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『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』 (Pat Garrett And Billy The Kid)['73] | |||||
監督 サム・ペキンパー | |||||
公開時の高校一年時分に観て、あまり冴えない印象だった本作の十五年後の再編集版['88]を観た。十五分長くなった追加部分がどこなのかはさっぱり判らないが、妙に緩慢で敢えて二時間超の作品にしたことは、むしろ仇になっているのではないかという気がした。原題のパット・ギャレットとビリー・ザ・キッドが実際に無法者として旧知の間柄だったのかどうかも知らないが、ビリー(クリス・クリストファーソン)が“フレンド”と呼びつつも、保安官に転身したパットことパトリック・ギャレット(ジェームズ・コバーン)をカネで買われた別人と判じて袂を分かったうえで、射殺される物語だ。 射撃の名人とされるビリーの腕前が然程でもないさまが描かれ、脱獄に際して「背中からは撃たないよな」と言った保安官助手のベルを射殺したのは背中からだし、信仰心の篤い保安官助手ボブを撃ったのも彼が銃を向ける前の離れた位置からのライフル狙撃で、馬も乗りこなせず落馬はするしで、パットが無理やり保安官助手に任じた旧知のアラモサ・ビルこと、ビル・カーミット(ジャック・イーラム)との決闘でもテンカウントを待たずして振り向き撃つビルを見越して、端から正面向いたまま待ち構える抜け目のなさを見せるという、およそ伝説的なヒロイックな姿は、まるで映し出されない描かれ方だった。 パットのほうは更にひどくて、ビリーの居場所が売春宿であることを突き止めるとその寝込みを襲う有様で、棺桶屋ウィル(サム・ペキンパー)から「腰抜け保安官め」と非難されていた。馴染みのルーパート(ウォルター・ケリー)の宿では、二輪車どころか色とりどりの娼婦四、五人呼んでの放蕩三昧に現を抜かすのが常らしい始末で、ウォレス知事(ジェイソン・ロバーズ)から任じられて追ってきた保安官助手のジョン・ポー(ジョン・ベック)に呆れられていた。最後にビリーを撃ったときも、一応は事を終えるのを待ってからだったが、パットの姿を観て微笑みかけた、銃は手にしていても銃口は向けず殺意とは反対の親愛を見せた者に対して撃ち放っていた。二十八年後の1909年に狙撃されて落命するのも因果応報と映るような最期で、もしかすると狙撃者は、彼がビリーを射殺した際に石の礫を投げていた少年だったのかもしれないと思わせるようなエンディングだ。 そもそもビリーは、パットとの対決を避けてフォートサムナーの地を去り、メキシコに逃れようとしていたのであって、戻ってきたのは偏に、旧知のメキシコ人パコ(エミリオ・フェルナンデス)を惨殺したチザム牧場への復讐に他ならないものとして描かれていたように思う。パットに敵対する気などないのだった。ますます以て、資本家チザムと知事に買われた警察権力たる保安官の欺瞞を描き出す構図に設えられていた気がする。オーソドックスな西部劇を好んでいたミドルティーンの時分に、冴えない印象を残したのも尤もだとの思いが湧いた。 本作を製作したメトロ・ゴールドウィン・メイヤーがターナーに買収された際の122分のプレビュー版['88]を観た翌日に、'05年のスペシャル・エディション[115分]を観た。新たに加えられている部分ならまだしも、切られている部分は気づきにくいとしたものだが、いくつか大きな違いに気づいた。 最も目を惹いたのは、棺桶屋ウィルとパットとの遣り取りが大幅に短縮されていて、ウィルが「腰抜け保安官め」と非難する場面がなくなっていたことと、怖気づいて一切撃てなかったくせに死んだビリーの人差し指を切ってリンカーンに持ち帰ろうとしたキップ保安官(リチャード・ジャッケル)を殴りつけてパットが言った「貴様の望みと手に入るものとは別だ」という本作の主題に直結する台詞が切られていることだった。 また、エンディングにおいても、フォートサムナーを去るパットに石の礫を投げる少年の場面でのストップモーションとなっていて、1909年にパットが狙撃される場面の再登場がなくなっていた。ルーパートの店でのパットの場面にも変更があって、パットとルーパートとの遣り取りが短くなっていて、パットが娼婦を四、五人呼ぶ趣味やらルーパートが自分専属のスーザンのことを言う台詞はなくなる一方で、ジョン・ポーがギャレットの部屋をルーパートに問う台詞や、パットがジョン・ポーからビリーの居場所がフォートサムナーであることを聞く前に、ビリー馴染みのルーシー(ルターニャ・アルダ)からそれを聞き出している場面が加えられていた。ビリーがピート(ポール・フィックス)の娼家を訪ねた際にマリア(リタ・クーリッジ)が出迎える場面も追加部分のような気がする。'05年版では、カントリーシンガーとして名高いリタ・クーリッジのバストトップの映る場面がカットされているのだろうと思っていたら、そこはしっかり残っていた。 特典映像の「インタビュー:特別版公開にあたって」によると、108分の劇場公開版は監督にとって不本意なものだったようだ。122分に及ぶターナー・プレビュー版は、本作がMGMの手を離れたことから、公私共に元パートナーだったケイティ・ヘイバーが、監督の意を汲んで製作するよう動いたものらしい。映画編集者を生業としているポール・セイダーの解説によれば、ディレクターズ・カットというのは、通常は撮影の終了した10週間後に映画会社に届けなければいけないものだそうだ。音響は仮録音のもので、音楽なども他から持ってきたもので間に合わせていたりするようで、最終的に仕上げる前のラフのようなものらしい。 それをベースにして公開版に仕上げていくわけで、その過程で勿論、監督を含めたスタッフ協議のうえで、いろいろ切ったり足したり入れ替えたりする直しが加わっていくものなのだろう。今回の'88年版というのは、そのディレクターズカット版に忠実に沿う形で音響その他の仕上げを整えたものなのではないかと思われる。 だから、ある意味、ペキンパーの当初の想いには最も忠実な版なのだろう。だが、監督自身も仕上げに向けていろいろな意見を取り入れて仕上げていくのが通常なのだろうから、当初バージョンが即ち監督における最終バージョンとも言えない気がする。だから、死後に当初バージョンを以て監督作品とされるのは、監督にしてみれば不本意かもしれない。そのあたりを汲んで、ディレクターズカット版とは言わずに、プレビュー版としているように感じた。 参照テクスト:NHKダークサイドミステリー 『その英雄、凶暴につき ~ビリー・ザ・キッド伝説~ | |||||
by ヤマ '23. 5.14,15. DVD観賞 | |||||
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