『肉体の悪魔』(The Devils)['71]
監督・脚本 ケン・ラッセル

 先ごろ美術館ホールで行われていた企画上映「スキャンダラスな巨匠ピエル・パオロ・パゾリーニ監督特集」は、四半世紀前とはいえ“パゾリーニ映画祭”「その詩と映像」で十作品を一挙観賞していることもあって見送ったところだが、その代わりという思いも湧いて、映友から借りていたディスクを観てみた。

 十年ほど前にトミー』['75]を観た際の日誌'70~'80年代の彼の作品の外連味たっぷりの映画が面白くて愛好していたのだが、僕は、'90年代に入っての『ボンデージ』が、自分たちの手で上映したことも手伝って最も好きだ。と記してあるケン・ラッセルの未見作だった映画だ。

 史実に基づくとのクレジットを打った後の序章で、いきなり今でいうLGBTQめいた国王ルイ13世(グラハム・アーミテージ)による「ヴィーナス誕生」パフォーマンスを映し出し、宰相リシュリュー枢機卿(クリストファー・ローグ)と思しき紅装束の男が、国権強化のために教会と国家が一体となるよう努める旨の発言したところで、タイトルの「The Devils」が血塗られたような赤い文字で現れ、処刑された新教徒の無惨な亡骸が映し出された。

 そのいわゆる“美の誕生”とは掛け離れたどぎつさに、いかにもケン・ラッセルらしいキッチュで挑発的な画作りを感じ、ほくそ笑んだ。エンドロールを眺めていたら、セット・ディレクターとしてデレク・ジャーマンの名がクレジットされていて、オープニングの「ヴィーナス誕生」はそれ故かとも思った。

 それにしても、乱痴気のなかで描き出された人間の愚劣とグロテスクが鮮烈だった。そして、女色に溺れる放蕩神父のグランディエ(オリバー・リード)が汚れなき小羊は好色な雄羊のためにあるのだなどと嘯く一方で、リシュリューの意を汲んだランバードモン男爵(ダドリー・サットン)の非道に対しては国家主義が叫ばれる時その裏にあるのは1つ、誰かが国の主導権を握ろうとしているのだと正鵠を射た演説をぶつ姿を描いていた。男爵や悪魔祓い神父バレー(マイケル・ゴタール)の残虐非道が凄まじく、不自然な中断箇所を感じたので、調べてみたら115分の作品に対して、108分余りになっていた。

 バレー神父が聖体の入った箱を使って人々を惑わせ、威力を発揮した後に、空っぽの箱であることを国王が暴き立てる場面が痛烈で、盲信と妄執の怖さを描き出すとともに、黒い鳥の着ぐるみを被せられて逃げ惑う新教徒を射殺した国王には、ジャズのスタンダード曲として名高く、その歌詞に種々の暗喩を読み取られることの多い曲名のバイ・バイ・ブラックバードなどと言わせていて恐れ入った。そして、三十路半ばのヴァネッサ・レッドグレイヴが演じていた尼僧ジャンヌの内面の歪さがまさに表に現れ出ている異形のさまにも圧倒された。いかにも'70年代作品らしい強烈さが余すところなく映し出されていた気がする。カットされていると思われる部分を含めた完全版を観てみたいものだ。
by ヤマ

'23. 6. 2. DVD観賞



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