納得の祝電披露

2007年3月20日

明日は春分ですが、今朝も学校の近くの方から「今日も寒いですね」と声をかけてもらいました。2月が暖かかったので、余計寒く感じるのかもしれません。

2月は暖かいというより暑いくらいの日もあったので、「こんなに暖かいけど、卒業式には寒くなったりして」などと冗談で言っていたものです。でも、3月になって本当に寒くなり、凍えるほどではないにしろ卒業式の日は寒さの心配をしたほどです。

卒業式はかなりの数経験してきたのですが、今年初めて「ああ、これはいいな」と感じたことがありました。それは祝電披露の仕方です。

電報についてはいつも思うことがあります。よく言われることだと思うのですが、出席者よりも電報が大事にされるということです。

結婚披露宴だけでなく葬式でもそうです。仕事を休み、遠くからでも時間をかけて出席している人が大半ではないでしょうか。特に葬式では暑さや寒さだけでなく、風雨にさらされながらということもあります。

そんな中で、首長や議員の祝電、弔辞が披露されます。本人や家族がその首長や議員と深いつながりがあれば納得できるのですが、そうではない例もかなりあったように思います。そんなときに何とも言えぬ違和感を覚えるのです。

卒業式に話を戻します。おじさんがこれまでに聞いてきた祝電の披露は、電文をそのまま読むものでした。電報を打つときには、本文を書き、最後に差出人の名前を書くと思いますが、その順番で読むということです。

ところが、先日の卒業式では担当の教員が先に名前を紹介してから本文を読んだのです。「小学校6年生の時の担任だった○○先生より・・・・・・」

という具合にです。

このような披露の仕方をしている人も多いのかもしれませんが、おじさんは初めて聞きました。名前を後で読む場合は、本文を聴きながら「誰からだろう」と思いを巡らすという楽しみ方もありますが、まずその人のことを思い浮かべてから聞くと、その人の思いがより深く伝わるような気がしました。

この日はもう一人、2年前に転出した教員からの祝電もありましたので、同じように披露し、他は名前だけの披露としていました。

本文を披露した二人のメッセージは、それぞれ3年前、2年前に生徒達と関わった様子を聞く者に思い描かせるとともに、これから未来に向かって羽ばたいていく生徒達への暖かな祝福の思いが一杯詰まったものでした。

このようなメッセージこそ披露に値するものだとつくづく感じました。

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