『隠し妻』['72]
『白い指の戯れ』['72]
監督 小沼勝
監督 村川透

 来月から年金暮らしとなる僕が中学時分の日活ロマンポルノを続けて観た。

 先に観たのは、先ごろ亡くなったばかりの小沼監督の『隠し妻』だ。吉田拓郎のイメージの詩で始まり終わる、いかにも'70年代を偲ばせる作品でありながら、脚本が白鳥あかねだけあって、当時においては珍しそうに感じる女性目線のよく利いた作品だったように思う。また、女体を美しく撮ることに実に長けていると改めて感心した。

 医学生と思しき和夫(清水国雄)にしても、人気テレビ俳優である内藤草太朗(吉田潔)にしても、女性に対して節操がないのは似たようなものであるなか、自分には見込みがより無さそうな草太朗のほうに向けて夕子(片桐夕子)が執心していったのは、不実そうに見えながら実のところの人の好さを彼女がキャッチしていたということなのだろうか。

 人気の出始めたテレビ俳優から彼が転落する契機となるスキャンダルを引き起こした夕子から草太朗が離れていかなかった理由は、それが縁というものと解するしかなさそうだったが、連れ立ってホストクラブで働き始めながらも、更なる事件を起こして、最後は“夫婦ラーメン”の幟旗を立てた屋台を引きながら“長い長い坂をおりて”いる姿に♪イメージの詩♪が被さると、'70年代風青春が鮮やかに立ち上ってくるように感じられた。田舎にいた時分の野暮ったさの窺える風情から、都会に出て男たちに揉まれて垢抜けていく夕子の変化が鮮やかに映し出されていたように思う。

 高校時分の同窓生がラーメン屋台にのぼり旗かぁ チャルメラ吹いても怒られんかった70年代−−。なんか じわっと来るなぁとのコメントを寄せてくれたが、いまどきの若者たちには、絶対にと言ってもいいほど、あり得ない選択の浪漫が描かれていたように思う。


 続けて観たのは同年の映画作品で「これが村川透の『白い指の戯れ』か」と積年の宿題を片付けた気になれた。

 ゆき(伊佐山ひろ子)と二郎(谷本一)がそうね、捕まったら可哀そうだね好きだな、あんたと序章で交わしていたのは、そういうことだったのかと思い当たる泥棒・掏摸集団を描いた作品だった。ゆきの初々しさを演じている伊佐山ひろ子が何とも新鮮だったが、本作がデビュー作だ。

 '76年に上京した僕には、何とも懐かしい紀伊國屋書店の風情が目に留まったが、紀伊國屋ホールで掛かっている映画のポスターが『みじかくも美しく燃え』['67]だったのは、偶々実際にそうだったのか、或いは、本作に合わせて貼り出したものだったのだろうか。いずれもありそうな気がする。

 コソ泥の二郎にしても、女掏摸の洋子(石堂洋子)にしても、二郎のムショ仲間の掏摸リーダー拓(荒木一郎)にしても、彼らを追う刑事たち(粟津號・木島一郎)にしても、キャラが立ち、なかなか存在感があったように思う。

 集団掏摸の仲間皆でくんずほぐれつのバブル踊りとも言うべき痴戯を浴室で繰り広げているさまを観ながら、当時、流行していた覚えのある「刹那主義」という泡の如き言葉を思い出した。ゆきにあたし女でよかったと言わせていた拓は、ベッドでもサングラスを外さない男だったが、仕舞いにはベッドでサングラスを外していたから、刑事に今度、あいつが出てきたら大事にしてやりますよと最後の場面で言ったことに嘘はないのかもしれない。

 だが、洋子が言っていたように所帯持って、そっから出勤する掏摸なんて考えられる?というのも尤もなところだ。ラストショットのストップモーションで、ちょっと待てよと言われた気がした。
by ヤマ

'23. 3. 3,4. GYAO!配信動画



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