神宮外苑(東京)、絵画館前のイチョウ並木が黄金色に染まると、秋も
深まったなと感じます。先月から、木々の形を整える作業が始まって、
葉が色付く頃にはバツグンの遠近感を楽しめる通りになっています。
ところどころに置かれたベンチも、絵の中の風景みたいな静かな佇まい。
秋のバラは、春に比べると少し元気がないと聞きますが、ベランダには
うすいピンクのバラが十一月に入ってからも、寒さの中で咲いています。
咲きそうな一輪を朝のうちに切って、バスルームの小さなグラスに挿して
おくと、日ごとにふくらんで、花が美しくなってゆく様子を身近に眺められ
ます。日が過ぎても、しばらくは枯れかけた花を飾っておきます。
欧州のホテルでは、わざと盛りを越した花をたわわに飾り、フレッシュな
花とは違う魅力を演出するところもあるとか。
六本木ヒルズ(港区)で見かけた巨大なバラは、天に向かって、
どこまでもまっすぐに伸びていました。比較するものが写っていない
ので、高さがわからないでしょうが、首を思いっきり曲げて見上げるほど、
大きいのです。ロマンティックというより、大迫力。
秋の夜に、ひやりとする短い物語を読みました。スーザン・プライスの
『12の怖い昔話』(長崎出版)です。別の作品でカーネギー賞をとった
イギリスの作家です。
これは、昔話を素材にしたファンタジー集。中の『怖いもの知らずの
メアリー』には、いろいろ考えさせられました。
どういう話かというと、家に現れる母親の幽霊に怯える農夫が、
幽霊を恐れない少女メアリーに家政婦を頼み、ある日メアリーは、
親しくなった母親の幽霊から、床下に隠してある金貨の袋の存在を
教わります。息子を思う母は「息子には大きな袋を。あんたには、小さな
袋を」と指示して消えます。ところがメアリーは、そのことを農夫に伝える
ときに、「わたしには大きな袋。息子のあなたには、小さな袋を渡してって
申し受けた」と、しゃあしゃあと言ってのけるのです。
ここまで読んだとき、「うわぁー、幽霊の言いつけを無視して、しかも
強欲な」とメアリーの性格に驚き、ラストではきっと罰が当たるだろうな
と予想していたのですが、罰どころが、メアリーは金貨で自分の家を
建て、一生人に使われることなく、幸せに暮らすのでした。
日本の昔話だと、例えば『おむすびころりん』などで、欲張って大きな
宝をだまし取った人物は、必ず不幸になって終わります。なのに、
メアリーは・・・。
ここでふと、福沢諭吉の伝記を思い出してしまいました。子ども時代の
諭吉は、神社のお札を乱暴に扱うと罰が当たると大人から聞いて、
じゃあ、やってみようと足で踏んだらしいですね。まさに『怖いもの
知らず』な態度。でも、それは諭吉が普段からまじめに勉強し、行いも
正しく、自分に落ち度が無いため、悪いことなど降りかからないと
信じていたからかもしれません。
この物語のメアリーも、みんなの嫌がる仕事(幽霊の出る家の家政婦) を完璧にやりとげたから、大きな袋をもらうに値すると自己判断を
くだしたのでしょう。
「怖いもの知らず」な人とは、“怖いもの”以上の力を身につけた
努力家なのかも・・・と、この物語を読んで思いました。
私はまだ、そこまでのことをやっていないので、神も仏も信じますし、
世の中、怖いものがいっぱいです。
我が家のリビングを見守る招き猫は、くじ運を良くする宝当神社の
神様です。岡山に住んでいる友だちが,贈ってくれました。金色に
輝き、ニコニコしていて、なぜかケータイで電話中。和みます。
実は私、宝くじすら一度も買ったことがないので、運が良くなったか
どうか、まだわからないのですが、今度はトライしてみようかなぁ。
モロッコ料理の店へ行きました。モロッコの家庭で使われている
フタの先っぽが筒状に伸びた“タジン鍋”は、日本でもブームですね。
食器売り場には、色とりどり、サイズさまざまなタジン鍋が並んで
いますから、すっかり定着した感もあります。
油も使わずに調理できる点が、ヘルシー志向の日本人に好まれるの
でしょう。世界最小のパスタと言われるクスクスや、ミントティが
美味しくて、エスニック料理は自分で作るよりも、その国のインテリアで
飾られた専門店で食べるほうがいいなと思いました。
2010年 11月
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