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『D坂の殺人事件』['97] 『富美子の足』['18] | |||||
監督 実相寺昭雄 監督 ウエダアツシ | |||||
これが実相寺のD坂か、と長年の宿題を片付けることが出来て嬉しかった。エンドロールには、原作として江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』と並んで『心理試験』がクレジットされていたが、確かに『心理試験』の蕗屋清一郎(真田広之)が登場していた。 その『心理試験』と言えば、「もう六十に近い老婆だった」(春陽文庫 P3)というフレーズに仰天した覚えのある作品なのだが、本作では清一郎が原作小説のような学生ではなく絵師になっていて、しかもオープニングから女装した化粧顔で筆を執っている姿が現れるばかりか、蕎麦屋の主人(寺田農)が蕎麦を捏ね打つ音に尻打ちと尻朶を捏ねる図を重ね、古本屋“粋古洞”の女将・須永時子(吉行由実)が、責め絵師大江春泥の稀覯画の贋作製作を依頼するという、原作小説からは大きく離れた物語展開の作品になっていた。 時子が春泥のモデルをしていた時分の名前が「およう」に近いお蝶で、古書肆の名が粋古堂ならぬ粋古洞、秋村の蕎麦打ちに尻打ちを妄想する妻(小川はるみ)の名前がキセ子だったりするのは、春泥を伊藤晴雨に擬えているからにほかならず、『責める!』['77]に描かれた緊縛画を彷彿させるような、前田寿安による力の入った責め絵の数々がとりわけ目を惹いた。そして、清一郎による贋作の製作工程がなかなかの見ものだったように思う。 それにしても、時子殺害の動機が凄かった。原作のD坂とはまるで違っている。自らが拵え物を手掛けた際には、二部作って本物のほうは処分してしまうのが清一郎の流儀である以上、自身が春泥のモデルを擬えて女装したからには、本物のモデルだった時子の存在は、抹殺すべきものになるというわけだ。まるで『ノーカントリー』の殺し屋アントン・シガー(ハビエル・バルデム)張りの言い分のようだと思ったりした。当然ながら、原作小説には「不知火」も「明烏」も登場しないが、原作小説で明智小五郎が「きみ、これを読んだことがありますか。ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行ばかり読んでごらんなさい」(春陽文庫 P98)と言って自室の本の山から掘り出していた書については、店番をしながら時子が読んでいるのを清一郎が見留める場面があった。 ところで、大正時代末期に発表された小説の映画化に際して、時代設定を昭和二年の金融恐慌の時分とした脚本【薩川昭夫】の意図は、どの辺りにあったのだろう。マリリン・モンローを想起させる黒子については、それが重要な鍵となっていたが、オープニングのみならず劇中においても登場していた紙工作のジオラマにしても、「日本人だ果報者」と記された軸にしても、エンディングで清一郎と同じように唇に紅を引く小林少年(三輪ひとみ)にしても、実に謎めいた設えが続々と登場する映画で、手元にあるチラシに記された荒俣宏による「モダンな谷崎は「鍵穴」から秘事を覗く。だが狂熱の乱歩は、いつも「隙間」から覗く。実相寺が乱歩の視で撮った!」に思わずニンマリとするような、実にマニアックな意匠の凝らされている作品だったように思う。亡くなった粋古洞の主人が魯山人を思わせるような陶芸家にして美食家、稀代の目利きという趣味人の設定にしているのもそれゆえのことのような気がした。 荒俣が乱歩に並べていた谷崎潤一郎の原作小説『富美子の足』の映画化作品と原作との関係については、未読の僕には見当もつかないが、原案としてあるからには実相寺のD坂と同じく相当な脚色が加えられているのだろう。富美子(片山萌美)の「私の足は呪われている」で始まり、血塗れの足先を波で洗った裸足のままで浜に転がっていたサッカーボールを蹴り飛ばした富美子の「私はこれからサッカーでも始めてみようと思う」で終わる作品を観ながら、余命一年との癌に見舞われている塚越翁(でんでん)のみならず、彼の甥であるフィギュア作家の野田卯(淵上泰史)にしても、交通事故で車椅子生活の身となっている富美子の母(武藤令子)にしても、共感を覚える人物が誰一人登場しないことに倦んだというよりは、僕に脚フェチの嗜好が乏しいのかもしれないという気がした。原作小説の芸者からデリヘル嬢に替わっている富美子にしても妙に浅ましく、演じている片山朋美には魅力があるように思ったけれども、富美子の人物像がしっくりこなかった。 塚越の言っていた「この足は芸術だ」や「美しさというのは、人を人でない者に変えてしまうものだ」という台詞は、原作の短篇小説にも出てくる台詞なのだろうか。気になるところだ。さまざまなバリエーションで繰り返し出てくるショパンの♪ノクターン Op.9-2♪は、『愛情物語』にも使われた名曲だが、本作もまた愛情物語ということなのだろうか。だが、男たちの側の向ける偏愛はあっても、女性からの愛情は、富美子に限らず誰からのものも描かれてはいなかったような気がする。 また、本作は『谷崎潤一郎原案 / TANIZAKI TRIBUTE』三作品の一本として制作されたもののようだから、残りの『神と人との間』(監督 内田英治)と『悪魔』(監督 藤井道人)も観てみたいものだと思った。 | |||||
by ヤマ '23. 3. 2,3. GYAO!配信動画 | |||||
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