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美術館秋の定期上映会“爆音英国映画祭”
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通常の映画用の音響セッティングではなく、それ以上の音響セッティングをフルに使い、大音響の中で映画を見・聴く上映会(爆音)という触れ込みで企画されたイギリスの音楽映画の特集上映で、なかなかの好企画だった。 久しぶりにケン・ラッセルの懐かしの外連味を堪能した感じの『トミー』が、爆音も効いていて印象深かった。三年前に亡くなった彼の作品を観るのは、何十年ぶりになるのだろうかと手元のリストを手繰ってみると19年前の同じ11月に観た『チャタレイ夫人の恋人』['95]以来だった。'70~'80年代の彼の作品の外連味たっぷりの映画が面白くて愛好していたのだが、僕は、'90年代に入っての『ボンデージ』が、自分たちの手で上映したことも手伝って最も好きだ。 それはともかく、前半の圧巻ぶりに比して、トミー(ロジャー・ダルトリー)が目覚めて後は、ちょっともたついていて、何だかいかにも70年代的な煙に巻かれるような形で始末をつけられたような気がしたが、時を隔てて観ればこその感じ方のように我ながら思った。 大学時分に早稲田松竹で観たような記憶がおぼろげにあるのだが、アン=マーグレットが思いのほか良かった。マカヴェイエフ監督が前年に製作した『スウィート・ムービー』を想起させるようなウェット&メッシーが目を惹いたが、当時の異端のなかでの流行だったのだろうか。アシッド・クィーンのティナ・ターナーの怪演が可笑しく、ピン・ボールの魔術師を演じたエルトン・ジョンの奇抜衣装を観ながら、あの頃の彼のド派手なステージ衣装があっての起用だったのか、本作への出演で味を占めてのステージ衣装となったのか後先を知りたいような気もした。そして、歌ではやはり♪See me,Feel me,Touch me,Hear me ♪だなと思った。 『すべての若き野郎ども』のほうは、モット・ザ・フープルにさほどの思い入れもないので、特に感慨を覚えるところもなかったのだが、メンバーの変遷とバンドとしてのアイデンティティといったことへの刺激を受けつつ、バンドというのは、同じメンバーで長く続けていくのが本当に難しいのだなと思った。それにしても、かのクィーンが前座を務めた唯一のバンドだったとは知らなかった。 Cプログラムの『ドント・ルック・バック』もドキュメンタリー映画で、ボブ・ディランが23歳のときのものだ。とりわけオフ・ステージの部分に資料的価値があるようには思ったが、映画的には少々凡庸な作品のような気がした。若い時はそれなりに聴き取れる歌い方をしていたことを再認識し、妙に可笑しかった。 最も楽しみにしていた『ロッキー・ホラー・ショー』は、『トミー』と同じ年のもので、爆音英国映画祭としての音響効果がとても強烈な作品だった。僕は、あまり大音響を好まないのだけれども、今回は違った。これなら、Bプログラムも無理してでも観に行くのだったと思った。『マーラー』は'88年度のマイベストテンにも選出している作品なのだが、ロックオペラではなかったはずで、爆音で観直すまでもなかろうと見送ってしまった。 それはともかく『ロッキー・ホラー・ショー』は、メル・ブルックス監督の『ヤングフランケンシュタイン』['74]を想起するような英国風のブラックなコミカルさが効いていたように思う。『ヤングフランケンシュタイン』のほうが映画作品としては先行しているが、舞台で言えば、こちらのほうが先だったのかもしれない。なんだか相通じるような破天荒さが可笑しかった。なかでも生娘にてマッチョのロッキー・ホラー(ピーター・ハインウッド)に魅せられメロメロになってしまうジャネット役のスーザン・サランドンが、微笑ましいやら可笑しいやらで、なかなか良かった。 それにしても70年代の映画作品のなんと伸びやかなことかと、大いにノスタルジックな気分を誘われた。世の中が騒然としつつもエネルギッシュに動いていた60年代の後を受け、当時の若者は三無主義だとか四無主義とか言われていたのだけれど、今の閉塞感と将来不安などを知らずに過ごすことができていたことの幸いというものを改めて思ったりした。 参照テクスト:「高知県立美術館HP」より http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/contents/hall/ hall_event/hall_events2014/14bakuon/hall_event14bakuon.html | ||||||||||||||||||||
by ヤマ '14.11.12~14. 美術館ホール | ||||||||||||||||||||
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