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『ゴジラ対ヘドラ』['71] | |||||
監督 坂野義光 | |||||
一ヶ月ほど前に観た“世界サブカルチャー史 欲望の系譜シーズン3”の拙日誌に「僕のメンタリティは、この'70年代によって基盤形成されていることを改めて感じた」と記した第2回に取り上げられた映画のうち、僕の未見作品は『ゴジラ対ヘドラ』だけだったと書いていたら、映友が貸してくれたものだ。 いきなりヘドロの海からヘドラが顔を覗かせるオープニングに続く、タイトルバックの麻里圭子の歌に失笑した。割と真面目な内容のメッセージソングなのだが、何故か何とも可笑しい。そして、宙を舞い、滑り台で転ぶゴジラ人形と少年の登場とくる。 '60年代的サイケとゴーゴーダンスが現れ、子供も観に来る怪獣映画でなければ、ペインティングスーツにはしていなかっただろうと思われる中途半端なボディ・ペインティングの登場にも笑った。だが、何ともしまりのない展開に少々倦んでしまうようなところがあった。いろいろに奇抜なことはやっているが、あまりうまく実を結んでいたようには思えない気がした。ゴジラシリーズながら、なんだかウルトラシリーズのような運びだったようにも思う。アンドロメダ大星雲だとか、M78ならぬM82星雲が出てきたりする。ちらりとだったが、ヘドラの光線攻撃に対してゴジラがスペシウム光線のポーズを取った場面もあったような気がする。 それにしても、ヘドラによる生き埋めヘドロ攻撃からゴジラはどのようにして脱したのだろう。玉二つ抜かれても死なない去勢ヘドラの何らダメージを受けたふうにもない有様が、あの二つの玉はいったい何だったのだろうとの不可思議を呼び、百万人のはずが百人にも満たないことになっているように見える野外ダンスの場面というのは、いったい何だったのだろうと訝しく思った。ヘドラ対策を専ら寝床のなかで考えている海洋学者(山内明)の攻撃プランが、息子の言った「乾かしてみれば」だったりするばかりか、実行されるのはまだしも、ヒューズが飛んだとか言って果たせなくなるのには、唖然とした。 テレビで学者が思い付きのように発した「酸素攻撃が利くかも…」との発言に、国民が「酸素、酸素」と騒ぎ立てるさまは、近年目撃してきたばかりのコロナ騒動を彷彿させるようなところもあったけれど、火に弱そうだという思い付きでの松明攻撃に至っては、もはや天を仰ぐしかないような運びだったように思う。そして、今や語り草にもなっている空飛ぶゴジラが登場する。まことに天晴れな怪作だった。もしかすると『シン・ゴジラ』の形態変化は、ヘドラからかもしれないと思ったりした。水中期、上陸期、飛行期と来て第4形態は?とか言っていたが、最後はお岩さんだったような気がする。 | |||||
by ヤマ '23. 5. 1. DVD観賞 | |||||
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