『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』['24]
監督・脚本:大九明子

 今を時めく河合優実の少々癖のある演技が余り好きではなくて出遅れていたのだが、当地でスクリーン観賞できる機会を逃すのも勿体ないと赴いた。大九明子の既見作は十一年前に観た『東京無印女子物語』と七年前に観た勝手にふるえてろの二作品しかないが、そのときの日誌に自分に自信がないくせに自意識だけは過剰なまでに働き、表には出せない“上から目線”と“未熟な訳知り顔”を自身の内で繰り返してばかりいるという、どうにも手に負えない“若い女性の面倒くささ”と記した若者像の軸足を男性のほうに置いたような小西徹(萩原利久)に幾分食傷しながらも、二十年ほど前に次男の通った大学のキャンパスをほとんど知らずにいたから、物珍しく観た。

 わりと気の利いた章題が付いていたので、原作がどうだったのか確認すると第一章 花曇、第二章 緑雨、第三章 雷鳴、第四章 虹橋、第五章 幸空となっていた。映画化作品のほうが第五章を作品タイトルから取り、英題として「She Taught Me Serendipity」と添えていたことから、英題のほうは、各章とも映画化作品によるものなのではなかろうかと思った。

 恋路に周章狼狽する若者の面倒くさい胸中と人物造形という点では、『勝手にふるえてろ』のほうが鮮やかだったように思うが、中盤でのさっちゃん(伊東蒼)の告白の長口舌場面はなかなかのものだった。それだけに最後にまた桜田花(河合優実)の長広舌場面を置いてあったことに艶消しを感じるようなところがあった。ギターで奏でる♪月の光♪にせよ、スピッツの♪初恋クレイジー♪にせよ、悪くなかったが、徹が花との午後二時西門の約束を大学の消灯時まで待ち惚ける場面に、スマホ抜きの生活などないに等しいに違いない今どきの若者との落差を感じ、違和感が拭えなかった。展開上は、とても重要な場面だけに、掛けても繋がらない様子を入れるべきだと思う。恋路にセレンディピティは欠かせぬものであると同時に、その擦れ違いが、ある意味、付き物だからこそ、その成就が奇跡的・運命的な出逢いに思えてしまうことの普遍性を思ったりもした。

 徹の数少ない(実のところ唯一と思しき)友人たる山根(黒崎煌代)の造形がなかなかよく、ふと運命じゃない人の神田勇介(山中聡)を思い出したりした。
by ヤマ

'25. 5.20. DVD観賞



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