トップページへ

ご法話

<伝え継ぐことの大切さ>

<<次の記事

>>前の記事

 

 

伝え継ぐことの大切さ

光行寺住職 苅屋光影

 私が尊敬するご住職と、これからのお寺について話をしていました。
「どうすれば多くの方にお参りをしてもらえるでしょうか」と質問すると、ご住職は「私は逆だと思う」とおっしゃいました。
 私は意味が分からずに「どういうことですか?」と尋ねますと、「ご門徒にお寺に参ってほしいという住職さんは多いけれども、そう言っている住職さんはどれだけお参りしているだろうか」と言われました。
 ご門徒にお寺にお参りしてほしい、み教えを聞いていただきたいと言っている私が、どれだけみ教えを聞いているだろうかと考えさせられました。
 『蓮如上人御一大記聞書』には「一宗の繁昌と申すは、人のおほくおつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ」(註釈版聖典1271ページ)と述べられています。一人でも多くの方にお寺をお参りしていただき、法話を聞いていただけることはうれしいことですが、大切なことは、まず聞くべき一人に私自身がなることです。そして何よりも、浄土真宗というみ教えは私が聞かせていただかなければならない道であり、私を救うために阿弥陀さまがご本願をお建てくださったのです。私自身の怠け心が問われていたことを知らされました。
 時代の変化とともにお寺を取り巻く状況も変わってきます。どうにもならないことも多いのですが、自分自身がお念仏をいただき、お念仏をよろこべているのかを問いかけながら、ご門徒の方々と共にみ教えを聞かせていただきたいものです。

  「どうにもならない」
  “どうにもならない苦しみが
  人間を育ててくれるのよ”
 というてきかせている私が
 どうにもならないものを前に
 あわてふためいています
   (詩集『この一本道を』石塚朋子著)

 お寺のご門徒さんが書かれた詩です。生後四ヵ月のわが子と別れ、お寺にお参りされるようになりました。わが子の三十三回忌にあたり、ご家族がまとめられ、お寺へお供えされた詩集です。以前、私がご自宅にお参りした時、わが子を亡くした時のことを話してくださいました。
 「どうにもならない絶望と悲しみの中で聞こえてきたおじいさん(私の祖父)の勤行の声が尊く、今でも心に残っています。その勤行に救われました」以来六十年、わが子と共に仏道を歩まれ、米寿を迎えられました。どうにもならない悲しみを仏縁といただき、さまざまなものを背負いながらお念仏の道を歩んでこられたことを、詩集から教えていただきました。
 かつてお子さんのご命日には、お寺で「法縁の集い」という夜の御法座を開いていました。私の祖母が有縁の方のご命日を大切にして、その日に突然お参りに行ったり、手紙を書いたりして仏法のご縁を結んでいました。また、親鸞聖人のご命日をはじめ、家族や親戚、親しい人の月命日を丁寧におつとめしておりました。私に「今日は〇〇さんのご命日よ」と教えてくれて、その方の思い出話をしてくれるのです。
 その中で、「今日は本当に父親の命日なの」と言いながら、幼い頃に自分を置いて出ていった父親のことを話してくれたのです。その父親が出ていった日を命日として、仏前に座って寂しそうにじっと手を合わせている祖母の後ろ姿を見ながら、いつまでたっても、その幼き時のどうすることもできなかった光景が心に残っているのだと感じました。ある時、父親の話と重ねて蓮如上人のお母さんの話をしてくれました。
 応永二十七年(一四二〇)十二月二十八日の夕暮れ、布袋(蓮如上人)が六歳の時の出来事です。蓮如上人のお母さんは「ここにいることはできない事情のある身なのです」と言い残して、お供をする人もなく、ただ一人、どこへともなく消えていかれました。蓮如上人は、その日を母のご命日として、毎月かかさず大切におつとめしておられたと伝えられています。
 他にもご命日には祖母からいろんな昔話を聞かせてもらいました。祖母は、私にご命日とは単に別れていく日ではなく、その方が何を大切に人生を歩んできたのか、それぞれに背負っていかなければならない人生のあることを話してくれていたように思います。また、ご命日とは、残されたものにとって仏縁をいただいていく大切な日であることを教えてくれていたのでしょう。
 今年もお盆を迎えます。お念仏のみ教えを私に伝え継いでくださった懐かしい方々を思い出しながら、受け継いでいくことの大切さを教えていただいております。

 

ご法話 目次へ

 

覚圓山 光行寺 トップページへ