『ザ・ホエール』(The Whale)
監督 ダーレン・アロノフスキー

 最後に鯨の如き巨体が昇天していたのだから、やはりチャーリー(ブレンダン・フレイザー)は、自死した恋人アランの妹である看護師リズ(ホン・チャウ)が言っていたとおり、金曜日に娘のエリー(セイディ・シンク)の眼前で亡くなったのだろう。

 大学のオンライン覆面講師として文章指南をしていたチャーリーが学生に対して「自分に正直に」書くことを指導していたが、八年前に、ある意味、まさに「自分に正直に」生きたことで抱えることになった悔恨と苦悶の巨大さというものを、文字通り体現していたブレンダン・フレイザーに圧倒された。是も非もないのが人の生だとは思うが、チャーリーの生は何とも酷なものだった。

 モルモン教のような布教活動をしている宣教師を標榜する青年トーマス(タイ・シンプキンス)の説く終末思想はともかく、彼から教えられたアランが自死を選んだ理由のやりきれなさは、チャーリーが抱えた代償の大きさからしても、さぞかし堪えたことだろう。棄ててしまった家族に対する後ろめたさと、信仰者が神に見棄てられたと感じて味わう絶望の、どちらがより重たいかなどは、僕の想像の埒外にあるものだが、恋の熱情に身を任せて失ったものの大きさにおいて違いはないだろうから、アランは自死を遂げ、チャーリーは生きながらにしての死という道を八年かけて徐に歩んできていたのだろう。

 そして、八歳で生き別れた娘エリーにとっても、元妻メアリー(サマンサ・モートン)にとっても、実に多大な試練となって伸し掛かっていた様子が何ともやりきれなかった。なにせ母が娘を「邪悪」と呼ぶに至る育ちを余儀なくされていた。ふと二十六年前に観た秘密と嘘['96]のことを思い出した。

 また、兄をその信仰ゆえに失ったと考えていると思しきリズの指摘していた「宗教が信仰者に与える優越感」に触れて、過日の尼僧物語の合評会において僕自身が発言したことを想起し、その奇遇に驚いた。メアリーを演じていたのがサマンサであることをエンドロールで知り、彼女らしからぬ相貌だったことにも驚いた。

 やはりダーレン・アロノフスキーの作品は、観応えのあるものが多い。初めて観たレクイエム・フォー・ドリーム['00]以来、気に掛けているが、レスラー['08]にしてもブラック・スワン['10]にしても、本作同様、痛々しさを描出させると並々ならぬ力を発揮していたように思う。当地では『ノア 約束の舟』['14]以来の公開だと思われるが、劇場未公開のままの『マザー!』['17]と、当地でも上映されながら観逃している『ファウンテン 永遠につづく愛』['06]、『π』['97]を観たいものだと思った。

 SNSで「クジラ男はあまりに身勝手というか人間関係も肉体もあそこまで酷くなる前に自覚すべきだと思ってあまり共感出来ませんでした。これなら象男の方がまだよいかと。。🤔」との意見が寄せられたように、チャーリーには“自業自得”の面がつきまとうだけに、より酷な気がしなくもない。ちょうど観たばかりの古い西部劇誇り高き男['56]でキャスがサリーに言っていた恥ずかしい人生は嫌だを想起するとともに、彼がそう言ったのは、一度は彼女の求めに応じてキーストンの街を逃げ出してしまった悔恨を抱えていたからこそだと思った。チャーリーには挽回のチャンスが訪れていなかった。

 鯨男のチャーリーに比して言及のあった『エレファントマン』['80]は、公開時に観たきりだが、かの作もまた酷な人生を歩んだ男の哀しい物語だったように思う。本作は、哀しいよりは哀れのほうが強く、同じように酷な人生でも受け取る「哀」のニュアンスには、かなりの違いがあることに気づかせてもらえた。悔恨と自責が自身を苛む苦しみが鯨男にはあるけれど、象男にその余地は乏しい。それゆえに一層辛いとも言えるかもしれないが、一層などという比較対照を試みることが出来るのは第三者であって、当事者においては比較のしようもなく、両者ともひたすら辛いとしたものだろう。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20230425
by ヤマ

'23. 4.18. TOHOシネマズ3



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