癒しを描いて感慨深い作品だったように思う。「花まんま」というから「そのまんま」の洒落かと思っていたら、おまんまのことだったけれども、花そのまんまでもあった。

 もちろん最大の見せ場である、妹フミ子(有村架純)の結婚式での加藤俊樹(鈴木亮平)のスピーチには心打たれ涙誘われたが、予め用意し練習を重ねていたスピーチ原稿に記してあった内容を当日その場で、今の思いとは違うとして中止するだけの“心境の変化”を彼にもたらした、幼馴染であり同級生の三好駒子(ファーストサマーウイカ)のかましていた自分だけが頑張って来たんかい、自分だけが我慢してきた思うとるんかい、このボケが!というような台詞ときつい張り手の一発が利いていた。気づいてくれない俊樹に伝えたい胸中を駒子が我慢し続けてきていることを偲ばせていて、なかなかのものだったように思う。そして、夢のなかで亡き両親(板橋駿谷・安藤玉恵)と繁田喜代美(南琴奈)に逢わせてくれた駒子の本気の叱咤に感謝しつつも、尚そのことには気づいてなさそうな風情の俊樹を造形していた鈴木亮平にも感心した。

 先ごろ観た今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はでもそうだったように思うが、昨今は、やたらとデリカシーに富んだというか気にしいの若者像が描かれることが多いせいかもしれないけれども、ある種の爽快感があったように思う。スピーチで妹のことを“真っ直ぐな一徹者”だと評していたが、俊樹こそが亡き両親から託された兄貴道まっしぐらの一徹者そのものだった気がする。駒子が彼への想いを言い出せなかったのは、そのことを慮ってであって、単なる気恥ずかしさや気後れなどではなかったはずだ。

 そして、いかにも関西風の笑いでありながら、しつこく品のない笑いとは異なる“本来というか僕の好ましい笑い”というものがずっと漂っていたところも気に入った。いい映画だと思う。聞くところによれば、有村架純、鈴木亮平らは兵庫県出身の関西人らしい。ファーストサマーウイカもきっと関西人なのだろう。駒子の父でお好み焼き屋の親父を演じたオール阪神も、俊樹の勤める町工場の社長を演じたオール巨人も、なかなか好い感じだった。
by ヤマ

'25. 5.28. TOHOシネマズ1



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